在日中国人女性の随筆  
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慢慢来入院記 園庭篇(慢慢来住院记 庭院篇)
この病院は市内にある古い病院である。敷地面積は広くないし、施設も新しくはない。しかし、この庭の中には2ヶ所の小さな園庭があり、そして腰を下ろせるベンチも数箇所設置している。私は毎日朝早くから行ったので写真には人影が少ないが、実は昼間になると結構利用者が多く、みんなここで疲れた体と心を休めている。そんなわけでここが貴重な存在と感じられた。
医院是市内的老医院,占地面积不算太大,设施也不太新。可是院内有两处可供大家休息的小小庭院,还有一些坐椅。我每天去的很早,照片上没有多少人。但白天有很多人这里休息他们那疲惫的身心,所以这里显得特别珍贵。
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ちょうどN1H1インフルエンザが流行っていた時期なので正門にはこのような看板も出ていた。
正赶上甲型N1H1流感期间,门口贴出了这样的告示。
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ここは全院禁煙になっている。
这里是无烟医院。
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by tubomim | 2009-06-05 07:28 | 2009年
慢慢来入院記 受付篇(慢慢来住院记 挂号篇)
北京をよく知っている方なら一目で分かる。前に紹介したのは阜成門から白塔寺までの間(北側)であり、およそバスで2~3駅の距離である。
熟悉北京的朋友一眼就能看出,前面介绍的路段是阜成门到白塔寺路北的一段,大概2~3站公交车的路程。
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今回、私が北京に戻ったのは父親の慢慢来が冠状動脈心臓病により緊急入院し、この阜成門外の「阜成心血管病医院」に入ったからである。ここは有名な心臓血管の専門病院で、北京だけではなく、中国ないし世界でも先端を走っている病院である。今まではこの名をよく聞いたが、今回この中身を覗くことができた。
我这次回北京是因为父亲慢慢来发现冠心病紧急住院了,就住在阜成门外的“阜外心血管病医院”。这是一家著名的心血管病专科医院,不仅在北京,在全国乃至全世界都是走在前列的。以前只闻其名,这次深入其中。
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朝6時の受付ロビー
清晨6点的挂号大厅。
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どの先生に診てもらおうかな
看看挂哪位专家的号。
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診療科、氏名、職名、価格など一目瞭然。
科室、姓名、职称、价位等一目了然。
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7時、受付を済ませた人々は続々と外来棟の前に来て待っていた。
7点挂完号的人们陆续等候在门诊大搂前。
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この方は並んでいるときに使った折りたたみ椅子を片付けた。
这位收拾好排队时使用的躺椅。
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9時、正門の外に椅子に座って翌日の受付のため並び始めた。
9点大门口已经有人坐在小板凳上排第二天的队。
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昼12時、並んでいる人々は食事に行き、椅子、バックそしてペットボトル等がかわりに並んでいる。
中午12点,排队的人们去吃饭,小板凳、书包、饮料瓶等替他们继续排队。

今回は慢慢来のために、教え子の教え子が朝5時から並んで受付・手続きをしてくれたと聞き、とても感心した。
据说,慢慢来的号是学生的学生清晨5点去邦助挂的,听了真让我感动。
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by tubomim | 2009-06-03 06:11 | 2009年
『朝陽門外の虹』④《朝阳门外的彩虹》④
二日後、約束通り私は桜美林学園の事務室を訪ねた。事務室の方は学園長の指示に従って私を学園裏の道路の反対側に案内してくれた。
两天后,我如约来到樱美林学园的办公室,办公室按照校园长的安排带我来到校园后面的马路对面。
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丘を登ってフェンスの鍵を開けて案内してくれた警備員は丁寧に下で私を待ってくれていた。
爬上小坡打开铁丝网的锁链,带路的警卫毕恭毕敬地在下面等我。
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広々とした丘に建てられた清水先生の銅像は遠くから見えた。私は一人で静かに近づいていった。
我远远看到空旷的高坡上伫立着清水先生的铜像,我一个人静静地走近。
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清水先生と郁子夫人の銅像
清水先生与郁子夫人的像
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清水先生、私は北京出身の在日中国人で、父親に頼まれて訪ねに来ました。我々、北京の女の子たちのために先生、先生の奥様そして先生の仲間にしていただいた素晴らしいことを絶対に忘れません。
清水先生,我是一位来自北京的在日华人,我的父亲让我来看望您。您及您的夫人还有您的同志们为我们北京女孩子作的好事,我们不会忘记。
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学園から出てきた私はまた戻った。園内に美穂夫人の懐念碑があると本に書いてあることを思い出したから。崇貞学園の卒業生、そしてあの留学生、学校の教師として育てられた女の子の妹でもある方は1994年招かれてここで講演したときに謝礼を返し美穂夫人のために作ったものだと書いてある。
从校园出来后,我又折回去了。因为我想起书中写到校园内还有一个美穗夫人的怀念碑。是崇贞学园毕业生也就是那位被培养成留学生、学校教师的女生的妹妹在1994年来这里讲学时,用讲课费为美穗夫人立的。找了很久没找到,后来办公室的老师们陪我一起找。终于找到了!

