在日中国人女性の随筆  
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Today is my birthday
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昨日、北京の母からお茶、お菓子、そしてこの綺麗なカードが送られてきた。
昨天妈妈从北京寄来了茶叶、糖果还有这张漂亮的贺卡。
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今日、ブロ友からも可愛いケーキが届けられた。
今天博友又送来了可爱的蛋糕。
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さっそく食べたら、口から泡がたくさん出た(笑)。正体は石鹸!
马上开吃,结果吃得满嘴冒泡(笑),其实是肥皂!
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いつの間にか持っているものは赤一色に揃ってきた。みんな齢が選んだものだよね。
什么时候开始我的东西都一件件地变成了红色,这大概都是年龄的使然。
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by tubomim | 2012-05-10 23:23 | 2012年 | Comments(24)
大事な遺産(珍贵的遗产)
文革が過ぎたのち、カラー写真が登場した。北京へと戻された両親はこれまで以上にカメラを持ってあちこちへと出かけた。そのうえ、刷り上がったカラー写真を、日本で暮らしている私と弟にそれぞれ毎回送って来てくれた。封筒の上にびっちりと貼ってある切手を見ると、私はまたもやこんなにも高い切手代を負担させてしまったと心が痛んだ。デジタルカメラ時代になって、私が父にどのように撮影し、保存するのかを教えて間もないうちに、父はすでに写真の編集に深くのめりこんでいった。私たちがネット上から送った写真も、毎回丁寧に加工してアルバムとして作り上げ、時間と場所を明記し、時には音楽もつけてディスクに仕上げて、こちらに送り返してくれた。
文革过后,开始有了彩色照片。调回北京的爸爸妈妈更是举着相机到处“寻花觅草”,“捕风捉影”。而且还会把每次洗印出来的彩色照片分别寄给在日本的我和弟弟,看着信封上贴满的邮票我每每会心疼又让他们花费了如此昂贵的邮费。进入了数码相机时代,我刚教会爸爸如何摄影及保存,人家就更深地钻研到照片的加工里去了。我们每次随手从网上传送回去的照片,爸爸都会精心筛选加工成册,注明时间地点,有时还配上音乐作成光盘,再传送给我们。

父は自分で写真を刷る必要はなくなった。母も白黒写真をカラーに塗り上げる必要はなくなった。それでも両親は毎回何枚かの特にいい写真を選んで、外で刷ってもらい、焼き増しもして、その後写真の裏に時間と場所を書き入れていた。時にはその時の感想を書き加えることもあった。最後にアルバムへと入れて、アルバム用の棚へとしまった。この大きなガラス棚は二人が数年前にこれらのアルバムのためにわざわざ買ったもので、私たちはその時、棚のほうが写真よりもだいぶ高いよと笑っていたが、二人は写真のほうが棚より高いと言って譲らなかった。
爸爸不用再自己洗照片了,妈妈也不用再将黑白照片涂成彩色的了。但他们仍就每次都一定要挑选几张好照片拿到外面去冲洗、加印,然后在照片的背后注明时间地点,有时还会写几笔当时的感受。最后装入相册,再收藏到相册柜子里。这个大玻璃柜是老两口几年前专门为这些相册买的,我们当时笑着说柜子比照片贵多了,可老两口一口咬定就是照片比柜子贵。

わたしたちは時に、パソコンで見せてくれればいいよと二人に言っていた。しかし、二人はデジタル写真を選りすぐり、編集し、印刷、焼き増し、そして最後にアルバムへと入れるという習慣を保ち続けた。それは去年、父が亡くなる前まで続き、その時も父は私に「カメラの中に何枚か冬に入院した際に撮った、病院の窓の霜の写真があるから、いつか見てみなさい。どの結晶も違って、なかなかきれいだから。」しかし、私はいまだにそのカメラを動かすことができないでいる。手に取るだけで私の心が痛むから。そして、母も父が世を去ってからはメモリーカードを持って写真の印刷へと出かける姿を見ていない。老眼鏡を付けて写真の裏に何かを記録する姿は言わずもがなだ。
我们有时劝说老两口,在电脑上看看就行了。可二老一直坚持着将数码照片挑选、加工、打印、加注最后入册的习惯。直到去年爸爸去世前还对我说“我的相机里还有几张冬天住院时拍到的医院窗户上的冰花呢,你什么时候拿出来看看,挺漂亮的,每个花都不一样。”可是我至今还没敢动那个相机,因为一动我就心痛。而妈妈在爸爸去世后也就再也没见她拿着储存卡去打印照片,更不见她戴着花镜趴在照片后面纪录什么了。

