在日中国人女性の随筆  
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「母子健康手册」与“卡介苗接种证”
一つは私が息子のために残した当時の「東京都母子健康手帳」、もう一つは私の母が私のために残したあの年代の「北京市BCGワクチン接種証」である。今年の夏に母が日本に来た時に持ってきて、「今後もし残しておくなら自分で持っていた方がいいわね」と言った。
一个是我为儿子保留的当年的”东京都母子健康手册“,一个是我妈为我保留的那个年代的“北京市卡介苗接种证”。今年夏天妈妈来日本时带来,对我说,"今后要保留就应该交给你自己保留了”。
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by tubomim | 2014-12-20 09:26 | 2014年 | Comments(3)
おもちゃの車(玩具车)
前回がらくた市で小象が小さいころに遊んだ大きな車を処分した。あの時は急遽決めたので写真を撮ることもできなかった。今日は中くらいのものや小さなものを整理したので、処分する前に写真を撮っておこう。
上次我乐多市上处理了小象小时候玩过的大汽车,那是突然决定的没来得及留个影。今天整理了中汽车、小汽车,处理之前拍个照片。
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by tubomim | 2013-11-13 01:09 | 2013年 | Comments(4)
ノーベル賞(诺贝尔奖)下
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この話題が彼の少年時代の多くの面白い話と共に忘れ去られていた10年後、先月私は「週間文春」上で突然、「マネしてはいけない危ない実験 稲妻を捕獲する」という記事を見つけた。よく読んでみると、実はこれはイグノーベル賞受賞者のアメリカ人、テオ・グレイ氏の傑作のひとつだった。「彼の著書には炎と轟音に満ちた、過激で愉快な50余りの実験が紹介されている。これらの危ない実験は特別な研究室ではなく、自宅の作業場の小部屋で行われている。」文章は最後に、「自由研究の参考にはならないかもしれないが、自由すぎる科学の面白さを満喫して欲しい。」
就在这个话题与他童年的很多趣话一起被淡忘的10年后,上个月我在《周刊文春》上突然发现了“危险实验 捕获闪电”的题目。细读原来这是搞笑诺贝尔奖得主美国人西奥多・格雷(Theodore Gray)的杰作之一。“在他的著书中介绍了50多种充满火焰与轰响的过激而快活的实验。这些危险的实验不是在特别的实验室,而是在自家的小作坊里进行的。”文章最后写到:“虽然不能当作自由研究的参考,但是可以尽享过于自由的科学的乐趣。”

ここで挙げた「自由研究」とは日本の小学校の夏休みの宿題には欠かせない、あの「自由研究」である。近年、この「自由研究」はとてもホットな話題であり、多くは親子の合作である。また、多くの面白いサイトや書籍もある。数年前に私はブログ上に息子の小学3~6年生の際の「自由研究」を載せたが、あまり出来が良くないにもかかわらず、その後、夏休みになる度に私のブログへ予想できないほどのアクセス数をもたらしてくれる。
这里提到的“自由研究”就是日本小学暑假作业必不可少的“自由研究”。近年来这个“自由研究”特别火热,而且多是家长孩子联合作战,出现了不少有趣的专门网站与书籍。几年前我在博客上纪录了儿子小学3~6年级的“自由研究”,虽然研究得并不怎么样,可是此后每到暑假都会为我的博客获取不少意想不到的点击数量。

日本の18名のノーベル賞獲得者を見ると、日本の子どもたちの自由研究を思い出す。研究そのものは笑える物かもしれない。他人と意見が異なるかもしれない。しかし、自由研究のためには自由な環境が必要であり異なる意見を述べることを許すことが必要である。皆様もご存知かもしれないが、2000年にカエルを浮き上がらせる実験でイグノーベル賞を獲得したアンドレ・ガイム氏は今年「グラフェンの開発」によって本当にノーベル物理学賞を獲得した。
看到日本的18位诺贝尔奖得主,我想到了日本孩子们的自由研究。也许研究得很可笑,也许意见与他人不同。但是自由研究要有个自由的环境,允许探索,允许发表不同的意见。大家也许知道2000年因为“磁悬浮青蛙”获得搞笑诺贝尔奖的俄罗斯裔荷兰物理学家安德烈・海姆(Andre Geim),今年(2010年)就因为“二维石墨稀材料的开创性实验”而成为了真正的诺贝尔奖物理学奖的得主。

ノーベル賞が褒め称えるのは夢をかなえた人だが、激励するのは夢を持った多くの人々である。

诺贝尔奖奖励的是个别梦想成真的人,而激励的却是众多拥有梦想的人。
2010年10月10日
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by tubomim | 2010-10-17 22:48 | 2010年 | Comments(4)
ノーベル賞(诺贝尔奖)上
今年、また二人の日本人科学者がノーベル賞に選ばれ、これで通算18名の日本人がノーベル賞を獲得したことになった。
今年又有两位日本科学家获得了诺贝尔奖,至今已经有18位日本人获得了诺贝尔奖。

息子の小象が5~6歳の時に、日本人白川秀樹氏が導電性高分子の発見と発明によりノーベル化学賞を獲得されたので、テレビではこの事を毎日繰り返し放送した。テレビを見ることが好きな小象はある日、見ているうちに突然庭で草刈をしている大象に向かって「父さん、僕もノーベル賞を取ってあげるからね。」と言った。それを聞いた大象はぱっと振り返って「今、何と言った?!」そこで小象はまた改めて言った。息子が何を言ったのかは覚えていないが、その時に細くなった彼の父親の目は今でもはっきり覚えている。
记得在儿子小象5~6岁那年,日本人白川英树因为导电性高分子的发现与发明获得了诺贝尔化学奖,电视节目里每天反复进行播放。喜欢看电视的小象,一天看着看着节目,突然对在院子除草的大象喊道:“爸爸,我也要给你拿个诺贝尔奖!”听得大象猛回头“儿子,你说什么?!”小象又重复了一遍,儿子说的什么记不清了,只记得当时他老爸的眼睛眯成了一条缝儿。