今年の初め頃に私たち日中ブロ友30名が日中民間の相互理解を促進するために書いた『一博一品』は出版され、私は学園長に一冊を送った。先月、学園長から小包が届き、開けてみたら、なんと日本語版の『朝陽門外の虹』であった。
今年年初我们30位中日博友为促进中日民间的相互理解撰写的《一博一品》出版后,我给学园长寄去一本。上个月我收到一个学园长寄给我的小包,打开一看,是一本日文的《朝阳门外的彩虹》。

今、私のところには二冊の『朝陽門外の虹』がある。一冊は中国語、一冊は日本語。一冊は北京の父親慢慢来から、一冊は東京の桜美林学園長から。この二冊の本が私の手元に辿りついてくるまでちょうど一年間であった。この一年間、幾多の偶然、幾多の縁。幾多の努力に幾多の収穫。日中間の素敵な友好話はこのように伝わってくるもので、私はこの場を借りてこれを伝えていきたい。そして、皆さんと一緒にあの『朝陽門外の虹』を編んで行きたい。
我现在有两本《朝阳门外的彩虹》,一本是中文,一本是日文。一本是北京的爸爸慢慢来送我的,一本是东京的樱美林学园长送我的。两本书相继来到我这里,正好用了一年的时间。一年间多少巧合,多少缘分。多少努力,多少收获。中日之间友情佳话就是这样传颂下来的,我也愿意在此将其传颂下去,与大家一起继续编织那《朝阳门外的彩虹》。
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2009年4月6日
这次写的比较长,以此感谢众多有关的各位,没有大家就没有这篇文章!


ここは桜美林学園園内で撮影したもの、建物の名前は「老実館」、「止戈道場(空手道場)」、「清友館」、「一粒館」、「以徳館」、「待望館」、「亦説館」などで命名されたことは印象的でした。
这是在樱美林学园内拍照的照片,给我留下印象的是每个建筑物分别被命名为“老实馆”“止戈道场(空手道场)” “清友馆”“一粒馆”“以德馆”“待望馆”“亦说馆”等。
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by tubomim | 2009-04-22 18:53 | 2009年
『朝陽門外の虹』③《朝阳门外的彩虹》③
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私たちより一歩先に会場に着いたのはどうも親子みたい。
走在我们母子俩前面的好像是父子俩