あの日、私は弟と話していた。一生涯教師を務めてきた両親は、それほどの貧しさにも、それほどの富にも出くわしたことはなかった。私たちに残せる、最も価値のある遺産はおそらく、二人の、大事な思い出がたっぷり詰まったこのアルバム用の棚だろう。
那天我和弟弟聊天,当了一辈子教师的老两口,既没受过多大穷也没发多大过财。能留给我们最值钱的遗产大概就是老两口的这个满珍贵回忆的相册柜子了。
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by tubomim | 2011-05-05 23:27 | 2011年 | Comments(10)
大事な思い出(珍贵的回忆)
ゴールデンウィーク中は、さらに多くのボランティアが被災地に赴き、現場では数多くの有意義な活動が行われている。その中でも、泥・瓦礫・残骸などに埋もれた大事な思い出――写真を捜索・洗浄・引き渡しをする活動に特に感心している。それと同時に、私の遠い昔の一つの思い出も呼び覚ましてくれた。
黄金周假期中更有众多的志愿者奔赴灾区,在现场开展各种各样有意义的活动。其中一项寻找•清洗•交还那些散失在泥泞、瓦砾、残骸中的珍贵的回忆――照片的活动特别让我感动,同时还唤醒了我很久以前的一段珍贵的回忆。

あれは文化大革命の真っ盛りであった。私はまだ何歳かという子供である。私が北京で一緒に暮らしていた母方の祖父母の家が財産没収や監禁を受けたため、両親は私を彼らの仕事生活の場―太原へと連れて行かざるを得なくなった。ところが、着いて数日後、両親の家も財産没収を受け、人も批判を受けるために連れて行かれた。実は、両親の家には没収できるようなものはなかった。家にわずかにあるいくらかの家具も学校からの借り物である。まだ、30歳を過ぎたころでは批判され得るようなこともなかった。父がいない日々の中で、私は毎日母に付いて職場への行き帰りをしていた。職場では労働のほかには、各種勉強会や批判会に参加していた。
那是在文革盛期,我还是个几岁的孩子。由于我在北京一起生活的姥姥老爷家遭受抄家、监禁等情况,爸爸妈妈不得不把我接到他们工作生活着的地方――太原。可是才到了没几天,爸爸妈妈的家也被抄了,人也被带走去挨批斗了。其实爸爸妈妈的那个家实在没什么可抄的,因为家里仅有的几件家具还是从学校租来的。人也没什么可批的,因为他们当时刚刚30岁出头。爸爸不在家的日子里,我就每天跟着妈妈去学校上下班,在班上除了劳动就是去开参加各种学习班、批斗会。

ある日、帰り道に大学の正門を通った際に、守衛の張さんが小さな窓を開けて母を招き入れた。私は門のそばで、張さんの娘さんとゴム飛びをして遊んでいた。しばらくして、母が大きな封筒を大事そうに抱えて出てきて、そのまま私を連れてまっすぐ帰宅した。夜、母は扉の鍵をしっかりと閉め、ランタン(当時の太原はよく停電していた)のもとで、大きな封筒を慎重に開けた。私は、書類だと思っていたが、母が中から取り出したのは、一枚一枚の写真だった。
一天下班从大学的校门口路过,传达室看门的张大爷拉开小窗户招呼妈妈进去。我就在门口与张大爷的小女儿跳了一会皮筋,不一会妈妈抱着一个大信封出来了,带着我径直地回到家里。晚上妈妈锁好门,油灯下(那时太原常常停电)拿出大信封小心翼翼地打开。我以为是信件呢,结果妈妈从里面取出来的是一张张照片。