その晩、私と小象はベッドでまたこの話題について話した。「小象、君は将来何を発明したいの?」小象があれこれと思いめぐらしていうちにいきなり稲妻が光り、その後雷鳴が轟いた。びっくりした小象は驚いて私の胸の中に飛び込んできた。雷鳴が過ぎた後、彼は「僕は稲妻を研究する。これを使って発電できるかな。ほら、すごいエネルギーでしょ。」「でも、空の上じゃ届かないでしょう。それに一瞬で過ぎ去ってしまうでしょう。どうやって研究するの…」話しているうちにこんな結論にたどりついた。「どういう場合に稲妻が発生するかを調べて、同じ条件を作り上げて、地上や室内で発生させたものを集めて、それから発電に使えるかどうか試す。」そんなことを言っているうちに彼は夢心地へと入ってしまった。私も子どもとの楽しい想像を楽しんだ。
当晚,我与小象在床上又提起了这个话题,“儿子,将来你发明个什么呢?”正当小象胡思乱想的时候,突然来了几道闪电紧接着是轰轰雷鸣,小象吓得躲在我的怀里。待电闪雷鸣过后,他说“我就研究闪电,看看能不能用它发电,你看它有多大的Energy呀。”“那,闪电在天上你够不着呀,再说一闪就过去了,你怎么抓来研究呀……”母子俩个异想天开地聊着“先研究一下它什么情况下打闪,给它创造一个同样的条件,让它在地上打,在房间里打,然后收集起来看看能不能发电。”说着说着儿子进入了梦乡,我也享受了一场与儿子的天方夜谭。
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by tubomim | 2010-10-17 22:38 | 2010年 | Comments(2)
僕の夢は(我的梦)
運動は苦手ですけど、夢は野球選手、今でも。。。
虽然不太会运动,但当棒球选手却是我的梦,现在也。。。
雖然不太會運動,但當棒球選手卻是我的夢,現在也。。。

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キャッチ!
来~吧!
來~吧!
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準備できたかい。
准备好了吗?
准備好了嗎?
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いくぞ!
接球!
接球!
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ビュ~
嗖~
嗖~
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いかが。
怎么样?
怎麼樣?
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たのしかった!
真好玩!
真好玩!

小象6岁
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by tubomim | 2006-11-01 20:32 | 2000年 | Comments(28)
美しいママ(美丽的妈妈)
 先日数年ぶりに映画を見に行った。というのは題名がは前から聞いていたあのドキュメンタリー「蟻の兵隊」だったから。
 帰り,新宿から電車に乗り、発車する直前に一人のきれい女性が隣のドアに走り込んできた。このきれいな女性、どこかで見たことがある。絶対ある!電車に揺られながら、記憶の箱を掘り出して探した。
  前几天相隔数年去看了一场电影,因为电影的名字就是早就听说的那部记录片《蚂蚁部队》
  回来时从新宿上车,开车前一位漂亮的女人跑着钻进了隔壁的车门。谁?这个漂亮的女人,在哪里见过,绝对见过! 随着车厢的摇晃,开始在记忆里搜寻。


 あっ!見つけた!あ、分かった、とうとう記憶の箱の中から見つけた。小象の保育園の友達のお母さんだ。当時同じ0歳保育で、赤ちゃんを預けた後一緒に電車に乗って、都内の職場へ向かったことが何回かあった。このママはすごい。大型船の免許の持ち主だと聞いた。もちろん休日に子供を連れて、一緒に出かけたこともあり、けっこう楽しかった。
  啊! 找到了! 她是小象保育园小朋友的妈妈。当时因为都是0岁入托,有几次放下孩子后我们曾一起乘车前往东京都内的工作场所。这位妈妈本事可大呢! 听说还有驾驶大型客船的执照。当然休息天我们也常一起带孩子出去,玩得特别快活。

 二年後このママはめでたくなり又おめでたで、今度は女の子!朝二人のお子さんとその荷物、また自分の荷物を身につけて、保育園に辿りつく。この頑張るママに会ったら、私はいつも猫の手を伸ばした救いの手を差し伸べた。しかしその後もう一緒に電車に乗れない。乗れることがなかった。彼女は常勤をやめ、近くの事務所パートに切り替えたのだ。でも週末のスイミングスクールでまた会える会うことができた。その時に彼女は下の子を抱っこしながら、上の子の練習を見守っていた。
  二年后,这位妈妈又有喜了,这回是个女孩! 早晨带着两个孩子身上挂满了孩子及自己的东西一步步挪到保育园。每次见到这位吃力的妈妈,我都会自然地伸出帮忙的手。但那之后我们就不能再一起乘电车了,因为她已经辞去了那个正式的工作,改在附近的办公室里作小时工了。但周末我们在孩子的游泳班上还能见面。她一边抱着小的,一边看大的在练习。

 さらに1年後、彼女はまたお腹が膨らんできた!しばらくしたら、彼女と彼女のお母さん(お婆ちゃん)が3人の子供を連れて、保育園に向かうようになった。一人を抱っこ、一人をベビーカーに、そしてもう一人は手を繋いで歩く。荷物いっぱい背負っているさすがの彼女も乱れが覗かれた。それでも精一杯の努力で、から揚げなど手作り料理を持って、3人のお子さんを連れて、家へ遊びにきてくれた。今はパートもできなくなり、実家の手伝いをしている。正確に言うと旦那さんが海外にいるので、実家の手伝いというより実家に手伝ってもらっているのだ。
  再一年后,她又发福了! 没多久就变成她和她妈妈(姥姥或外婆)带着3个孩子去保育园了。身上抱一个、车里推一个、地下领着手还走着一个。看着背着大包小包的她,即使再能干也不免显得有点乱套了。就是这样她还是尽了最大的努力,曾揣着亲手作的炸鸡块,带着3个孩子到我家来玩。她说现在小时工也不作了,只能邦助娘家作点事。与其说是帮助娘家,准确地说,老公不在日本国内的她要靠娘家帮忙了。

