在日中国人女性の随筆  
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『万里長城』
連日「万里の長城での遭難」というニュースに心が痛められている。ハイキングが大好き、万里の長城が大好き、日中関係がこんな時期でも行きたい。残念ながら後一日の日に遭難、見るほうも胸には無念な思いがいっぱい、そして遭難までの旅がきっと楽しくて充実した毎日だっただろうと信じたい。
连日来每看到 “ 在万里长城遇难 ”的 消息就让我感到心痛。喜欢徒步旅行,喜欢万里长城,即使在中日关系这样的时候也愿前往。但遗憾的是就在结束的前一天不幸遇难,就连看新闻的我也感到无比的遗憾,我愿相信他们在遇难前的旅行一定很快乐、充实。

実は私がかつて書いた福田先生内海先生は9年間をかけ万里の長城を全部歩いた方々で、私もついてこの中のわずかな一部を歩いたことがある。張家口あたりもきっと歩いたはずなので、内海先生が書いた『万里長城』を開きこのあたりの様子を確認していた。
其实,我以前曾经写过的福田先生内海先生就用了9年的时间将万里长城全部走完,我也跟着走过其中很短的一段。张家口一带他们肯定应该走过,赶紧翻开内海先生写的《万里长城》来确认这附近的情况。
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お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。
祈祷逝者安息。

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by tubomim | 2012-11-07 16:53 | 2012年 | Comments(4)
珊珊
珊珊さんは北京の我が家の向かいにあるエステサロンの一人の若い美容師である。私は毎回北京に帰るたびにそこに行って自己満足のためのエステを受けに行く。20数年前、私はこの店で優待を受けられるメンバーズカードを買ったので、それ以来私はここにしか来なくなってしまった。結局どれほどの割引を受けたのか私もよくわからない、ただはっきりしているのは毎回カードから払われる金額が増えていること。どうせこのご時世、どんなモノの値段も上がる。水位が上がれば船も高くなるというものだ。
珊珊是北京我家对面美容院的一位年轻美容师。我每次回北京都会去那里臭美一下,因为20多年前我在这家店里购买了可以享受优惠的会员卡,从此就拴在了这里。到底享受了多少折扣我也弄不清,只是明白每次从卡上划出的金额是越来越多。反正,这年头什么都在涨价,水涨船也高嘛。

ここの美容師の多くは町に来てアルバイトをしている若い女の子たちで、それほど長い期間働く前にほかの人に代わる。でも、この女の子はどちらかと言えば長い間やっていて、だから私は彼女が「珊珊」という名前であることを知っているし、彼女は私を「姉さん」と呼ぶ。私たち二人も時にはおしゃべりをしている。
这里的美容师大都是进城来打工的小姑娘,做不了多久就换人了。而这位姑娘算是做的时间长的,所以我知道她叫 “ 珊珊 ”,她叫我 “ 姐 ”,我俩有时也聊聊天。

ある時、私は北京に戻ってまた彼女の店に行った。シャワーを浴びて横になり、ゆったり楽しもうとしたところ、珊珊は「姉さん、そのネックレス…」こう言われて私は初めて気が付いた。これは日本から北京に帰ってくる前にネットショッピングを覚えたばかりの夫が私に買ってくれたものだ。そこで珊珊に頼んで外すのを手伝ってもらい、珊珊は私にとりあえず彼女の白衣のポケットに入れておくと言った。夜、家に帰ると寝る前に突然ネックレスを忘れたことを気が付いた。慌てて店の中の珊珊に電話をかけた。珊珊は「しまった、さっき仕事が終わって白衣を洗ってしまいました。今探してくるのでちょっと待ってください。」大分待って電話の向こうの珊珊が帰ってきた。「…姉さん、あれは何のネックレスですか?いくらくらいですか?来月、お給料から弁償しましょうか?」「見つからないならいいよ、いくらもしないし、気にしなくていい。」電話を切った私はむしろあまり気にしていなかった。だが、隣で聞いていた家族はかえって気にした。私が海外ボケしているといい、ただでさえ毎回帰ってくるたび店にお金を送りに行って、今回もしかしたら女の子にまで騙されたんじゃないか。言葉の応酬を交わし、いろいろ言われた私はイライラして「私は珊珊を信じる!私は!珊珊が本当のことを言ったと信じる!私は自分がなくしたということにしてもいい、人に騙されたと疑いたくない。」大声で吠えてみんなの口を塞いだ。
有一次,我回北京又去她的店里。洗好躺下刚要享受,珊珊说 “ 姐,您的项链……” 我这才想起,这是从日本回北京前刚学会在网上购物的老公给我买的。于是请珊珊帮助摘下来,珊珊告诉我先放在她的白外衣口袋里了。晚上回到家睡觉前我突然想起项链忘了,赶紧给店里的珊珊打电话。珊珊说 “坏了,刚才下班我把白外衣给洗了,您等等我赶紧去找。” 等了半天电话那头珊珊回来了 “……姐,您那是个什么项链呀?多少钱呀?要不,我下月拿了工资赔您吧。” “找不到算了,没几个钱,不用在意。” 挂上电话的我倒是没太在意,可是在旁边听见的家里人却在意了。说我在国外呆傻了,不仅每次回来去店里送钱,这回没准还让小姑娘给骗了。你一句,我一句,让他们说得我心烦 ,“ 我信珊珊!我就信珊珊说的是真的!我宁愿权当自己丢了,也不愿猜疑让人骗了。” 大吼着堵上了他们的嘴。