これらの写真を私はすべて知っていた。なぜなら、これらは我が家の宝物だから。私の両親はどちらも写真が好きで、我が家には、父がソ連留学の際に持ち帰った茶色の革カバーが付いたカメラがあって、これは当時にしては結構珍しい物であった。当時、よく父が深夜に真っ暗な部屋の中で、瓶や缶をいじっていて、翌日になると窓ガラスやタンスの鏡に現像された写真がたくさん貼ってあったことをよく覚えている。母の方はというと、綿棒で当時の白黒写真をカラー写真に染めていた。私の小さなころの写真を友達に見せると「えっ、あなたの小さいときにもうカラー写真があったの?」とびっくりされるほどである。私が小さい時だけではなく、両親の小さいときも、そしてさらに上の世代の小さいときも… 最も多かったのは文化大革命が始まる前、両親が山西銘賢学院でのロマンティックな学園生活と父親がソ連で撮影した異国風景であった。当時はほかに面白いものもなかったので、両親の家に帰るたびに、箱を開けてアルバムを取り出し、両親と一緒にこれらの写真を楽しみながら、当時のいい思い出を聞くのが、太原での大きな楽しみであった。
这些照片我都认得,因为这是我家的宝贝。我们的爸爸妈妈都喜欢照相,我家有一台爸爸从苏联留学时带回来的有着咖啡色皮套子的相机,在当时算是挺时髦的了。记得当时爸爸常常半夜在黑黑的屋子里鼓捣瓶瓶罐罐,第二天就会看到很多洗好的照片贴在窗户的玻璃或衣柜的镜子上。妈妈则会用棉棒把当时的黑白照片涂成彩色的。以致我给朋友看自己小时候的照片时会让朋友惊讶“你小时候就有彩色照片了?! ”不光我小时候,还有我爸爸妈妈小时候,甚至还有更上一辈的小时候。。。。。。更多的则是文革还没有开始,爸爸妈妈在山西铭贤学院时浪漫的校园生活及爸爸在苏联拍摄的异国风光。每次回到爸爸妈妈家里,由于当时没有什么好玩的,打开箱子搬出相册与爸爸妈妈一起分享这些照片,听他们讲述当年的美好回忆就成了我太原之行的一大乐趣。

実は、この大きな封筒の中の写真は守衛の張さんが、受付の近くにある学生寮の近くで拾ったものであった。おそらくは、学生たちが財産没収の際にこれを持ち出し、寮に持って帰ったが、あまり意味がないと考えて、窓かダストシュートから捨てたものであろう。張さんはこのように上から続々と捨てられた写真を数日間拾い続け、きれいに拭いた後にこっそりと母に返してくれた。
原来这个大信封里的照片是看门的张大爷在传达室附近的学生楼后面捡到的。估计可能是学生们抄家时从我家拿走,带回宿舍又觉得没用就从窗户或垃圾通道扔下来了。张大爷就这样连续几日把这些陆续从楼上扔下来的照片一张张地捡起来,擦拭好悄悄地还给了我的妈妈。

片方は天災、片方は人災。片方は堂々と、片方はこっそりと。しかし、どちらも同じように人間の素晴らしさを感じさせてくれるとともに、私たちに大事な、そして美しい思い出を残してくれた。
一个是天灾,一个是人祸。一个堂堂正正,一个偷偷摸摸。但都同样让我们感受到了人类的真善美,都给我们留下了珍贵、而且美好的回忆。
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by tubomim | 2011-05-02 10:30 | 2011年 | Comments(10)
青春の歌(青春之歌)
父親の体はとても元気で、大概の病気はすぐに治ってしまった。大病にかかったことも無かった。去年の五月に心臓の不調を感じて、母親の再三の説得を受けて、ようやく病院へ検査に行った。その結果、入院して心臓バイパス手術を受けなければならないと告げられた。このときになって初めて医療保険証を使った。
老爸的身体特棒,小病一抗就过去了,大病也没来麻烦过。去年五月偶感心脏不适,在老妈的再三劝说下,才去医院检查。结果被告知需要住院作心脏搭桥手术,这才第一次启用了那个医保蓝本。