 と言いながら、このママはその後また神様から宝物を授かった!今度彼女から電話があった。「すみません、お金を預けるから、いつか外へラーメンを食べに行く時に、家の長男も連れていってもらえませんか。外でラーメンを食べたいといつも言っているから。」そうよね、小さいお子さん4人もいたら、レストランに行くだけでも大変なことになるよね。ある日このママが長男の小学校授業参観に出かけたため、保育園の前で3人の小さいお子さんを送るお婆ちゃん、そして応援参戦するお爺ちゃんの姿も目撃した。「大変ですね!」と思わず溢したら、おばあちゃんは「でもみんな可愛いいんだもん、もうちょっとの辛抱だよ。」と教えてくれた。ますます痩せ、完全に乱れたこのママを見て、この辛抱の深刻さを再度確認させてもらったられた。
  尽管如此,其后上帝又给这位妈妈送来了小宝贝! 这次她打来电话:“对不起!把钱交给你,什么时候你们出去吃面条,能把我家老大带上吗? 因为他老吵着要出去吃面条。”是呀,如果有了4个这么小的孩子,就是去外面餐厅吃一顿饭也不是容易之举呀。一天因为这位妈妈去老大的小学参加授课观摩活动,在保育园前我看到了前来送下面3个小孩子的姥姥及参战救援活动的老爷。我不由得嘴里滑出:“真不容易呀! ”。姥姥说:“但实在都太可爱了,再坚持一下就好了! ”看着越来越消瘦的,完全乱套的这位妈妈,我再次体味了这坚持一下的艰辛。

 でも先ほど見たあのきれいな、いいえあの美しい女性は間違いなく彼女だ。久しぶりに会った彼女は長年の育児から脱出して、社会に復帰したのだ!この開放感が全身に溢れ、一目で受信できる美しさが輝いたのだ。
 同じ駅で降りたが、呼び止めることをしなかった。可愛いお子様が4人もお家でこのママを待っているから。
  但是,刚才看到的那个漂亮女人,不,那位美丽的女人无疑就是她。久违的她终于摆脱了多年带孩子的艰辛,又回到社会上来了! 这种解放感充满了她的全身,闪烁着看一眼就能感受到的光辉。
  我们在同一车站下车,我没有去叫她。因为我知道那4个可爱的宝贝在家里正等着这位妈妈呢。

                                         2006年10月2日
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追加:「蟻の兵隊」は戦争の話題で、ちょっと重い内容ですが、中で私は一人のたんたんとした仏様のようなお母さんを見つけました。
补充: 《蚂蚁部队》是一部关于战争的片子,内容有些沉重。但我在里面看到了一位平静豁达的菩萨一样的母亲。

>630叔叔さん:いろいろ教えていただきありがとうございました!
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by tubomim | 2006-10-02 20:18 | 2006年 | Comments(68)
お父さん酔っ払う(爸爸醉酒)
 私の息子の小象とその友人の小龍は、大の仲良しだ。年の違いは2ヶ月少しで、双方の家は徒歩20分もかからないところにある。一日中一緒に遊び、二人のひとりっこは本物の兄弟よりも仲良しだ。あまりにも二人が仲良しだったので、親たちもすっかり親しくなった。子どもたちが二つの家庭を結びつけたのだ。
  这小哥俩一个是我儿子小象,一个是他的好友小龙。年龄相差两个多月,两家走来相距不到二十分钟。一天到晚粘在一起,两个独生子好得胜似亲弟兄。孩子的亲密无间导致了大人的息息相通,一对小兄弟牵着两家心。
  這小哥倆一個是我兒子小象,一個是他的好友小龍。年齡相差兩個多月,兩家走來相距不到二十分鐘。一天到晚粘在一起,兩個獨生子好得勝似親弟兄。孩子的親密無間導致了大人的息息相通,一對小兄弟牽著兩家心。
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 夜、小龍のおかあさんがぷりぷり怒って電話をかけて来て、小龍のおとうさんについての不満を訴えた。あのおとうさんに何の不満があるのだろうか?無口で、ペコペコすることしかできず、お酒もたばこも嗜まない、性格の穏やかな、まじめに仕事に励み、堅実に生活をおくる真人間なのに。実は、昨晩、小龍のおとうさんの会社で集まりがあり、カラオケにでかけたのだった。小龍のおとうさんはわざわざ小龍のおかあさんと小龍を迎えに戻って来た。費用は会社が半分出すことになっていたが、それでも小龍のおかあさんはそんな騒ぎには付き合いたくないと思っていた。しかし結局、思いがけないことに社長自らが車を運転して誘いに来たので、体裁を気にして、小龍を連れて出かけて行った。あろうことか、お酒を飲んだことのない小龍のおとうさんは2杯も飲まないうちにすっかり人が変わってしまった。喋ったり歌ったりするだけでは気が済まず、おかあさんと子どもを無理やり引っ張ってステージに上り醜態をさらしただけでなく、言うことを聞かない子どもを怒鳴りつけた。怒ったおかあさんは、口実を設けて、驚いている子どもを連れて早々と帰ってしまった。一方、おとうさんは明け方になってようやくタクシーで帰って来ると、どさっと畳の上に倒れこみ、おかあさんが夕方仕事から帰って来ても、まだそこでいびきをかいていた。おかあさんが慌てて会社に電話で問い合わせると、案の定一日中出勤していなかったことがわかった。しかも、会社の携帯電話も酔った勢いでなくしてしまい、目を覚ましてから問い詰めても、全くどうしたのかわからない。ひっそりとした部屋の中で、反省している父と、腹を立てている母を、小龍はじっと眺めていた。
  晚上小龙的妈妈气呼呼地打来电话告了小龙爸爸一状。有什么状可告呢?一个难得开口,只会鞠躬,不抽,不喝,不急,不恼,认认真真干活儿,踏踏实实过日子的老实人。原来小龙爸爸所在的公司昨晚聚会去唱卡拉OK,小龙爸爸特意回来接小龙妈妈和小龙一起去,费用由公司出一半,即使这样小龙妈妈也不愿意去凑这个热闹。结果没想到社长亲自开车来请,碍着面子就带着小龙去了,可谁知从不沾酒的小龙爸爸喝了没两杯就整个变了一个人。又说又唱还不尽兴,硬拽着老婆孩子一起登台现丑,孩子不从,他还又骂又吼。气得老婆带着受惊的孩子借故早早退场,而他清晨才乘着出租车回来,一头栽倒在榻榻米上,直到小龙妈妈傍晚下班回来还在那里打鼾。小龙妈妈急忙打电话去公司询问,果真一天没去上班,还把公司的手提电话喝得无影无踪。醒后质问全然不知。静静的屋里,小龙两眼巴巴望着父母,一个在悔,一个在恨。
  晚上小龍的媽媽氣呼呼地打來電話告了小龍爸爸一狀。有什麼狀可告呢?一個難得開口,只會鞠躬,不抽,不喝,不急,不惱,認認真真幹活兒,踏踏實實過日子的老實人。原來小龍爸爸所在的公司昨晚聚會去唱卡拉OK,小龍爸爸特意回來接小龍媽媽和小龍一起去,費用由公司出一半,即使這樣小龍媽媽也不願意去湊這個熱鬧。結果沒想到社長親自開車來請,礙著面子就帶著小龍去了,可誰知從不沾酒的小龍爸爸喝了沒兩杯就整個變了一個人。又說又唱還不盡興,硬拽著老婆孩子一起登臺現醜,孩子不從,他還又罵又吼。氣得老婆帶著受驚的孩子藉故早早退場,而他清晨才乘著計程車回來,一頭栽倒在榻榻米上,直到小龍媽媽傍晚下班回來還在那裏打鼾。小龍媽媽急忙打電話去公司詢問,果真一天沒去上班,還把公司的手提電話喝得無影無蹤。醒後質問全然不知。靜靜的屋裏,小龍兩眼巴巴望著父母,一個在悔,一個在恨。