昨年6月、私は小象を桜美林学園の中国語検定試験会場に送った後、園内で創立者清水先生の銅像を探し始めたが、一通り見回しても見つからなかった。その後、毎週土曜日この学園の孔子学院で中国語を勉強されているブロ友のJingshangさんが学園の後ろの丘で銅像を見つけ、そして小さく銅像の後ろ姿が写っているストリートビューも親切に送ってくれた。
去年6月,我把小象送进樱美林学园中文检定考场后,就在校园里寻找创建者清水先生的铜像,可是找了一大圈也没有找到。后来每周六在樱美林孔子学院学习中文的博友 Jing shang先生告诉我,他在学园后面的小山坡上发现了,并热心地送给我显示着铜像背影的街道视图。
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去年11月、小象がまた桜美林学園へ中検準一級の試験をチャレンジに行ったが、その時に私は運転できる大象を誘ってJingshangさんが提供してくれた情報に基づき、再度清水先生の銅像を探しに行った。幾多の紆余曲折を経てようやく見つけた。ここは小さくて静かな車道で、片方が坂になり坂に沿って桜の並木が一面に並んでいる。木の後ろにフェンスで広い空き地が囲まれ、フェンスの向こう側に銅像がたてられている。「ここのはずだ!」と大象がはっきり言った。しかし銅像が先方に向かっているのでフェンスの外側にいる私たちは銅像の後ろ姿しか見えない。周りで入り口を探したが見つからず、無理やりフェンスを越えて進入してもいけない。仕方がなく大象に手伝ってもらって、出来るだけ体を中へ伸ばしがんばって数枚横顔の写真を撮った。
去年11月,小象再次去樱美林学园挑战中文检定准一级时,我叫上会开车的大象,根据Jingshang先生提供的线索去寻找清水先生的铜像。几番周折,终于在后面的一条小路旁的高坡上发现了。这是一条静静的蜿蜒小路,一侧是高坡,沿坡种满了樱树。树后是铁丝网圈着的一大片空地,铁丝网内有一座站立的铜像。“应该是这里!”大象肯定地说。可是铜像面朝里面,站在铁丝网外边的我们只能看到铜像的背影。在周围找了半天也找不到入口,又不好翻越铁丝网进去。只好让大象扶着我,无奈地探着身子,举着相机拍照了几张侧影。
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その時に静かな車道から車が近づいてきた音が聞こえた。私たちがいる坂の下あたりでこの音がぴたっと聞こえなくなった。「やばい!きっと二人の怪しい不審者を見つけて、誰かが通報したのでしょう」とじっと見たらパトカーではなくタクシーであった。車内からとても紳士の方が降りてきて「ここの卒業生ですか」と聞きながら坂を上ってきた。「いいえ、清水先生の銅像を撮影にきました」と私は大よその経緯を説明した。その後、この方も周りで探し始めた。「どこかに入れるような場所があったらしいけど」と見つからなくて戻ってきた。この方は「私はあなたたちを中に入らせる権限はあるけど、今日は休日なので鍵を持っている事務所のスタッフが休みなんです」と話してくれた。「先生は…学園の先生?それともご家族の方?」と私はひとつ探りを入れてみた。そこで先生は一枚の名刺を渡してくれた、受け取ってみるとなんと「桜美林学園長」 !うそ~!次回訪問する時間を約束し、学園長は坂を降りてタクシーに戻ってこの場から離れていった。神様が見ていて私を助けてくれたのか、なんでこんな偶然なことがあるのかしら!
正在这时,听到清静的小路上驶来一辆汽车,嘎然停到了我们所在的坡下。我想“坏了,一定是谁报警,发现了两个形迹可疑的人物”。定睛一看,不是警车,是一辆出租汽车。车内走出一位老者“你们是毕业生?”说着,老人家也爬上坡来。“不是,我们是来拍摄清水先生铜像的。”大概说明来意后,老先生也在周围寻找开了“好像有个地方可以进去。”没有找到。老先生又返回来“我有权限可以帮你们进去,可是今天是休日,办公室拿钥匙的也休息了。”“您。是这里的老师?清水先生的家人?”我试探着询问。老先生给我一张名片,接过来一看, “樱美林学园长 ” ! 啊~约定好下次再来的时间,老先生就下坡乘出租车离去了。上天有眼要邦助我吧,怎么会这么巧!
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by tubomim | 2009-04-21 08:43 | 2009年
『朝陽門外の虹』②《朝阳门外的彩虹》②
家に戻って慢慢来に聞いた。 「どのようにこの本を発見したの?どうして清水先生を書きたくなったの?」「前回、私の出身校銘賢学院を書くときにアメリカのOBERLIN大学が私たちの学校を援助してくれたことに触れた。そこで、アメリカのOBERLIN大学を検索したらこの大学と日本桜美林学園との深い縁を発見した。そこで2006年年末頃の「アメリカのOberlin大学と日本の桜美林学園」という記事を書いた。ついでにこの桜美林学園の前身は北京の朝陽門外の崇貞学園(現在、北京陳経綸中学校)であることも分かった。そこでこの本を買って読んでみた。読み終えてからこの清水先生のことを紹介しようと思うようになった。」
回到家,我问慢慢来“您怎么发现这本书?怎么想起写这位清水先生了?”“我上次写我的母校铭贤学院时,写到了美国OBERLIN大学对我们学院的援助。检索美国OBERLIN大学时,发现了美国OBERLIN大学与日本樱美林学园的渊源。于是写了2006年底的那篇“欧柏林(Oberlin)和日本的樱美林大学”。既而又发现了日本樱美林大学的前身就是北京的朝阳门外的崇贞学园(现在的陈经纶中学)。于是就买来这本书阅读,读了这本书我也想写一篇介绍这位清水先生的博文。”