話を聞いた私は大急ぎで北京に戻り、病院に駆けつけた。病室へと駆け込むと、父親が歌集を読みながら手術を待っているところだった。実は今は四川にいる、一人の父の大学の同級生が送ってきてくれたもので、歌集の扉にはお互いの親しみをこめた呼び名が書いてあった。その内、手術室の看護士さんが父親を手術を始めるために迎えに来た。父親は私に「何かでこのページを挟んでおいて。術後に続きを見るから。」と言いつけた。
我听说后急忙跑回北京,跑到医院,跑到病房,看到的老爸正在那里看着歌本等候手术呢。原来这是一位现在四川的他的大学同学送来的,扉页上还写着彼此亲切的小名。手术室的护士来接爸爸去手术了,爸爸叮嘱我“找个东西把这页夹住,术后我接着看。”
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父親のこの同級生は候さんといって、私が2008年に四川地震の被災地に向かった際に成都でお会いした。その際、候さんはこのように語っていた。
爸爸的这位老同学,姓候,我在2008年去地震灾区时在成都见过他。当时他给我讲了很多关于他们当年在学校的事情,其中一段讲道:

あの頃、私たちは本当に歌を歌うことが好きでした。あるとき、学校が私とあなたのお父さんを勉強させるために北京へと送りました。このとき、学校がくれたお金を使って、北京でみんなのために何か楽器を一つ買って帰ろうと考えました。二人で何軒かの楽器屋さんを回って、最終的に伴奏用のアコーディオンに目をつけました。私たち二人はどちらも楽器が出来なかったのですが、店の人が演奏したのを聴いたときにとてもいい音だったからです。帰ってからしばらく考えた末に、あなたのお父さんが、「出来ないなら学べばいい」と言ったので、私たちはまたあの店に行きました。少し教えてもらうと、あなたのお父さんが、「買おう!」と言ったので、それを買った後、二人でアコーディオンを背負って北海公園に行きました。ボートを借りて、湖上の柳の木下で練習を始めたのです。あの頃の公園は今ほど人が多くなかったので、私たちは一人が歌って、一人が演奏して…楽しいことこの上なかったですね。
我们那时候可爱唱歌呢,有一次学校派我和你爸爸去北京学习,我俩揣着学校给的钱想在北京为大家买一件乐器。两人转了几家乐器行,最后看中了一架伴奏用的手风琴。可是我俩谁都不会乐器,只是听店里的人拉的很好听。我们回来后又琢磨了很久,你爸爸说“不会咱们就学呗”于是我俩就又去了那家乐器店,请人家指点了一番,你爸爸说:“买吧!”买完我俩就背着手风琴跑到北海公园租了条船,在湖面上柳荫下练开了。那时公园不像现在这么多人,我俩一个拉一个唱,别提多高兴了。

このとき、私は湖上のあの青春を謳歌する二人の若者が見えた様な気がした。70歳を過ぎた今でも成都高齢者合唱団の主力であると、青春のよき思い出を顔に浮かべたこの方は教えてくれた。ただ、体格は昔ほど格好良くなくなったと語り、それを聞いた私はその場で大笑いした。
此时,我仿佛看到了湖面上那两个充满朝气的青年人。脸上荡漾着青春美好回忆的这位老者告诉我,年过七十的他现在仍就是成都老年人合唱团的主力,只是身板不如以前帅了,听得我当场哈哈大笑。