 夕食のとき、私は小龍の家の話をうちのテーブルに運び出した。翌日、夫が子どもを保育園に送って行ったとき、こう言って小龍を慰めた。「本当は、小象のおとうさんだってお酒を飲んで、よくわけのわからないことをするんだよ。」小象は夕方家に帰るとこんな話をした。小龍が保育園で小象を呼びつけて、この数日に彼の家で起こった出来事を話そうとしたので、小象は「言わないで。ぼくもう知ってるから。」と言ったのだそうだ。私は尋ねた。「それで?」「ぼくたち、今日指きりしたんだ。」「どうして?」「大きくなったらね、二人ともお酒は飲まないって。飲んだ人はお父さんになっちゃいけないって。」お酒を飲んで酔っ払うお父さんたちは、酔っていないときに、子どもたちのこの「桃園の誓い」がきこえるかしら。
  晚上我就把小龙家的故事搬上了我家的饭桌。第二天老公送孩子去保育园时就安慰小龙:“其实小象的爸爸喝了酒也常常做些莫明其妙的事情。”小象晚上回来就讲,小龙在保育园里把他叫到一边,要告诉小象他家这两天发生的事情,小象说:“你别说了,其实我都知道了。”我问:“后来呢?”“妈妈,我们俩今天拉钩了。”“为什么?”“长大后我俩谁也不喝酒,谁喝谁就别当爸爸!”醉酒的爸爸们清醒时可曾听到孩子们的这段「桃园结义」?
  晚上我就把小龍家的故事搬上了我家的飯桌。第二天老公送孩子去保育園時就安慰小龍:“其實小象的爸爸喝了酒也常常做些莫明其妙的事情。”小象晚上回來就講,小龍在保育園裏把他叫到一邊,要告訴小象他家這兩天發生的事情,小象說:“你別說了,其實我都知道了。”我問:“後來呢?”“媽媽,我們倆今天拉鉤了。”“為什麼?”“長大後我倆誰也不喝酒,誰喝誰就別當爸爸!”醉酒的爸爸們清醒時可曾聽到孩子們的這段「桃園結義」?

2000年5月15日
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by tubomim | 2006-06-17 00:23 | 2000年 | Comments(20)
おかげ(多亏)
 私たちが住んでいる場所は東京からいくらか離れていて、外国人は少なく、国際感覚もあまり豊かではない。息子が0歳で保育園に入ったとき、園内にはそれまで外国人はいなかった。それに、彼の父親の祖先が何世代にもわたりずっと地元の人だったので、周りでは誰も彼を外国人とは思わなかった。
  我们这里离东京有段距离,外国人不多,国际意识不强。儿子0岁入保育园时,园里不曾有过外国人。再加上他爸爸祖上几代都是当地人,周围谁也就没把他当成外国人。
  我們這裏離東京有段距離,外國人不多,國際意識不強。兒子0歲入保育園時,園裏不曾有過外國人。再加上他爸爸祖上幾代都是當地人,周圍誰也就沒把他當成外國人。

