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大事な思い出(珍贵的回忆)
2011年 05月 02日
ゴールデンウィーク中は、さらに多くのボランティアが被災地に赴き、現場では数多くの有意義な活動が行われている。その中でも、泥・瓦礫・残骸などに埋もれた大事な思い出――写真を捜索・洗浄・引き渡しをする活動に特に感心している。それと同時に、私の遠い昔の一つの思い出も呼び覚ましてくれた。
黄金周假期中更有众多的志愿者奔赴灾区,在现场开展各种各样有意义的活动。其中一项寻找•清洗•交还那些散失在泥泞、瓦砾、残骸中的珍贵的回忆――照片的活动特别让我感动,同时还唤醒了我很久以前的一段珍贵的回忆。 あれは文化大革命の真っ盛りであった。私はまだ何歳かという子供である。私が北京で一緒に暮らしていた母方の祖父母の家が財産没収や監禁を受けたため、両親は私を彼らの仕事生活の場―太原へと連れて行かざるを得なくなった。ところが、着いて数日後、両親の家も財産没収を受け、人も批判を受けるために連れて行かれた。実は、両親の家には没収できるようなものはなかった。家にわずかにあるいくらかの家具も学校からの借り物である。まだ、30歳を過ぎたころでは批判され得るようなこともなかった。父がいない日々の中で、私は毎日母に付いて職場への行き帰りをしていた。職場では労働のほかには、各種勉強会や批判会に参加していた。 那是在文革盛期,我还是个几岁的孩子。由于我在北京一起生活的姥姥老爷家遭受抄家、监禁等情况,爸爸妈妈不得不把我接到他们工作生活着的地方――太原。可是才到了没几天,爸爸妈妈的家也被抄了,人也被带走去挨批斗了。其实爸爸妈妈的那个家实在没什么可抄的,因为家里仅有的几件家具还是从学校租来的。人也没什么可批的,因为他们当时刚刚30岁出头。爸爸不在家的日子里,我就每天跟着妈妈去学校上下班,在班上除了劳动就是去开参加各种学习班、批斗会。 ある日、帰り道に大学の正門を通った際に、守衛の張さんが小さな窓を開けて母を招き入れた。私は門のそばで、張さんの娘さんとゴム飛びをして遊んでいた。しばらくして、母が大きな封筒を大事そうに抱えて出てきて、そのまま私を連れてまっすぐ帰宅した。夜、母は扉の鍵をしっかりと閉め、ランタン(当時の太原はよく停電していた)のもとで、大きな封筒を慎重に開けた。私は、書類だと思っていたが、母が中から取り出したのは、一枚一枚の写真だった。 一天下班从大学的校门口路过,传达室看门的张大爷拉开小窗户招呼妈妈进去。我就在门口与张大爷的小女儿跳了一会皮筋,不一会妈妈抱着一个大信封出来了,带着我径直地回到家里。晚上妈妈锁好门,油灯下(那时太原常常停电)拿出大信封小心翼翼地打开。我以为是信件呢,结果妈妈从里面取出来的是一张张照片。 これらの写真を私はすべて知っていた。なぜなら、これらは我が家の宝物だから。私の両親はどちらも写真が好きで、我が家には、父がソ連留学の際に持ち帰った茶色の革カバーが付いたカメラがあって、これは当時にしては結構珍しい物であった。当時、よく父が深夜に真っ暗な部屋の中で、瓶や缶をいじっていて、翌日になると窓ガラスやタンスの鏡に現像された写真がたくさん貼ってあったことをよく覚えている。母の方はというと、綿棒で当時の白黒写真をカラー写真に染めていた。私の小さなころの写真を友達に見せると「えっ、あなたの小さいときにもうカラー写真があったの?」とびっくりされるほどである。私が小さい時だけではなく、両親の小さいときも、そしてさらに上の世代の小さいときも… 最も多かったのは文化大革命が始まる前、両親が山西銘賢学院でのロマンティックな学園生活と父親がソ連で撮影した異国風景であった。当時はほかに面白いものもなかったので、両親の家に帰るたびに、箱を開けてアルバムを取り出し、両親と一緒にこれらの写真を楽しみながら、当時のいい思い出を聞くのが、太原での大きな楽しみであった。 这些照片我都认得,因为这是我家的宝贝。