私はおよそ毎年1、2回北京に帰る。帰ると必ず珊珊のところに行く。彼女は昔と変わらず熱心にサービスしてくれるし、ネックレスの話をすることは二度となかった。ところが、だいたい2、3年後のある日、私が店に入るなり珊珊は興奮して走ってきた。「姉さん、やっと帰ってきましたね。あなたのネックレスが見つかりました!」実は店の中の洗濯機が壊れて、人に頼んで解体修理をしたときに私のネックレスが見つかったのだ。私は珊珊が私に届けてくれたネックレスを見てみると、チェーンに二つ付いていたリングが擦れて一つしか残らず、チェーン自体も切れてしまったが、私はとても慰められた。心の中で思った。「珊珊、あなたが探し出したのはネックレスだけじゃなくて、もっと大事なのは信頼だよ。私が珊珊を信じたことはよかったと証明してくれた。」
我大概每年回北京1~2次,回去必去珊珊那里,她依旧热情服务,再也没提过那项链的事。可是大约2~3年后的一天,我一进店,珊珊就兴奋地跑上来,“ 姐,您可回来了,您的项链找到了!” 原来店里的洗衣机坏了,请人拆开修理时居然发现了我的项链。我望着珊珊递给我的项链,尽管当初的两个环磨得剩下一个,链扣也断了,可是我特别欣慰。心想 “ 珊珊,你找回来的不止是项链,更重要的是信任呀,证明了我相信珊珊是对的。”

これ以降、私は相変わらず北京に戻るたびにそこに珊珊を訪ねに行く。しかし、ある時、中に入るとちょうど一人の若い女性が珊珊と一緒に大小の荷物を外に持って出ていくところに出くわした。「姉さん、帰ってきたんですか!?でも今日はやってあげることはできないです。」実は、珊珊のお姉さんが実家に帰る彼女を迎えに来たのだ。珊珊は故郷で、自らエステサロンを開店するという。珊珊姉妹二人が大小の荷物を持って去っていく後姿を見て、私は結構感慨深かった。なぜなら、私は常々一つの道だけに生きて死を迎えたくないと誓っているが、私は今に至るまで、転職をする度胸を持ったことはないのだ。
此后,我依旧回北京还去那里找珊珊。可是有一次刚进去正赶上一位年轻女子与珊珊提着大包小包往外走。 “ 姐,您回来了?!可是我今天不能再给您作了。” 原来,这是珊珊的姐姐来接她回老家,珊珊将在家乡自己开一家美容院。望着珊珊姐俩提着大包小包走去的背影,我感触挺深。因为我常常发誓不在一棵树上吊死,可是我至今还没敢跳过一次槽呢。

これはもう何年も前のことである。この着けられないネックレスを見る度にいつも捨ててしまおうと思うが、しかしこの信頼に関する美しい思い出を手放したくないとも思う。
这已经是好几年前的事了,每当看到这串不能戴的项链总想扔掉,可是又割舍不下这段关于信任的美好回忆。
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by tubomim | 2012-10-26 01:07 | 2012年 | Comments(12)
遭遇(邂逅)
今回北京に戻ったわずかな何日かの間に暇を見つけて一度散髪に行った。八達嶺リゾート温泉から帰ってきてあの日、夕方に突然大雨が降り出して、大雨が過ぎた後、私は今なら散髪している人はとても少ないだろうと考えた。そこで、私はサンダルを履いて水たまりの中を歩いて我が家から道路を挟んだ反対側にある理髪店に行った。
这次回北京短暂的几天里还抓空去理了一次头发。从八达岭度假温泉回来的那天傍晚突然下起了大雨,大雨过后我想现在理发的人一定特少,于是我穿着拖鞋趟着积水到我家马路对面的理发店去了。

いつも私のために散髪をしてくれる姚さんは扉を入ったところの椅子の上でお客さんのために散髪をしていた。彼が私にあいさつをしようとしたところ、意外にも姚さんの下 散髪をしてもらっているお客さんが突然私の名前を呼び出した。そして興奮して立ちあがった。私もどこかで見たことがある気がする。だれだろう?急いで記憶検索機を起動してパラパラ… 検索スピードを上げる。「私は李だよ!」私は途端に思い出した。彼は私が10数年前にかつて付き添った、日本に来て建築について研修をした研修員だ。あのプロジェクトは最終的に彼一人だけが残ってさらに研修を続けたため、私たちがかかわりを持っていた時間は比較的長い。
常为我理发的姚老师正在一进门的座椅上为客人理发,他刚要招呼我,没想到姚老师手下正在被理发的客人突然喊起我的名字,并激动地站起来。我也看着眼熟,谁呢?瞬间启动记忆搜索器哗啦哗啦……加速搜索。“我是小李呀!”我一下想起来了,他是我10几年前曾经陪同过的来日本研修建筑项目的研修员。那个项目后来只留下他一位继续研修,所以我们相处的时间比较长。