 ところが、このところ、この小さな駅で、多くの中国人に出会うことができるようになった。聞くところでは、この付近の丘陵がシリコンバレーのようになり、コンピュータ関係の中国人技術者が絶えずここへ押し寄せてきているのだという。このことの真偽はわからない。しかし、たしかに保育園には毎年のように中国人の子どもが入園している。それと同時に、皆の国際感覚も絶えず強まってきている。まず、言葉によるコミュニケーションが必要であると気づいて、息子が掘り出されて通訳をすることになった。最近は通訳だけでなく、先生も務めている。保育園では、ひっきりなしに入園してくる中国人の子どもを歓迎するために、先生が皆に中国語を学ぶようはたらきかけた。各クラスが順番で息子にいくつかの言葉を習い、さらに絶えず誰かが彼をつかまえて尋ねる。「中国語ではこれはどう言うの?あれはなんと呼ぶの?」先日、私は息子にどうしても中国の子どもの遊びをいくつか教えてほしいと言われた。なんでも、「ハンカチ投げ」や「大根引き」では日本の遊びとあまり変わらないからだめだそうで、どうしても中国らしいものをいくつか教えてほしい、と言うのだ。しかし、悲しいかな、私はあの文化大革命の中でいかんともしがたい子供時代をすごしたのだ。
  可是,近年来在这个不大的车站,却能遇到不少的中国人。据说这附近的丘陵已成硅谷,中国电脑科技人员在不断地向这里进军,谁知真假。但保育园确实年年都有中国小朋友入园,随之大家也在不断地加强国际意识。首先意识到需要语言的沟通,儿子便被挖掘出来充当小翻译。最近不光是当小翻译,还当了小先生。保育园为了欢迎接连不断入园的中国小朋友,老师组织大家学中文。各班都轮流让儿子去教几句,还不断有人拽着他问:“中文这个怎么说?那个怎么叫?”儿子前两天非要我教他几个中国的儿童游戏。“丢手绢”、“拔萝卜”还对付不了,据说和日本的差不多,非要来几个有中国特色的,可怜我那文革中度过的无奈童年。 
  可是,近年來在這個不大的車站,卻能遇到不少的中國人。據說這附近的丘陵已成矽谷,中國電腦科技人員在不斷地向這裏進軍,誰知真假。但保育園確實年年都有中國小朋友入園,隨之大家也在不斷地加強國際意識。首先意識到需要語言的溝通,兒子便被挖掘出來充當小翻譯。最近不光是當小翻譯,還當了小先生。保育園為了歡迎接連不斷入園的中國小朋友,老師組織大家學中文。各班都輪流讓兒子去教幾句,還不斷有人拽著他問:“中文這個怎麼說?那個怎麼叫?”兒子前兩天非要我教他幾個中國的兒童遊戲。“丟手絹”、“拔蘿蔔”還對付不了,據說和日本的差不多,非要來幾個有中國特色的,可憐我那文革中度過的無奈童年。

 新しく来た中国人の子どもはみな、教えなくても自然に日本語を覚え、何日か姿を見ないうちにもう日本人の子どもの中に融けこんでしまっている。ただ掘り出された私の息子だけが相変わらず新しく来た子どものために、中国語を日本語に訳したり、日本語を中国語に訳したりしなければならない。先週、また中国人の子どもがやって来た。自己紹介をするときに、先生は友好を表すためにわざわざ息子に日本語と中国語の両方でそれぞれ1度ずつ話させた。そして、新しくやって来た中国人の子どもの番が来たとき、その子が話したのは日本人の子どもと変わらない日本語だったのだ。子どもたちにはもういったい誰が何人なのかわからなくなっている。中国人の子どもというと、先生も、保護者も、子どもたちも、たぶん真っ先に私の息子を思い浮かべるだろう。
  新来的中国小朋友个个日语不教自通,几日不见,便已融进日本小朋友之中。只有被挖掘出来的我那儿子接长补短地要为新来的小朋友中翻翻日,日翻翻中。上星期又来了中国小朋友,为了表示友好,自我介绍时,老师特意让儿子用中日两国语各讲了一遍。轮到新来的中国小朋友,上来就是一套和日本小朋友相差无几的日语。小朋友们已经弄不清到底谁是哪国人。提到中国小朋友,老师、家长、小朋友们大概首先会想到我儿子。
  新來的中國小朋友個個日語不教自通,幾日不見,便已融進日本小朋友之中。只有被挖掘出來的我那兒子接長補短地要為新來的小朋友中翻翻日,日翻翻中。上星期又來了中國小朋友,為了表示友好,自我介紹時,老師特意讓兒子用中日兩國語各講了一遍。輪到新來的中國小朋友,上來就是一套和日本小朋友相差無幾的日語。小朋友們已經弄不清到底誰是哪國人。提到中國小朋友,老師、家長、小朋友們大概首先會想到我兒子。
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 今日、息子を迎えに行くと、ちょうど一人の子どもに「きみは何人なの?どうして中国語が話せるの?」と尋ねられているところだった。「それは、ぼくのおかあさんが中国人……」息子の言葉は終わっていなかった。彼は「ぼくのおかあさんが中国人」の後に、きっと「だから」と自然に思ったが、なんと、誇らしげに「のおかげ」とつなげたのだ。この誇らしげな「おかげ」と言う言葉を聞いて、私は思わず息子を抱きしめて、長い間有頂天になっていた。
  今天去接他时,正赶上一个小朋友问他是哪国人,为什么会说中国话?“我妈妈是中国人”儿子的话并没完,我以为他在“我妈妈是中国人”后面,一定是接“因为”,可他出乎我的意料很自豪地接了一个“多亏”。这个自豪的“多亏”让我情不自禁地搂过儿子得意了好久好久。
  今天去接他时,正赶上一个小朋友问他是哪国人,为什么会说中国话?“我妈妈是中国人”儿子的话并没完,我以为他在“我妈妈是中国人”后面,一定是接“因为”,可他出乎我的意料很自豪地接了一个“多亏”。这个自豪的“多亏”让我情不自禁地搂过儿子得意了好久好久