「当初 崇貞学園(崇貞女校)への援助を求めるため清水先生は懸命に奔走した。私はアメリカにいる友人にOBERLIN大学の資料館へ関係資料を調べるよう頼んでみたが、本には書かれていなかった、当初募金するときに清水先生がGraham校長宛に書いた手紙を見つけてくれた。この一回だけで10000ドルの善意の資金調達ができた。そして私も自分が所属している学校の紹介状を持って、今北京陳経綸中学校になった崇貞学園を調べ、学校の先生の紹介を伺った。」
 “当年清水先生为了崇贞学园(崇贞女校)四处奔走筹集资金。我让我在美国的朋友去美国OBERLIN大学资料馆查找了有关资料。在那里发现了这本书中没有提到的当初为崇贞学园募捐,清水先生写给欧柏林大学Graham院长的信函,仅此一次就募集到10000美元的善款。我还让我们学校开了一封介绍信,亲自去现在的北京陈经纶中学调查了一下,请那里的老师为我作介绍。"
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1940年清水先生がGraham校長宛に書いた手紙
1940年清水先生写给Graham院长的信

私は父親の真面目さに感心した。父親は70歳を過ぎてから私に引っ張られてブログの世界に入ってきたが、今では操作が熟練しただけではなく、記事を更新するたびに多くの資料を検索・学習する。「小象はこの桜美林学園で中国語の試験を受けているのよ。」「それなら時間があるときに君も見に行ってなさい。あそこにも清水先生の銅像がある。北京にある銅像よりも本人に似ていると聞いているから。」慢慢来は北京陳経綸中学校で撮影した清水先生銅像の写真を見せてくれた。
我为爸爸的认真而感动,爸爸70岁过后才被我拖进薄客,现在不仅操练熟悉,而且每写一篇都要检索学习大量资料。“爸爸,小象就在这个樱美林学园考中文呢。”“有时间你去看看,听说那里也有清水先生的铜像,好像比北京的这座更近似本人。”爸爸指给我看他在北京陈经纶中学拍摄的清水先生的铜像。
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by tubomim | 2009-04-19 10:42 | 2009年
『朝陽門外の虹』①《朝阳门外的彩虹》①
昨年3月の春休み、私は北京の両親の家に戻った。朝、薄暗いうちに台所の明かりに気がつき、起きて確認に行ったところ、家族に迷惑をかけないように父親慢慢来はここでブログ記事の原稿を書いているのであった。近づいてみたら辞書、老眼メガネ、草稿のほかに『朝陽門外の虹』という本があった。
去年3月春假,我回到北京父母的家中。天蒙蒙亮我看到厨房有灯光就起来去看究竟,原来是怕影响家人休息的父亲慢慢来趴在这里写博文。我走近一看字典、花镜、草稿、还有一本《朝阳门外的彩虹》
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翌日、私は近くへ美容に行く。時間をつぶすついでにこの『朝陽門外の虹』を持って出かけた。とりあえずパラパラと目を通したが、多くの箇所に慢慢来が鉛筆で書いたりした跡を見つけた。この本には日本と関係する内容が書いてあるが、慢慢来と何の関係があるのかしらと思い、私は最初からまじめに再度読み始めた。すると読んでいるうちに鼻水や涙がこっそりと流れてきた。
第二天我去附近美发,顺手拿上这本《朝阳门外的彩虹》去消磨时间。随便翻翻,发现多处都有父亲用铅笔钩钩画画的痕迹。书里写的是与日本有关的事情,跟慢慢来有什么关系呢? 于是我从头开始认真阅读起来,看着看着鼻涕眼泪悄悄淌下。