我们的爸爸妈妈都喜欢照相,我家有一台爸爸从苏联留学时带回来的有着咖啡色皮套子的相机,在当时算是挺时髦的了。记得当时爸爸常常半夜在黑黑的屋子里鼓捣瓶瓶罐罐,第二天就会看到很多洗好的照片贴在窗户的玻璃或衣柜的镜子上。妈妈则会用棉棒把当时的黑白照片涂成彩色的。以致我给朋友看自己小时候的照片时会让朋友惊讶“你小时候就有彩色照片了?! ”不光我小时候,还有我爸爸妈妈小时候,甚至还有更上一辈的小时候。。。。。。更多的则是文革还没有开始,爸爸妈妈在山西铭贤学院时浪漫的校园生活及爸爸在苏联拍摄的异国风光。每次回到爸爸妈妈家里,由于当时没有什么好玩的,打开箱子搬出相册与爸爸妈妈一起分享这些照片,听他们讲述当年的美好回忆就成了我太原之行的一大乐趣。 実は、この大きな封筒の中の写真は守衛の張さんが、受付の近くにある学生寮の近くで拾ったものであった。おそらくは、学生たちが財産没収の際にこれを持ち出し、寮に持って帰ったが、あまり意味がないと考えて、窓かダストシュートから捨てたものであろう。張さんはこのように上から続々と捨てられた写真を数日間拾い続け、きれいに拭いた後にこっそりと母に返してくれた。 原来这个大信封里的照片是看门的张大爷在传达室附近的学生楼后面捡到的。估计可能是学生们抄家时从我家拿走,带回宿舍又觉得没用就从窗户或垃圾通道扔下来了。张大爷就这样连续几日把这些陆续从楼上扔下来的照片一张张地捡起来,擦拭好悄悄地还给了我的妈妈。 片方は天災、片方は人災。片方は堂々と、片方はこっそりと。しかし、どちらも同じように人間の素晴らしさを感じさせてくれるとともに、私たちに大事な、そして美しい思い出を残してくれた。 一个是天灾,一个是人祸。一个堂堂正正,一个偷偷摸摸。但都同样让我们感受到了人类的真善美,都给我们留下了珍贵、而且美好的回忆。 ![]() ■
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by tubomim
| 2011-05-02 10:30
| 2011年
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Comments(10)
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文革时期是一个动荡的年代。我这代算是很幸运了,仗打完了,文革改造也过气了。
虽然没有实感,但是每当说到这类事件,就为天朝感到可惜。 文革在当时可能是必须的,动荡的时局,人民可能需要一个轴心去带动发展,当权者可能需要一个主导思想去巩固政权。 对与错估计不是我这代人有资格说的,但是从现在的角度来看,文革对中国历史是多么大的摧残,毁掉了多少的文化结晶。
>なつめ :文革期间有很多让人的心灵扭曲受伤的事情,但我也有很多像这样让人难以忘怀的美好回忆。
以前写过一篇“好人好事” h ttp://tubomim.exblog.jp/11457256/ 以后还会陆续将这些逆境中闪光的人性写出留下的。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
80后という言葉があるように、文革前と文革後では、
中国社会に大きな断絶があるようですね。 日本では新人類とか、戦後生まれという言葉があるのと同じでしょうね
時代的熱情也需要理智的控制。善導則益, 悪納則損。
可是看來有陰影也有陽光, 混乱中仍然看得到人性的常理。
>鍵コメさん:楽しい休日ですね、落ち着いてから遊びに来てください。
>minamihorieさん:文革前、後は大きな変化がありますね、文化の体験も貴重な体験になります。
>T.Fujimoto :那是一个混乱恐怖的日子,但也有很多让我留有记忆的人性闪光的地方。
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
>鍵コメさん:教えてくれてありがとうございます。ただ今直しました。
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