2000年2月8日
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by tubomim | 2006-06-14 23:38 | 2000年 | Comments(23)
浮き輪(救生圈)
 私は1人で息子と友人の娘を連れてスイミングセンターに泳ぎに行った。4歳の息子はもう何度も来たことがあったので、浮き輪の穴にもぐりこむと自動的に流れる水流に乗って水を得た魚のようにぷかぷかと流されていった。しかし、初めて来た友人の9歳の娘は、やっとのことで水の中に入ったが、私にしがみついて下りようとしない。ちょうどその時、息子が嬉しそうに手足をばたつかせながら水流に乗ってまた戻ってきた。ふと見ると、友人の娘は溺れる人がわらにもすがるように彼の浮き輪をぐいっとつかんだ。
 そこで、私は息子をプールサイドに待たせ、彼の浮き輪を無理やりお姉ちゃんにかぶせると、泳ぎながら押していった。ぐるりと1周泳いで戻って来ると、もう一周泳ぎたいと言う。2周泳いで戻って来ると、もう私が助ける必要はなかった。3周泳いで戻って来た彼女は、捕まえようと思っても捕まえられなかった。プールサイドにいた息子は待ちくたびれて、追いかけながら大声で叫び、館内の管理人を驚かせた。そこで、彼女はいやいやながら浮き輪を外して息子にかぶせた。私は息子の世話をしながら、真剣に彼女に泳ぎ方を教えざるを得なかった。
 初めのうちは、彼女は私の腕に掴まらなければならなかった。しかし、だんだんと私の手をつかませ、最後には形だけ指を1本さしのべてやった。私が絶えず励まして、手本を見せ、指導するうちに、彼女はついに自分から前に突き進むようになった。第一歩をやりとげれば、第二歩も‥。彼女はもうあの浮き輪に目をやらなかった。
 浮き輪は息子を乗せて、水面に安らかに漂っていた。帰り道、私は一方の手で、浮き輪がないので自分で5掻きか6掻き泳ぐことを覚えた友人の娘の手を引き、もう一方の手で、浮き輪を持っていたために浮かぶことしかできない息子の手を引いていた。私は思わずその浮き輪が少しばかり恨めしいと思った。
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  一个人带着儿子和朋友的女儿去游泳馆游泳。4岁的儿子因来过几次,钻进救生圈如鱼得水般地随着自动流动的水流漂走了。而朋友9岁的女儿是第一次来,好不容易下了水,缠在我身上就是不下来。就在这时儿子高兴地摇摆着手脚随着水流又漂回来了,只见朋友的女儿像发现救命稻草一样一把抓住他的救生圈。
  于是,让儿子在池边等着,把他的小救生圈勉强套在姐姐身上,我边游边推着她走。一圈游回来,她还要游一圈。两圈游回来,她再不用我了。三圈游回来,想抓也抓不住她了。儿子急得在池边边追边喊,惊动了馆内管理人员。于是,她很不情愿地退下救生圈给弟弟戴上。我只好一边照看儿子,一边认真地教她游泳。
  开始她非要抓住我的胳膊,渐渐让她抓住我的手,最后象征性地伸给她一个手指头。在我不断地鼓励、示范、诱导下,她终于自己向前扑去。有了第一步,就有第二步……她不再顾盼那个救生圈。
  救生圈载着儿子在水里无忧无虑地漂着。回来的路上我一手领着因为没有救生圈而学会自己游五、六步的朋友的女儿,一手领着因为有救生圈而只会漂的儿子。我不由得有点儿恨那个救生圈。


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 日本語学科を卒業してから日本に留学した私たちをみなはよく水を得た魚のようだと言う。でも実際は、考えてみると何だか浮き輪と同じように思える。それがあるから、波に身を任せて流れてゆける。もがき、戦い、勇敢に突き進む過程がなければ、一人で生き延び、困難を乗り越えて勇敢に邁進する情熱と勇気もなくなってしまう。
 昔の級友を見ると、あのころ「浮き輪」を身に着けて日本に乗り出したために、苦しみの中でもがくことは免れたかもしれないが、10数年がすぎても、まだ相変わらず中国語を教えたり、通訳をしたり‥。この浮き輪から勇気を持って飛び出して、独立して事業を興した者は少ない。日本に来た日本語学科の卒業生は数多いが、本当に水を得た魚のように、元気溌剌と、頭角を現す勇気を持てたものは多くはないようだ。
 今、新しく来る留学生は私たちの時代とはもう同じではない。私たちの時代は1銭銅貨を2つに折って使いたいと思うほど倹約したが、彼らは来日する時にもう数10万~数100万もの日本円を懐に忍ばせている。そして「両親が自分たちを日本にやるのは、勉強させるためであって、苦労をさせるためではない」と言う。お金があれば、彼(彼女)は苦労をしなくてすむかもしれないが、同時に、苦労の中から幸せを味わうこともできない。世間の人たちは、私たちが苦労の中からたくさんのものを得たことを知らないのかもしれない。私たちの世代の留学生を見ると、今、道を切り開いている者はみな自分の奮闘の歴史を持っている。家財を使い尽くして日本に来た者は、多かれ少なかれ中途半端である。
  大家常把我们这些日语专业毕业后来日本留学的人称之为如鱼得水。其实想想也有些救生圈的感觉。因为有了它,就能随波逐流。缺少挣扎、拼搏、勇进的过程,也就没有了独立求生、劈波斩浪、勇往直前的激情和勇气。
  看看昔日的老同学,由于当年套着“救生圈”下东洋,可能免去了水深火热中的挣扎,然而十几年过来了,还一直是教教中文、作作翻译……敢于冲出这个圈,独立创业的少。日语专业毕业后来日本的为数不少,可真的如鱼得水、欢蹦乱跳、敢跃龙门的好象为数不多。
  现在新来的留学生和我们那时已不同了。我们那时恨不得一分钱掰成两半花。他们来时就揣着几十万~几百万日元,声称:“父母就是让我们来读书,不是来受苦的。”钱也许使他(她)免去了吃苦,同时也就尝不到苦中甜。世人也许不知我们苦中受益匪浅。看看我们这一代留学生,凡如今闯出自己一条路者,必有他的奋斗史。倾家荡产供其来日者,又有多少不了了之。