英語は先生がいないのでラジオを抱いて覚えた、学費は父が学校のために草を運んで稼ぎ出したと当時彼が言っていたことを覚えている。当時彼は全省の中で6番目の成績で貧しい村の中から北京の清華大学建築科に合格しその後も目や足の病気によって休学するなどの困難を乗り越えて再度上海同済大学の建築院生となった。
记得当时他讲英语因为没有老师,是抱着收音机学会的,学费是爸爸为学校推草挣出来的。当年他以全省第6名的成绩从贫困的乡村考入北京的清华大学建筑系,之后又克服了因为眼睛、腿脚疾病休学等困难,再次考入上海同济大学的建筑研究生。

二人で話して気が付いたが、今回のこの偶然の遭遇は14~5年ぶりの再会になるはずだ。私たちは一緒に当時の面白い出来事をたくさん思い出した。一番面白かったのは週末に寄宿している大学の体育館でバドミントンをしたときのことで、真夏のクーラーのない体育館はまるで大きなサウナのようであった。汗まみれで全身びっしょりの二人が食堂に水を飲みに行ったとき、多くの人の視線を集めたが、おそらく私たち二人がプールの中におっこちたと思われたのだろう。ただ、その時の私たちはそんなことにかまっていられず、暑くて喉が渇いた二人は走って冷気を発しているウォータージャグを抱えて一杯また一杯と飲んで、最後にはジャグを倒して最後の数滴を出した。
两人一聊发现我们这次偶然的相见应该是相隔14~15年的邂逅了,我们一起回忆了很多当年有趣的事情。最有趣的是周末在住宿的大学里的体育馆打羽毛球,大夏天体育馆里没有空调就像个大桑拿。大汗淋漓全身湿透的两个人去食堂喝水时,引起很多人瞩目,大概以为我俩掉到游泳池里了。但当时我们已经顾不得这些,又热又渴的两个人跑上去抱着散有凉气的水桶喝了一杯又一杯,最后把桶歪过来倒出最后的几滴。

こうして、彼は散発が終わっても帰宅せず、そこに座って私がパーマをかけるのを待ちながら話していた。私は「早く帰ったら?家で心配してるんじゃない?」と言うと彼は、冗談で「親友の女性にばったり会って動けなくなった、と言っておくよ」と言った。理髪店の姚さんは私たちの楽しい聞き手となるとともに彼らの理髪店で私たちが再会したことに喜んでくれた。そうだ、どうして日本で別れて10数年してから北京の我が家の目の前のこの小さ理髪店で出会ったのだろう。実は彼は10年前にもう我が家の目の前に引っ越してきていて、今はすでに4~50人規模の建築設計事務所の所長になっていたのだ。
就这样,他理完了也没回家,坐在那里一边等我烫发一边聊着。我提醒到“快回家吧,家里该惦记了。”他开玩笑“就说碰上红颜,走不动了。”理发店的姚老师他们也就成了我们的愉快听众,并为我们能在他们的理发店邂逅而高兴。对了,为什么在日本分手10多年后又在北京我家门口的这个小小的理发店里邂逅了呢。原来人家10年前就搬到我家对面,现在已经是一个具有40~50人规模的建筑设计所的所长了。

別れに際して、「次にあなたが北京に帰ってきたときは理髪店じゃないところで会おう、立派な料理をおごるよ」「立派?どこまで立派?」ははは、二人は愉快に道路の両側にある各自の家へと帰っていた。
临别,“下次你回北京咱们就别在理发店见了,我请你吃大餐。”“大餐? 多大呀?”哈哈~两人愉快地回到了马路两边各自的家。
2012年7月
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by tubomim | 2012-08-01 14:48 | 2012年 | Comments(9)
小静(下)
日本語は後で

此后我回北京时,第一次在她的发廊见到了小静。以前我只经由妈妈收到过一张她的黑白照片,上面是一个怯生生的乡下小姑娘,然而眼前却是一位京城小老板。“姑姑,您在北京办什么事找我,街道的、工商的我都混得特熟,上下都能玩得转。”果真如此,我俩出去吃饭时,街上就有不少人跟她打招呼。进了饭馆她叫了好几个菜,菜上来了只见她翘着腿说道:“姑姑,您吃吧,我天天吃都吃腻了。”于是,我就像常吃不饱刚进城的人似的开始一人吃起来了。可是我不吃肉,没几样能伸筷子的。她问我能吃什么菜,我随便说了个菜名,只见一会人家从饭店外面端着就进来了。原来这个店里没有,她就让别的店作好又端到这里,看来小静的确在这里能玩得转。虽然她挺热情,但我总感觉与我想像中的小静有点不一样,嗨,连自己都成不了希望中的自己呢,甭说别人了。

时隔数年后,小静这次中秋到我家,告诉了我妈妈她们一家的近况:

小静的爸爸在京城辗转了几个打工点后,在一家连锁烤鸭店站住了脚,深得老板信任。现在年纪大了,就到老板京郊的空闲小院去看房。除了工钱外店里还定期给他送来食品等,自己也在小院里种点蔬菜。老板怕他寂寞惦记乡下,还帮他弄来两头小羊在院子养着解闷作伴。

小静的妈妈进城后就在一位女社长家里做保姆。这位离婚的女社长有个费心的儿子,所以女社长忙外,小静妈妈主内,几年下来混得成了一家人。

小静的妹妹毕业后也来北京打工,就在爸爸工作过的烤鸭店。从端盘子做起,现在已经是一名拥有二百多名店员的店长了。小静的弟弟毕业后也进了这家烤鸭店,就在我家附近的分店顶着高高的白色厨师帽当厨师,而且马上就要结婚了。

小静呢,此后卖掉发廊,转身进了妈妈管家的那位女社长的企业,当了女社长的秘书。除了干些杂事,也学着电子绘图等技术。现在人家在北京城里也买了自己的房子,更可喜的是小静3年前开始就读北京理工大学的函授班,明年就要毕业了。

现在小静全家都在北京站住了脚,家乡的老房破地也转给了别人,只可惜她的妈妈不幸身患绝症几年前在北京去世了。

最后我妈妈在电话里说“对了,你看有没有合适的给小静介绍个对象吧,那孩子挺懂事的。把全家都安排好了,自己还没个着落呢,要是她妈妈在世一定该着急了。”
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这是我生小象时,小静妈妈为小象缝制的虎头鞋。


追记:这已经是两年前的事了。今年的中秋,小静身边可有陪伴?也许作了孩子的妈妈?
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by tubomim | 2010-09-23 10:15 | 2010年 | Comments(12)
小静(上)
日本語は後で
这是两年前的中秋节那天写的,趁今天中秋节之际把它写完吧。
今天中秋给北京的家里打电话问候,妈妈高兴地告诉我“你猜谁来了?小静来了!”小静是我在1992年通过“希望工程”结识的一位农村姑娘。

那年某日,我偶尔在《人民日报 海外版》看到了“希望工程”的消息。当时捐助5000日元(或200人民币)就可以帮助一个农村失学的孩子去读小学。于是我与大象、弟弟、友人田中夫妇、小林、小张一起共捐助了6位失学儿童,手续是让在北京的妈妈代我们去办理的。

由于是我牵头总得对大家有个交代,于是数月后又让妈妈蹬车去打听捐款的具体去向。不久大家陆续收到了几个孩子的来信还有成绩单,唯独我的那份没有下落。
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我亲爱的老妈又再次蹬车去查询,终于查个水落石出。原来那份捐款,捐进了村庄却没捐到个人。经老妈一査,浮出个小静,此时已经是个12岁的半大姑娘,却还没有进过学堂。就这样小静终于背上书包第一次走进了小学,读了2年小学又进了中学。由于基础有限,高中是说什么也进不去了。

要说到此我的“希望工程”该结束了,可是我希望她能自食其力,在家乡找到一份事做。于是先打听一下她的家乡都生产什么吧,我写信问道“你们哪里有什么?”记得她歪歪扭扭地写道“有土”“土里种什么?”“种什么都不长”。没有去过农村的我琢磨“有土,就总得有路吧,有路就总得有车吧。就让她学个修车的手艺在路边修车吧,即使是修理自行车也总算有个自己的饭碗呀。”于是,我又给她寄去800人民币,想像着小静将来蹲在“什么都不长”的乡间小路旁修车的情形。

然而,小静可不像我这么土帽儿,人家怀揣着800人民币到北京上了美容学校。这是因为那几年当中我北京的老妈不仅帮她学习与生活,还接她与她父亲第一次来到了北京。妈妈说“别提了,小静没坐过车一路晕车,带她故宫博物院、少年科技馆,到哪儿都晕得没看成。”可是人家却看清并记住了我家附近有所美容学校。

就这样,自从这次进过一次京城,小静的爸爸就开始在京打工,不久她妈妈也来京当了保姆。小静美容学校毕业后在东城的发廊找到了工作,不久能干的小静就承包了这家发廊当起了老板。据说家乡的弟妹也不再像她个个都进了学堂。  (待続)
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by tubomim | 2010-09-22 23:00 | 2008年 | Comments(2)
宅急便の配達員(宅急送的送货员)
わが家近所の某配送会社の配達員は古希をすぎたおじいちゃんで、てきぱきと働くし、そしてとても親切である。真っ白な白髪にブルーと白のボーダーが入っている作業服、ワゴンをまわしながら近所で配達している姿はしょっちゅう目に入る。
我们社区某宅急送公司的送货员是一位年过古稀的老人,很勤快也很热情。常常会看到满头白发的老人家身穿蓝白相间的工作服,开着小面包在社区巡回送货。