父親は心臓バイパスと言うこの山を順調に乗り切ることが出来たが、残念ながら、今年の初めに癌が見つかった。放射線治療によって一度は治まったが、10月に入ると日ごとに体調が悪化し、入院して18日目でこの世を去ってしまった。入院期間中もテレビの音楽番組を見ると、昔と変わらず、点滴を受けている手をたたいてリズムを取っていた。父親を送った日に私は棺の中に大きな封筒を入れた。中には我が家全員が揃った写真を1枚と父親が好んだ歌集を1つ入れた。納骨の日には骨箱の中に日ごろが父親が手放さなかったいくつかの小物を入れた。その時に母親の話に従って、父親が好んだ聴いた昔の歌のCDを1枚入れた。父親があの世でも青春の歌を聞けるように。
爸爸顺利地度过了心脏搭桥的这一大关,可惜今年年初又得了癌症。放疗后得到了控制,可是进入十月后日渐不适,住院十八天就去世了。住院期间听到电视里的音乐节目他依旧会举起扎着点滴针头的手打拍子。在为爸爸送行那天我在棺材里放了一个大信封,里面装着一张我们家的全家福,还放了一个爸爸喜爱的歌本。下葬那天我们在骨灰盒里放了几件爸爸平日爱不释手的小东西,妈妈叮嘱给爸爸带上一张他喜爱的老歌光盘,让他在天国也能听到青春之歌。
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これはベランダの譜面台に置かれた、父親がサックスを吹くために手書きで写した一冊の楽譜である。
这是凉台乐谱架上爸爸为练习吹奏萨克斯管而手抄的一册乐谱。
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by tubomim | 2010-12-17 23:11 | 2010年 | Comments(12)
紅葉(红叶)
父の、あの「満足したピリオド」を安置した次の日に、私は北京から日本へと戻った。翌日からは某省庁の19名と共に休む暇も無く各地へと視察に赴き、このミッションを終えた日からは某市の30数名と共に列島を東奔西走して企業誘致を行った。昨晩、ようやく自宅に帰り、今朝は小象の学校での面談。夜になってようやくここで自分のことに取り掛かることが出来た。
安置好父亲那个“满意的句号”的第二天,我从北京飞回东京。翌日就陪同某部的19位马不停蹄地去各地考察,送走此团的同时又接上某市的30多位东奔西走地在列岛招商。昨晚才转回家,今早又赶到小象的学校去面谈,入夜,总算可以坐在这里整理一下自己的事情。
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ここ数日、日本の紅葉は真っ赤に染まってきた頃で、道中では止めることのできない火焔の如く私のカメラに飛び込み、中で燃えて膨らんだ。
这几天正值日本的红叶如火欲燃,一路上红叶就像似势不可挡的火舌钻进了我的相机,在里面燃烧膨胀。

幸いにも父が世を去る前に、私は病院のベッドのそばで一週間立ち会うことが出来た。この間に、最も私を悲しませ、涙が止まらなかった出来事があった。父は朦朧とした意識の中で、「徳勝門外から710番のバスに乗り、香山に紅葉を見に行こう。」と寝言のようにつぶやいたのである。このとき、北京の紅葉はいよいよ赤く染まろうとしていた。去年の今頃、父親は家族と共にこの710番のバスに乗って、香山に紅葉を見に行ったのである。しかし、今年はここで横になり、天に召されるのを待っていた。
有幸在父亲去世前,我依偎在他的病床边守护了一周的时间。在此期间最让我难过,让我泪流不止的就是听到他朦胧中喃喃地说:“从德胜门外乘710路,去香山看红叶。”此时北京的红叶正要见红,去年的这个时候父亲就是与家人一起乘710路汽车去香山看红叶的,可是今年他却躺在这里等待着上帝的召唤。

父はどれほど生活を愛し、自然を愛していたか。入院する数日前でさえも、暮らしの中で見つけた様々な美しい物をカメラで記録していたのである。途切れることの無い、大粒の涙を抑えきれず、私はベッドのそばを離れて、廊下へと逃げて、さらに中庭へと出て行った。見上げてみると、木は紅葉で真っ赤に染まってきており、本気で父親の慢慢来を病床から、車で連れ出して一緒に香山の紅葉を見に行こうかと考えた。
父亲是多么地热爱生活、热爱自然,就在住院的前几天他还用相机捕捉纪录了他发现的生活中美好的点点滴滴。断线的泪珠让我从床边躲到了楼道,又让我从楼道躲到了庭院。仰头望着树上挂满的泛红树叶,我当时真有心从病床把慢慢来搬起来开车陪他去看看香山的红叶!