 実際、何事につけても、そういうものではないだろうか。浮き輪を身に着けて泳げば溺れ死ぬことは当然少ないだろうが、浮き輪を着けて水泳大会で優勝を勝ち取った者は一人もいないし、競技に出場する資格さえない。
 年末に駅前の体育館に冬季水泳短期コースが設けられ、私は息子のために申し込みをした。たった4回の訓練だったが、浮き輪をやめる勇気を持つことができた。数日前、私たちと幼稚園のお友達とそのお母さんとで、またあのスイミングセンターに泳ぎに行った。息子は、今回は自分から浮き輪をお友達に譲り、私に自分を支えさせて泳いだ。泳ぐほどに大胆になり、最後には爪先立って首を伸ばし、顔を上に向けてどうにか水面から出そうとして、私の手を振り払った。そして、一歩一歩と前に進もうとして、嬉しそうに叫んだ。「ママ、ほら早く見て。大人と同じだよ。浮き輪がなくても自分で歩けるよ!」ふと見ると息子は小さな勇者のように一歩一歩と前進していた。出てきた時、息子は言った。「この浮き輪はもういらない。お友達にあげるよ」。しきりにお礼を言うお友達のお母さんに、私は慌てて言った。「お宅の坊やに早く泳ぎを覚えさせたいなら、浮き輪をあまり使わないほうがよいですよ」。
  其实万事又何尝不是如此?套着救生圈游泳淹死的固然少,可套着救生圈夺得游泳冠军的一个也没有,甚至都没有参加比赛的资格!
  年底车站前体育馆举行冬季游泳短训班,我给儿子报了名。虽然只有4次,却训练出了扔掉救生圈的勇气。前几天,我们和幼儿园的小朋友及小朋友的妈妈又去那个游泳馆游泳。儿子这次主动把救生圈让给小朋友,让我扶着他游,越游越胆大,最后试着踮着脚尖,伸长脖子,把脸仰起将能露出水面,就甩开我的手,一步一步地试着往前走,并高兴地大喊:“妈妈,你快看我和大人一样了,不用救生圈也能自己走啦!”只见儿子小勇士般地一步一步地向前走去。出来时,儿子说:“这个救生圈不要了,送给小朋友吧。”小朋友的妈妈直道谢。我忙说:“要想让你儿子早日学会游泳,最好少用救生圈。”

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1999年2月15日
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by tubomim | 2006-06-12 21:38 | 1999年 | Comments(26)
子どもに話す昔話(我给孩子讲故事)
 20年前から日本語を勉強し始め、いままで人生のほど三分の一を日本で過ごしてきた私だが、子どもに絵本を読んでやるのはやはり苦手だ。私は日本語で本を読んだり、新聞を読んだり、さらには大学で講義することもできるのに、自分の子どもにひらがなだらけの絵本を読んでやることだけはどうもうまくできない。だから、子供が生まれてから絵本を読むのはずっとこの子の日本人のお父さんに引き請けてもらった。
 でも、私も母としての責任を果たすべきではないだろうか?そこで選択したのが昔話であった。しかし、日本の昔話では、やはり息子にかなわない。「また桃太郎?お母さん、もういいよ。僕がお話してあげる。」そこで私は短所をさけ、長所を活かし、わが中国の昔話をすることにした。今回、私は中国語で機嫌よく話せたし、息子も夢中になって聞いてくれた。しかし、何回か話しているうちに、頭の中に貯金されていた昔話はもう残り少なくなってきてしまった。
  给孩子读“绘本(连环画)”是我的短项,虽然我20年前就开始学习日文,以往人生的三分之一已在日本度过。能用日语读书、看报、甚至能给大学生讲课,却不能给自己的孩子读好那假名连串的“绘本”。故自孩子出生以来,读“绘本”的工作,就全让他那日本爸爸承担了。
  可我也应该尽点当妈妈的责任呀。于是,我选择了讲故事。可日文故事还是讲不过儿子,“又是桃太郎,妈妈,干脆我来给您讲一个吧!”我决定扬长避短,给他讲讲咱们中国的故事,这回我用中文讲得特别带劲儿,儿子听得格外入神儿。可惜讲了几次,我脑子里记存的故事就所剩无几了。

  給孩子讀“繪本(連環畫)”是我的短項,雖然我20年前就開始學習日文,以往人生的三分之一已在日本度過。能用日語讀書、看報、甚至能給大學生講課,卻不能給自己的孩子讀好那假名連串的“繪本”。故自孩子出生以來,讀“繪本”的工作,就全讓他那日本爸爸承擔了。
  可我也應該盡點當媽媽的責任呀。於是,我選擇了講故事。可日文故事還是講不過兒子,“又是桃太郎,媽媽,乾脆我來給您講一個吧!”我決定揚長避短,給他講講咱們中國的故事,這回我用中文講得特別帶勁兒,兒子聽得格外入神兒。可惜講了幾次,我腦子裏記存的故事就所剩無幾了。