「お姉さん、どんな本を読んでいるの?」と後ろで私の髪をセットしているお兄ちゃんが東北弁を操りながら体を寄せてきた。「抗日戦争前から戦争後にかけて、ある日本人とその奥さんが北京貧民窟の女の子達を助け続けていく、というようなことが書いてあるの。」「そんなことがあったんだ。正直にいうと日本人と言われてもあまりいい印象はないね。当初やっていたことといえば!」「でも全部が全部そうではない。」そこで私は読んだばかりの内容を話した。主人公の清水先生と奥さんは生活のため“暗門子(注)”していた女の子を留学生として育てた。彼女は学校の教師になり、そして幸せな家庭を持てるように助けた。「その後は?」と助手の女の子も近づいてきた。
“姐,您看什么书呢?”身后为我打理头发的师傅操着东北口音探过身来“写的是从抗战前直到抗战结束,一位日本人及他的前后两位夫人邦助北京贫民窟女孩子们的事情。”“有这样的事? 实话说,一提日本人就没什么好印象。您说他们当初干的那事!”“也不都是这样”于是我就讲了刚看到的下面一段情形。主人公清水先生及夫人将生活所迫去作“暗门子”的贫民女孩培养成留学生,使她成为一名教师并拥有了幸福的家庭。“后来呢?”旁边当助手的小女生也凑过来了。

注:暗門子(私娼)
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by tubomim | 2009-04-18 09:47 | 2009年
本当にあった話(真实的故事)
「一博一品(2008)」30名の作者の一人として当時72歳の慢慢来は下記の文章を投稿した。日本語は当時13歳の小象が翻訳した。中国語はここ⇒《真实的故事》をご参照。
作为《一博一品(2008)》30名作者中的一员,当时72岁的慢慢来投了下面的这篇文章。日文由当时13岁的小象进行翻译,中文请参照这里⇒《真实的故事》


実は慢慢来はこの文章を一度投稿したものの削除した。なぜかというと、小さい時に両親から聞いたこの話が「本当にあった話」というタイトルを裏切らないよう、山西省の太原市、交城県の親戚や知人を通じて調べていた。調べた結果、この話を知っている人は今でも多くおり、「そして日本人としての習慣はずっと保ち続けていて、常に山村のオンドルの上で正座をして人と話している。」という証言まで見つけた。そこで慢慢来は再投稿した。
其实慢慢来将这篇文章投稿后,自己又删掉了。为什么呢?为了让这个小时候听父母讲的故事,不辜负《真实的故事》这个题目,慢慢来通过山西省太原市、交城县的亲戚及朋友去进行调查了。调查的结果,至今还有不少人知道这件事,还有人证实“这位老太太一直保持着日本人的习惯,总是跪在炕头上与别人聊天。”于是,慢慢来再次投稿。

今年のはじめに「一博一品(2008)」は出版した。お祝いすると同時に慢慢来はこの話について詳しい情報を知っている人がいないかとネット上続けて募集している。なぜかと聞いたら「書いた以上、自分のできるかぎり最善を尽くし『本当にあった話』を記録したい」とパソコンに向かった慢慢来が見せてくれた父親の背中。
今年年初《一博一品(2008)」》出版了,在祝贺的同时,慢慢来又在网络上继续寻找有没有更了解这件事的人了。这是为什么呢 ? “我既然写了,就尽自己的努力记述一个《真实的故事》” 我静静地望着趴在电脑前慢慢来让我看到的这位父亲的背影。


   山西に咲いた花-梅子の恋物語

「交城山、交城川、交城県を潤わさず、分水県を潤す」。山西省交城県はこの一つの有名な民謡によって全国に名が知られている。だが、そこは一つの小さくて貧しい県で全体の80パーセントもの面積が山地である。ここには交通といえるものがない。曲がりくねった山道にはロバとリヤカーしか通れない。しかし、この山のある集落の中に一人のその地でとても尊敬されている日本人のおばあさんがいる。あの「抗日」の時代にあっても誰も彼女を責めることはなかった。このおばあさん、もしまだ生きているならば、およそ百歳になるだろう。私は彼女の本名を知らないので、ここでは「梅子夫人」と呼ぼう。

話によると、あのころ梅子は日本の貴族のお嬢様だった。彼女が中国の留学生の王さんと相思相愛になり、結婚した後、夫と共に中国にやってきた。まずは太原に、その後、この、まるで世の中から隔絶されたような王さんの実家に流れ着いた。
 
最もロマンチックなのはやはり彼(彼女)らが日本にいたときの恋物語だろう。当時日本にいた中国の留学生たちは、彼らの相思相愛は絶対に不可能で、王さんには分不相応だと皆思った。しかし後になって、これは覆された。そう、二人の恋は真実になってしまったのだ。