毎回我が家に配達で来る度に、必ず庭中に置いてある大象の盆栽をほめてくれて、これで大象とは親しくなった。受取人が私の場合、おじいちゃんがいつも外で私の苗字ではなく名前を呼んでくれる。耳が遠くなったせいか、声がなぜか特別に大きく聞こえる。これを聞いた私はとても恥ずかしいだが、わずかながら嬉しい気分も沸いてくる。というのはこの近所では習慣により、私のことを「大象の奥さん」か「小象のお母さん」とばかり呼ばれている。私の苗字や名前がどうなっているかということは誰にも全く気遣われなかった。
每次送到我家总要夸奖一番大象满院子的盆栽,因此与大象混的挺熟。遇到收货人是我的时候,老人家总是在门外不喊姓只喊名,可能是有点耳背,喊得声音还特别大。这让我很不好意思,但也有一丝得意。因为在社区按习惯,本人不是被叫作“大象屋里的”,就是被唤成“小象他娘”,压根就没人在意我姓什名谁。

ある日の夜遅く、大象が車で駅まで私を迎えてくれた。家に向かっている途中で向こう側から来たおじいちゃんのワゴンと出会い、二人はお互いにランプで挨拶した。そのとき傍にいた私は「こんな時間でもまだやっているの」とびっくり、大象が「助手席に座っている奥さんが見えなかった」「本当?!」「歳なので、奥さんが心配し、常に助手席に座ってついているらしい。」これを聞いた私はじ~んと来た。その後、私が気をつけて見て見れば確かにそうだ。それ以降、このご夫婦のワゴンに出合ったら私は思わず会釈するようになった、この老夫婦のことをとても羨ましがっているし、敬服しているから。
一天很晚,大象开车到车站接我,回家的路上对面碰上了老先生的车。两人相互用车灯示意问候,我惊讶“这么晚了老人家还送呢?”大象说“你没看见旁边坐着夫人呢吗?” “真的?!” “据说岁数大了,夫人不放心总是坐在车里跟着。”听了让我好感动。以后我注意一下还真是这样,于是在路上再遇见他们夫妇的面包车时,我不由得会点头示意,因为我很羡慕并敬佩这对老夫妇。

さきほど空き缶を捨てに出かけたら、また彼らのワゴンに出会った。こんな早いのに、まだ七時にもなっていないのにもう作業開始?!ワゴンが近づきスピードを落としてお互いに会釈をした。しかし、その時に運転席に乗っていたのはなんとおじいちゃんではなくおじいちゃんに似ている若者であったことに気が付いた。奥さんは微笑みながら会釈しワゴンは加速して行ってしまった。今日は土曜日だということにふっと気が付き、もしかしたらあの若者は休日で家にいる彼たちの子どもかな、いやそうであって欲しい。今回私はこのご夫婦を羨ましがるだけではなく、この家族をすごく羨ましがるようになった。あまりにも羨ましかったので、家に帰った後、休まずに書き続ける予定だったクチンシリーズを捨て置いて、この記事を叩き始めた。ひらめきはすぐに書き残す、そうしなければすっきりしない。
刚才去扔空瓶子,结果又碰上了他们的车,这么早还不到七点两人就又开始工作了?!当车走近放慢速度我们彼此打招呼时,我发现驾驶员位子上坐的不是老先生,而是一位与老先生长得极像的年轻人。夫人微笑着向我点点头,车速加快走了。我突然意识到今天是星期六,也许那位青年人就是周末在家休息的他们孩子?越想越觉得是这么回事,但愿就是这么回事。这回不光羡慕他们夫妇老俩口,而是非常地羡慕他们一家。羡慕得我进屋后,放下决心坚持写下去的古晋游记,敲起了这篇短文。可谓是有感而发,不发不爽。
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by tubomim | 2010-07-03 06:56 | 2010年 | Comments(15)
山西人じゃない「日本山西人会」メンバー(不是山西人的“日本山西会”会员)
晋ノ国さんたちの「日本山西人会」にひとりのブロ友がいるのを見つけた。彼女は山西人ではなく、生まれも育ちも日本である。また、私は彼女が中国青海玉樹地震の直後にたちまち寄付していたのを見つけた。私は、かつての四川大地震のあとにも彼女が「日本山西人会」を通じて寄付をしていたのを見た。
我发现在晋之国那里的“日本山西人会”有一位我们的博友,她不是山西人,她是土生土长的日本人。我还发现中国青海玉树地震后她立即捐款了,我也曾发现四川汶川地震后她也曾通过“日本山西人会”捐过款。

ここで思い出したのだが、2008年の年末に私と小象が中国四川綿竹被災地に旅立つ準備をしていた際に、当時のあの「四畳半」の一人の近所のお婆ちゃんが偶然にもこのことを聞き、書留で5万円を送ってきた。「このお金で中国でどのようなものが買えるかはわかりませんが、被災地の子ども達に飴を買ってあげるだけでも良いので、よろしくお願いします。一人の日本の85歳のおばあちゃんの気持ち」 私は特に重度の被災地にある漢旺中学校で、このお金を3人の生活苦の学生達に寄付した。
由此想到,2008年底我与小象准备去四川绵竹灾区,出发前几天我当年那个“四叠半”的一位老邻居偶尔得知这一消息,用挂号信寄来5万日元。“不知道这些钱在中国能买什么,就算给灾区的孩子们买把糖也好,拜托!一位85岁日本老奶奶的心愿”。我在重灾区汉旺中学帮助老奶奶把钱捐助了3名贫困学生。