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    すでに何回も聞いたよ
    都听好几回了


 ある日、息子がまた昔話をしてくれといいねだってきた。もう頭の中の貯金を使い果たした私は、小さいころよく聞いたあの「昔々、ひとつの山がありました、山の中に洞穴がありました、洞穴の中に甕(昔、食料などの保存に使われた焼き物の容器)がありました……」(この後、甕の中に・・・と続き、いつまでたっても終わらないようになっている。)という古い手を使ってごまかそうとした。すると意外にもこの古い話は息子にとってはとても新鮮に受けて、何回か話すうちに、最後に息子との共演になった。私が先に前半部分を話すと、息子が大きな声で「山」とか「洞穴」と続き、最後のあの「豆」まで埋めてきて、二人は笑い転んでしまった。一通り笑った後で息子が「甕って何?」と聞いた。「甕っていうのはねえ……」この時、私は甕が私たちの生活の中からほぼ消えてしまっていることに初めて気がついた。私の記憶の中の甕は、水を入れる甕、米を入れる甕、面類を入れる甕などたくさんあった。私はいろんな手を使って、息子にわかってもらえるように説明してみた。また時間をかけて絵も描いてみたが、それを見て息子は茶碗だという。茶碗よりもっと大きいものだというと、息子はそれなら洗面器だと言う。一代しか違わないというのに、どうして共通理解ができないのだろうか。私が小さいころは、はっきりと知っていた甕を、息子に分からせることができないなんて!逆に私たちの小さいころには疑問にならなかった息子の疑問は、私に時代の変遷を改めて感じさせた。
  有一天,儿子又闹着讲故事,我实在想不出来了,就把我小时候常听常讲的“从前有个山,山里有个洞,洞里有个缸……”这个老掉牙的故事搬出来应付儿子。没想到这个古老的故事对他特别新鲜,讲了好几遍,最后成了我们的共同表演。我先每句开个头,他来大声填上“山”呀、“洞”呀……乃至最后那颗“豆”。把俩人笑得前仰后合,笑完儿子问,“缸是什么呀?”“缸……”我这才发现缸几乎从我们现实生活中消失了。我记忆中的缸,有水缸、米缸、面缸……我想尽办法力图给儿子说明,又画了半天,他说是碗,我说还要大,他说那一定是盆。只差了一代,怎么就失去了共识?我小时候明明白白的一个缸,就没法让我儿子明白。倒是儿子一个不曾是问题的问题,让我明白了时代的变迁。
  有一天,兒子又鬧著講故事,我實在想不出來了,就把我小時候常聽常講的“從前有個山,山裏有個洞,洞裏有個缸……”這個老掉牙的故事搬出來應付兒子。沒想到這個古老的故事對他特別新鮮,講了好幾遍,最後成了我們的共同表演。我先每句開個頭,他來大聲填上“山”呀、“洞”呀……乃至最後那顆“豆”。把倆人笑得前仰後合,笑完兒子問,“缸是什麼呀?”“缸……”我這才發現缸幾乎從我們現實生活中消失了。我記憶中的缸,有水缸、米缸、面缸……我想盡辦法力圖給兒子說明,又畫了半天,他說是碗,我說還要大,他說那一定是盆。只差了一代,怎麼就失去了共識?我小時候明明白白的一個缸,就沒法讓我兒子明白。倒是兒子一個不曾是問題的問題,讓我明白了時代的變遷。
 
 この話は、きっと古すぎるんだわ、甕の説明には、考古学まで引っ張り出さないといけないのかもね。次に、私は記憶になお新しい「高宝玉のお話」(昔貧しい農村の子供が勉学を渇望するお話)を息子に聞かせた。あの「勉強したいんだ!」という主人公の叫び声が当時私の止まらない涙を誘ったことを覚えている。案の定、私が話し始めると、息子の涙も枕元まで流れた。今度こそ共鳴できたのね!話し終えると、息子はその小さな手で涙を拭いながら、私に聞いてきた。「高宝玉はどこに住んでいるの?」「農村よ。」「農村の郵便番号は?」「郵便番号?」「うん、高宝玉君に宅急便を送ってあげるんだ。」私の小さいころはどうして泣くことしかできず、自分の勉強できるチャンスを大切にしなければということしか思いつかなかったのだろうか。しかし息子は宅急便を使って自分の幸せを高宝玉に分け与えて一緒に楽しんでもらうことまで考えている。次の日、私たちは息子の希望通りに高宝玉に宅急便を送った。住所は……「希望工程」(貧困地区の子供たちに勉学の機会を与えるための慈善活動)の勉学を渇望する農村の子ども宛てにした。
 私が息子に昔話をする中で、息子も私にいろいろなことを教えてくれたような気がした。
  看来那个故事太古老了,要想讲明白也许得去考古了。这次讲了一个我记忆犹新的《高玉宝的故事》。记得“我要读书”那一声呐喊,当时唤出了我止不住的泪水。果真,讲了没几句,我儿子的泪水就流到了枕边。我们这次有共鸣啦!最后讲完,他用小手一边抹泪,一边问我“高玉宝的家在哪儿呀?”“在农村。”“农村的邮编是多少号呀?”“邮编?”“我要给高玉宝寄个宅急便。”我小时候怎么就只会哭,只想到要珍惜自己的读书机会,而儿子就立刻想到要寄个宅急便把自己的幸福分给高玉宝共享呢?于是第二天我们就按儿子的心愿给高玉宝寄去了。地址呢?就写上“希望工程”一位渴望读书的农村小朋友。
  我给儿子讲故事的过程中,儿子仿佛也给我讲了许多故事。

  看來那個故事太古老了,要想講明白也許得去考古了。這次講了一個我記憶猶新的《高玉寶的故事》。記得“我要讀書”那一聲呐喊,當時喚出了我止不住的淚水。果真,講了沒幾句,我兒子的淚水就流到了枕邊。我們這次有共鳴啦!最後講完,他用小手一邊抹淚,一邊問我“高玉寶的家在哪兒呀?”“在農村。”“農村的郵編是多少號呀?”“郵編?”“我要給高玉寶寄個宅急便。”我小時候怎麼就只會哭,只想到要珍惜自己的讀書機會,而兒子就立刻想到要寄個宅急便把自己的幸福分給高玉寶共用呢?於是第二天我們就按兒子的心願給高玉寶寄去了。地址呢?就寫上“希望工程”一位元渴望讀書的農村小朋友。
  我給兒子講故事的過程中,兒子仿佛也給我講了許多故事。


1998年10月15日
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by tubomim | 2006-06-10 22:59 | 1998年 | Comments(23)