日本にいる間、王さんはとても貧しく、刺激の無い生活を送っていた。暇なときにはよく退屈しのぎに窓の外を見た。これが彼の一日のうちで最も自由な時間であった。しばらくして、決まった時間に必ず、ある日本人のお嬢様が自転車で窓の前を通り抜けていくのを彼は発見した。その内、時間になると一目見ようと体が勝手に動くようになった。見れば見るほどのめりこんでいく。このお嬢様は何を取ってもいいのである。

だが困ったことに彼女は一回も彼に興味を示したことが無い。王さんは一つの策略を練り、梅子が下校し帰宅する最中を狙って、一台のボロ自転車を借りて後から追いかけた。そして、彼の前輪が梅子の後輪に追いついた瞬間、いきなりハンドルを回した。梅子は道路の上にひどく転んでしまい、王さんまでもがビックリした。梅子がここまでひどく転ぶとは彼も思っていなかった。彼は梅子を抱えると一気に病院へと走っていった。治療と入院手続きの最中に、彼は電話で梅子の家族にこのことを知らせた。だが、梅子の両親が病院に駆けつけるより先に、彼は病院を離れていた。

三日後、王さんは花束を持って梅子の見舞いに来た。偶然梅子の母も病室にいた。梅子の母は彼の行為に再三感謝を示した。五日目にまた来ると、彼女の母の態度は急に180度変わった。危うく彼を病室からつまみ出すところだった。このとき、どうやら梅子の両親は何かに気が付いたらしく、再度梅子が彼と会うことを許さなかった。また、病院の看護士にもそう伝えた。

これには梅子もちんぷんかんぷんだった。だが、梅子は王さんが相変わらず彼女に会いに来ていて、窓の外であるときは手を振って、あるときは軽く頭を下げて、何か梅子のしぐさを見ると満足げに帰っていくのを見つけた。王さんが来る時間も決まっていて、時間になっても来ないと梅子は気を揉んだ。このあと、梅子の家は二度と静まらなかった。そして、その騒ぎは終わりを知らなかった。梅子の両親はいろいろな飴と鞭を使った。だが、それも実らず最終的には、無情にも「家族の縁を切る」という決着になった。梅子は後ろも振り向かず、後へも引かずに夫の王さんと中国にやってきた。

中国に帰ってくると、王さんは太原で給料のいい仕事を見つけた。二人の生活はとても満ち溢れた幸せなものであり、また家には相次いで二人のかわいい娘が生まれた。だが、神様に願いは届かなかったようだ。運命の悪魔は無情にも襲い掛かってきた。王さんは突然の病で帰らぬ人となり、あっという間にこの幸せな一家は苦境に陥った。かわいそうな梅子は藁にもすがる思いだった。そこで、梅子は頼れる知人も無く、土地勘も無い太原を去ることにした。そして、最終的には王さんの故郷でいまだ会ったことも無い王さんの親戚を頼ることに決めた。

こうして、夫を亡くした母子は交城県のこのとても貧しい山村にやってきた。村人は、好奇心と同情の気持ちを持って彼女たち3人を受け入れた。梅子が初めてやって来たときは、再度まったく見知らぬ世界に入ったようだった。彼女が知っていた僅かな中国語はここではまるで通じなかった。だが、梅子はここを唯一の家だと認めた。梅子のあきらめない性格と優しい心が彼女の人生に再度奇跡を起こした。彼女の境遇は孤独で誰にも助けてもらえない状態から仲良く互いに助け合うまでに至り、最終的には村人の心からの親しみと尊敬を受けるまでに至ったのである。彼女は交城の山村の方言も身に付け、誰も彼女を外国人だとは見抜けない。だが、日本人としての習慣はずっと保ち続けていて、常に山村のオンドルの上で正座をして人と話している。聞いた話によると、二人のきれいな娘さんは既に山から出て新たな世界を切り開いたという。だが、彼女たちは永遠に、尊敬する母である梅子を忘れることは無いだろう。