普段はあまりインターネットを使われない、『サンダカン八番娼館』の作者である山崎先生も先日、どのように青海玉樹被災地に寄付を出来るのかとお訪ねになっていた。
平日不上网的“望乡”的作者山崎女士前天也在打听,如何向青海玉树灾区捐款。
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by tubomim | 2010-04-21 11:08 | 2010年 | Comments(8)
「小臭児」“小臭儿”
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前回の「赤点」を書いたら私の小学生のクラスメートを思い出した。彼は試験ではいつも赤点で、本人も慣れていたし、周りが特に気にすることもなし。しかし彼は授業中いたずらもしない、放課後いじめたりすることもない。笑ったり喋ったりすることが好きで特に人に助けることが大好きであった。この子は私の祖母のお気に入りの一人でもある。この子は街で会ったら遠くからもご挨拶する、年寄りが重いものを持っているのを見ると必ず家まで持ってくるように手伝ってくれるといつも褒めている。
写到《不及格》想起了一位我们小学同班的同学。他每次考试都不及格。他也习惯了,大家也习惯了。不过,他上课从来不捣乱,下课也不欺负同学,见人有说有笑特爱帮助别人。我的姥姥就特别喜欢他,夸这孩子什么时候在街上见了老远的就会打招呼,见老人家提着东西,他一定会帮助提到家里。

彼は学校ではちゃんとした正式の名前があるが、しかしうちの胡同に戻ってくると「小臭児」になってしまう。というのは彼のお母さんがいつも街中で「小臭児!小臭児!」と呼びまわっていたから。彼には年を離れたお兄ちゃんとお姉ちゃんがいり、当時すでに働いていた。彼のお母さんはなぜか歯がなく口は凹んでいる。とりあえずこの子はうちの中の可愛がられている末子だということはすぐわかる。「小臭児」は遊んでいるばかり、家の中でじっとできなくてよく外へ遊びに行く。仕方がなく歯がない母さんはいつも街まで追いかけて「小臭児!」を連発しに来るわけ。時にはせっかく追いかけて捕まえたといってもお母さんの叩きにはなかなか力が入らない。叩かれながらも彼はやはり笑ったりして、ちょっとしたらすぐ来るからと友達に約束している。
他在学校有个正经八百的大名,不过回到我们胡同里就变成了“小臭儿”。因为他妈老在街上喊他的小名“小臭儿!小臭儿!”。记得他哥哥姐姐比他大很多那时都已经工作了,他妈妈没有牙瘪着嘴,反正一看就知道他是家里的宝贝老疙瘩。“小臭儿”贪玩不在家呆着,老爱往街上跑,害得他没牙的老妈不得不常上街来喊“小臭儿”。有时喊他他也不回家,他妈还得追。不过就是追上了也舍不得使劲打,常看见他妈打他,他还在笑或喊别的孩子等他一会再来玩。

ある時クラスでは「一対一」の協力活動を行い、私と彼はペアに指定された。活動の目的はあの時の算数試験に赤ざぶに座れたクラスメートを「一対一」の補習を通じて何とかし補習試験に赤点から脱皮させることにある。彼の家である四合院の西部屋で補習をしていた。試験用紙を何度も見て、繰り返し説明し、また計算問題を一題一題と計算していた。理解できたのは道筋に沿って次へ次へと計算していく。わけが分からないのは形状記憶で一筆一筆描いてもらった。この期間中彼のお母さんはこの「小臭児」が逃げないよう玄関で小さい椅子に座ってしっかり見守っていた。
有一次,班里搞“一帮一”活动,老师分配我俩一组。目的就是通过“一帮一”补习,让那次算术考试不及格的几位同学能够补考及格。我记得他家也是四合院,我们就在他家西屋补习。那张考试卷子翻来覆去地讲,一道一道地作。理解的就有根有据地一步一步计算下去,不理解的就形状记忆地一笔一笔描下来。其间他妈就搬个小板凳在门口堵着,生怕她那不安分的“小臭儿”跑了。

翌日の補習テスト、「小臭児」は前日一緒にN回練習した内容をまた補習試験用紙(同じ試験用紙)に一応描いた。なんと100点満点の試験結果を持って帰ってきた。彼のために日々苦労心労したお母さんは本当に大喜びであった。数日後「小臭児」が生まれてから初めて100点満点を取ったことは近所の中で噂になっていた。大分年数を経って私はすでに大人になったが、彼のお母さんに出会ったら、このお母さんはまた「小臭児」の生涯一回だけの100点満点を口にした。たぶんこれが彼のお母さんを一生喜ばせる快挙であっただろう。
第二天补考,“小臭儿”把我们昨天练习了好几遍的内容又在补考卷子上描画了一遍,居然捧着个满分100分的卷子回来了。这可把为他操碎心的那位老妈高兴坏了,没几天街坊四邻都知道他家“小臭儿”平生第一次考了个100分。多少年后我都大人了,见到他妈,他妈还会提起她家“小臭儿”这辈子考的那个惟一的100分呢,看来够他妈妈高兴一辈子的。

私はその後外国に出てきた。北京に戻った時に胡同の中で時々また「小臭児」に会える。彼は相変わらず上半身を裸にし、外でぼんやりするのがすき、今までと同じ喋ったり笑ったりして人に手伝うことがしていた。しかし以前と違うのは彼の首に今度「小小臭児」が載せている。さらに数年後この「小小臭児」の首にすでに赤いスカーフが結ばれていた(小学生)。「おばちゃん、どこの国から来たの?なんで家の父と同級生なの?」とこの子はお父さんと同じようにおしゃべりと笑いが好きな子だった。「この子は俺と同じく勉強がきらいなのだ」と「小臭児」は笑いながら「小小臭児」の頭を押していた。この瞬間!私は突然「小臭児」の顔から当時の「小臭児」の母親の表情が覗くことが出来た。
我后来出国了,回北京时,在胡同里有时还会碰到“小臭儿”。他还喜欢在街上光着膀子站着,不过此时他的脖子上又驮着一个“小小臭儿”他依旧爱说爱笑爱帮助人。再过几年我回北京时,那个驮在脖子上的“小小臭儿”已经戴上红领巾了。“阿姨,您是哪国人呀?您怎么跟我爸是同学呢?”跟他爹小时候一样,爱说爱笑。“这孩子跟我一样,就是不爱学习”“小臭儿”笑着按了一下“小小臭儿”的头,此时,我忽然在“小臭儿”的脸上窥视到了当年“小臭儿”妈妈的神情。

2009年6月23日

注解∶
“老疙瘩”∶方言,末っ子。
多指男孩儿,女孩儿称“老丫头”。这里的“老”是“小“的意思。
“小臭儿” ∶幼名、大人になっても時には目上の人や同輩から呼ばれることがある。
有的家长很喜爱自己的孩子,会叫自己的孩子“小臭儿”“小屁儿”“屁屁”等。“儿”北京话。

参照∶起小名的方法
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by tubomim | 2009-06-23 18:37 | 2009年 | Comments(17)
《东瀛岁月》
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在日本我渴望中文读物,我是《中文导报》的老读者。从她刚蹒跚起步我就跟着她一路走来,至今已订阅了十年有余。同时我还是个老投者,投稿不多,文章不长,但也坚持了十年以上。

记得十几年前的某日突来灵感,我敲打了一篇“小区故事多”,记述了我那些不可思议的左邻右舍。千思万绪、千言万语源源不断地涌向指尖,敲得自己好不得意。翻译给我的第一读者日本老公,也把他笑得人仰马翻。可是,投到报社,迟迟不见跃然纸上,中途蒸发?最终遭弃?犹豫再三拨响了编辑部的电话。

女编辑不客气,一针见血“太长了! ”是呀,一个版面3~4篇,我占一半怎么编?记得电话是在出差住宿的酒店里打的,对面的镜子里映照着我那张让她“训”得通红的脸。我最后抖胆问了一下尊姓大名,“我是陶编辑! ”利利索索一个南方口音。

放下电话,摊开报纸。数行点字,丈量版面。再读自己的文章清醒了许多,有些本打算锦上添花的现在看来纯属画蛇添足。原以为妙趣横生的也涉嫌自我陶醉。删!从小心翼翼,到大刀阔斧,最后再逐字逐句地剔它一遍。能两个字说清的,绝不用三个字,力争剔得它字字有响。再读一遍,就像开春时节脱下棉袄换春衫,啊~别提多爽!

我现在仍旧喜欢敲打些文字,特别是喜欢敲打过后推敲的感觉。前推后敲,左掂右量,出手的多为不足千字的豆腐干。最近,听说《中文导报》出版了一册《东瀛岁月》, 没想到也收录了几块我的豆腐干,并有一块荣幸地排在了开篇。

此刻我又想起当年“训”我的那位陶编辑,尽管她早已不在报社工作,尽管我们之间只是一通电话的缘分,但让我受益匪浅。

2009年4月19日

注∶这本书是中文的,380页,约150篇短文,售价1980日元。购书请与「中文导报]联系,我这里没有。
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by tubomim | 2009-04-29 19:15 | 2009年 | Comments(5)
「信」の柱(信之柱)
20年前、留学のために日本へ来たばかりのころ、友人が中国語を教えるアルバイトを紹介してくれた。生徒は日本で生まれた韓国人だった。毎回、私たち二人はまず池袋の東武百貨店前のあの大きな柱のところで待ち合わせ、それから近くの喫茶店のどれかにもぐり込んで発音の基礎(bo、po、mo、fo)を練習した。
20年前刚来日本留学的时候,朋友给我介绍了一份教中文的工作,学生是一位在日出生的韩国人。我俩每次都是先在池袋东武百货店前的那棵大柱子集合,然后再钻到附近的哪个咖啡厅去玻破摸佛。