この物語は私の父親がまだ在世のころ何度となく話してくれた。父親はおろか母親までもが王さんと知り合いである。なぜなら父親は1920年(民国9年)に北京師範大学理工化学学部を卒業後、公費留学生として日本東京帝国大学に留学に行った際、日本にいた王さんと同年代で交城県出身の同郷であるからだ。
2006年 06月 12日
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by tubomim | 2009-04-07 20:01 | 2009年
夢①(梦想①)
f0056261_13352625.jpg今年のカレンダーもあと1ページだけ。町もクリスマス気分に染まり、まもなく2009年はサンタについて来る。2008年のお正月を私は北京の実家で過ごした。
今年的月历也翻到了最后的一页。街头也沉浸在一片圣诞气氛之中,过不了几天2009年就将随同着圣诞老人来临。2008年的元旦我是在北京的娘家度过的。

ソファーで横になって本を読んでいる私と机の前でパソコンに向かっている父との間に親子の会話が交わされた。いつもと同じく、日本での生活や仕事などについて聞かれ、もちろん今後の予定についても触れていた。「できれば本を一冊出してみたいな」と言ったら、父は手元のキーボートを置いてこっちに向かってきた。「この話、数年前にも聞いたことがあるね。」
躺在沙发上看书的我与坐在桌前敲打计算机的父亲随便的聊着。内容和每次一样,无非是问问我在日本的生活与工作,当然也会聊到今后的打算。“可能的话,我想出一本书。” 说到这里爸爸放下手中的键盘转过来了“这话,几年前我好像就听过呀。”。

確かに私は前から自分の本を出したいという夢を持っていた。そしてこの夢を実現させるためにかつて動いたこともある。が、素人の私には出版というものが難しすぎて、戸惑っている間に夢がどこかへしぼんで行った。しかし諦めたわけでもない、今みたいに余裕がある時にこの夢はまた膨らんでくる。
的确,很早以前我就有一个想出一本自己的书的梦想,而且为了实现这个梦想我也确实活动过。但是,出版这件事,对于外行的我来说实在是太难了。踌躇之间那个梦想就不知萎缩到哪里去了,可是也没有放弃,因为像现在这样悠闲的时候,那个梦想又会膨胀出来。

「ただ夢を見たかったら今のままでいい。しかし夢の本は天井から落っこちて来ないよ。具体的にどこに困難があった?その困難はどうしても越えられなかった?本当に越えることができなかったら諦めて別の夢を見ればいい。人間は進歩しなくちゃ。さもなければ来年またここで横になって同じ夢を見るかもよ。」
“如果只是做做梦,你就像现在这样也可以,但是梦想的书可是不会从天上掉下来的。具体哪里遇到了困难?这个困难是不是无论如何也克服不了了?如果真的过不去了,那就放弃,去梦想点别的也可以。人必须得进步,不然明年这会儿你也许还会躺在这里作同样的梦呦。”

私は起きた。北京滞在はあと三日、この三日間を利用して本格的にぶつかってみたい。着替えて出かけようとしている私に「目標は本を出すこと。ああだこうだ言わずになんとかして本を出せばいい。」と70才も過ぎた父に後ろからさらに言い付けられた。
我翻身起来了。在北京我还有3天,我要用这3天出去真的闯一闯。换好衣服正准备出门,只听70多岁的父亲在后面叮嘱我“你的目的是出书,不要强调这个那个的,想办法把书出来就可以。”

家から出て、私は有名な王府井書店に向かった。この大きな建物の中、本の海だけではなく人の海でもあり、床に座って本を読む人もずいぶんいる。本の海に囲まれた私はこんなたくさんの本を出しているなら、この中に自分の一冊があってもいいじゃないかと一瞬思った。しかし私のあのなかなか一冊にならなかった苦労を考えると、私は初めてここで並んでいる一冊一冊の本の奥にある作者の努力の姿が見えてきた。有名人にも絶対に無名な時代があると思った。ほかにもまだ本にならなかった私の夢のようなものが回りにいっぱい浮かんでいるように見えた。
出了家,我就奔那有名的王府井书店去了。这里不仅书多,人也多,有很多人就坐在地上看书。看看周围上上下下这么多的书,我突然想,这么多的书里,怎么就不能有我的一本呢?但是想想我那总是成不了一本书的辛苦,我第一次看到了每本书后面作者努力的身影,我想就是有名人他也一定有过无名的时代。此外,我仿佛还看到了很多尚未变成书的和我一样的梦想在这里萦绕。