ある日曜日の午前中、よく私を美術館や博物館に連れて行ってくれた日本人の大先輩がまた私を連れ出した。結局、その時は成田空港近くの佐倉市にある国立歴史民俗博物館まで連れて行かれた。ここは遠いばかりではなく、殊のほか大きかった。日本で唯一の国立歴史博物館であり、占有面積は13万㎡、建築面積だけでも3万5千㎡もある。展示内容は、原始時代や古代から、近代にまで及んでいる。遠い場所、巨大な展示ホール、豊富な内容は、みな私の「想定外」であった。私は見ているうちにそわそわし始めた。午後、私は池袋で中国語を教える約束をしていたからだ!歴史の殿堂の中ではみなが事細かに内容を味わっていた。なかでも、その大先輩は外国からの留学生である私に特に辛抱強く解説をしていたが、実のところ、私はとっくにうわの空だったのだ。
一个星期天上午,有位常带我去看美术馆、博物馆的日本老先生又带我去了。结果这一下就被带到了位于成田机场附近佐仓市的国立历史民俗博物馆。这里不仅远还特别的大,它是日本惟一的一所国立历史博物馆,占地面积13万平方米,建筑面积就有3万5千平方米。内容从原始、古代到近代。遥远的路程、巨大的展厅、丰富的内容,都是我“想定外”的。我看着看着开始沉不气了,因为下午我约好了要在池袋教中文呢!历史的殿堂里大家细细地吟味着,老先生更是耐心地向我这个外国留学生讲解着,其实我早已心不在焉了。

ついに見終わるまで辛抱して外に出た。私はもはや失礼を顧みず、その大先輩に急いで授業をしに行かなければならないのだと告げた。残念なことに、そのころはまだすぐに連絡がとれる携帯電話はなかった。大先輩はすぐにタクシーを呼び、私たちは佐倉駅に急いだ。尋ねると、佐倉から池袋まで行くのに電車ではいくら速くても1時間40分はかかるということだった。そのうえ待ち時間や乗換えもあるので、遅刻は間違いないし、行ったとしても待っているはずがない。しかし、私はやはり急いで行った。池袋駅に着いて時計を見ると、丸1時間の遅刻だった。私は本能的に毎回待ち合わせをしているあの大きな柱の元へ走って行った。遠くから彼の姿がかすかに見えた。本当に彼だ!「まさか私を待っていてくれたの」、「まさか来てくれるなんて」。それは疑いなく私たちお互いの間に信用と信頼があるからなのだ。
终于挨到看完出来了,我再也顾不得失礼,告诉老先生我必须赶去教课。可惜那时还没有手机可以及时联络。老先生马上叫了出租车,我们赶到佐仓电车站,一打听从佐仓到池袋坐电车,最快也要1小时40分钟,再加上等车倒车肯定是迟到了,去了也不会有人等了,但我还是赶去了。到池袋车站一看表,迟到了整整1小时!我本能地向每次见面的那棵大柱子跑去,我远远地隐约看到了他,真的是他!“你怎么还会等我?”“你怎么还会来?”这无疑是凭借着我们彼此之间的信用与信任。

その日の学習が終わってから、私たちは少し余計におしゃべりをした。その時、彼は私にあることを告げ、「他の人には言わないでよ」となにげなく言った。そこで、彼は私に話して聞かせた。しかし実際は、その時,聞いてもたいした話ではなかったし、今となっては余計にどうでもいい内容である。歳月が流れるうちに、彼自身このことをとっくに忘れてしまっているのかもしれないし、詳しい内容も日ごとにあいまいなものとなってしまったが、私はあの時自分が言った「はい」という約束の声をはっきりと覚えている。その後、私たちには多くの共通の友人ができた。その中には、私の今の夫や彼の今の妻も含まれている。しかし、私はいまだにこのことを誰にも話したことがない。
那天学习完我们又多聊了一会。其中他告诉我一件事,顺口一句“你可不要告诉别人。”于是他就讲给我听了。其实当时听起来也没什么大不了的,现在就更不是个事了。随着岁月的流失,这件事他可能早已忘记,详细内容也日渐模糊了,但我清晰地记得当时自己一声「哈依」的承诺。此后我们有了很多共同的朋友,包括我现在的老公及他现在的夫人。但我未曾对谁再提起过此事。

今日、私はたまたま池袋の東武百貨店前のあの大きな柱の元を通りかかり、不意にこのことを思い出した。あの時彼が何を話したかについては、私はもちろんここでは話さない。その約束を守ることは、信用と信頼を守ることだから。私と彼との間の連絡はずっと前に途絶えてしまったが、お互いの間の信用と信頼はこの大きな柱のようにしっかりと心の中に根付いている。
今天我偶然路过池袋东武百货店前的那棵大柱子,不由得想起了此事。至于当时他讲了什么,我当然也不会告诉您的,因为守住它就是守住信用与信任。虽然我与他早就失去了联系,但彼此的信用与信任就如同这棵大柱子牢牢地立在心里了。

2005年9月19日
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by tubomim | 2007-02-12 14:46 | 2005年 | Comments(43)