日本と関連のある本は店頭に並んでいる。昔の《菊と日本刀》、また最近日本を訪問した有名キャスターが書いた《白岩松が見た日本》があった。あれだって日本を数日訪問した感想だけじゃないか。私はこの出版社に電話をした。「私は日本に長くもぐっているもので、岩松よりじっくり見ているかも…」とこのように本の出版社を探りながら一社一社に電話をし続けた。インターネットや友人関係などを生かして目標に向かって努力した。1月3日、ついにこの中の一社と話が付いた。
书店门口摆着与日本有关的书。很早以前的《菊花与刀》、还有前一段访问过日本的名主持人写的《岩松看日本》。那不过就是访问了日本几天的感受吧,于是,我就给这个出版社打了电话“我在日本沉底很久,也许比岩松了解的深入一点......”就这样,我一家一家地打电话,寻找着能为我出书的出版社。网络、朋友能利用的都调动起来,奔着我的目标努劲。1月3日,终于与其中的一家签约了。
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夏休み、私はやっとここで私のあの一冊を購入することができた。
暑假,我终于在这里买到了属于我的那一本。

7月に、念願の、自分にとって初めての本ができた。まだいろいろと気にいらないところもあるが、夢は現実になった。出版した喜びより常に気になっていたことに決着が付いた爽快さの方が大きい。父のお陰で 2009年には私はもう同じ夢を見なくていい。一歩進んで新しい夢を見ることができる。夢が父に励まされながら現実になった。しかし夢自体は皆さんに励まされながら見てきた。ここで今まで暖かく励ましてくださった皆さまに本当に心から感謝する。
7月,我的第一本书终于出来了。虽然还有很多不满意的地方,但是梦想变成现实了。与出版带来的喜悦相比,了却了一件常年的心事,更让我感到格外的爽快。多亏爸爸,2009年我就不用再做这个梦了,可以往前走一步,做新的梦了。那个梦想在爸爸的鼓励下变成现实了。但这个梦想本身是受到大家的鼓励才开始做的,所以在这里对热情鼓励我的各位表示衷心的感谢!
   《東瀛手記》
167ページ、68篇構成。1/4はブログ上で未発表のもので、残りは発表したままかさらに内容を加えたものである。ほとんどのものが一篇1000字未満で、中国語だけになっている。日中相互理解に少しでも貢献できれば本当に嬉しい。これも私の夢である。
ちなみに日本からの購入ですが、Shiraさんの記事にご紹介があります。 私の手元にも北京で購入したものが少しあるので、ご希望の方にはご連絡いただければ、1000円(送料込み)でお送りいたします。



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by tubomim | 2008-12-03 22:57 | 2008年
两对老小孩
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流行のグ~
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by tubomim | 2008-04-26 12:47 | 2008年
弟嫁のエピソード(夸夸我家的弟媳妇)
わが家には姉弟二人私には弟がいる。弟はたいしたエピソードはないが、この嫁については言わないといけないことがある。弟の嫁が家に入ってから北京の両親の家はけっこう明るく賑やかになった。父の日、母の日、国慶節、春節。。。彼女の鮮やかな花や緑の木は欠かさなかった。
我家姐弟二人。那个弟弟没啥说的,但这个弟媳妇可是不得不说。自打弟媳妇进了我家,北京父母的家里鲜亮·热闹了许多。父亲节、母亲节、国庆节、春节。。。她的鲜花、绿树一定少不了。

西暦であれば昨日、家の母の誕生日になる。夜、私はネットを通じてママにお祝いをした。ママの話によると弟の嫁はまた花を贈ってきたそうで、 「とてもきれいですよ、そして心という形になっている。」と言葉の中に舅としての喜びと嫁に対する喜びが感じられる。チャットが終わり、私も早速動き出した。ちょうど昨日バラ園に行ったので撮影したばかりの写真を真剣に加工し、ネットを通じてママのほうに送った。もちろん弟の嫁の新鮮な花には及ばないが彼女についで気持ちをあらわさせてもらった。
按阳历昨天是我妈妈的生日,晚上我在网上给妈妈祝贺了一番。妈妈说我弟媳妇今天又送来了鲜花, “可漂亮呢,还是个“心”字呢。”言语中透着作婆婆的欢喜及对媳妇的喜爱。结束谈话后,我也马上行动。正好昨天去了玫瑰园,赶紧把刚拍摄的照片精心加工一番,网上给妈妈送了过去。当然比不上弟媳妇的鲜花,但也跟着弟媳妇一起表表心意。

谢谢村长的指教!

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by tubomim | 2007-11-27 08:07 | 2007年