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その後、私たちは何箇所かの墓地を見学し、最終的に父親慢慢来のあの「満足したピリオド」を西方郊外の万佛園に嵌めこむことにした。そこは、一山全てが紅葉に覆われて、真っ赤に染まっていたからである。
此后,我们去看了几处陵园,最后决定把慢慢来那颗“满意的句号”镶嵌在西郊的万佛园,因为那里满山红叶,层林尽染。

明日私は再度北京へと戻り、その後は、研修団と共に九州で「一村一品」について学ぶことになっている。しばらくは、私を休ませないで。暇があると、私は景色に触れる度に、感慨にふけり、物を見るたびに、人を思い出すから。
明天我又将去北京,回来后还要陪团去九州学习“一村一品”。近期还是别让我闲着,因为有空我就会见触景生情,见物思人。
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by tubomim | 2010-11-27 23:39 | 2010年 | Comments(20)
満足したピリオド(满意句号)
2010年10月26日、慢慢来は満足したピリオドを打ちました。ここで、生前にお世話になった皆様に感謝の意を示させていただきます。
2010年10月26日慢慢来画上了满意句号。在此感谢生前予以他理解帮助的亲朋好友。
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by tubomim | 2010-10-27 13:03 | 2010年 | Comments(33)
小静(下)
日本語は後で

此后我回北京时,第一次在她的发廊见到了小静。以前我只经由妈妈收到过一张她的黑白照片,上面是一个怯生生的乡下小姑娘,然而眼前却是一位京城小老板。“姑姑,您在北京办什么事找我,街道的、工商的我都混得特熟,上下都能玩得转。”果真如此,我俩出去吃饭时,街上就有不少人跟她打招呼。进了饭馆她叫了好几个菜,菜上来了只见她翘着腿说道:“姑姑,您吃吧,我天天吃都吃腻了。”于是,我就像常吃不饱刚进城的人似的开始一人吃起来了。可是我不吃肉,没几样能伸筷子的。她问我能吃什么菜,我随便说了个菜名,只见一会人家从饭店外面端着就进来了。原来这个店里没有,她就让别的店作好又端到这里,看来小静的确在这里能玩得转。虽然她挺热情,但我总感觉与我想像中的小静有点不一样,嗨,连自己都成不了希望中的自己呢,甭说别人了。

时隔数年后,小静这次中秋到我家,告诉了我妈妈她们一家的近况:

小静的爸爸在京城辗转了几个打工点后,在一家连锁烤鸭店站住了脚,深得老板信任。现在年纪大了,就到老板京郊的空闲小院去看房。除了工钱外店里还定期给他送来食品等,自己也在小院里种点蔬菜。老板怕他寂寞惦记乡下,还帮他弄来两头小羊在院子养着解闷作伴。

小静的妈妈进城后就在一位女社长家里做保姆。这位离婚的女社长有个费心的儿子,所以女社长忙外,小静妈妈主内,几年下来混得成了一家人。

小静的妹妹毕业后也来北京打工,就在爸爸工作过的烤鸭店。从端盘子做起,现在已经是一名拥有二百多名店员的店长了。小静的弟弟毕业后也进了这家烤鸭店,就在我家附近的分店顶着高高的白色厨师帽当厨师,而且马上就要结婚了。

小静呢,此后卖掉发廊,转身进了妈妈管家的那位女社长的企业,当了女社长的秘书。除了干些杂事,也学着电子绘图等技术。现在人家在北京城里也买了自己的房子,更可喜的是小静3年前开始就读北京理工大学的函授班,明年就要毕业了。

现在小静全家都在北京站住了脚,家乡的老房破地也转给了别人,只可惜她的妈妈不幸身患绝症几年前在北京去世了。

最后我妈妈在电话里说“对了,你看有没有合适的给小静介绍个对象吧,那孩子挺懂事的。把全家都安排好了,自己还没个着落呢,要是她妈妈在世一定该着急了。”
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这是我生小象时,小静妈妈为小象缝制的虎头鞋。


追记:这已经是两年前的事了。今年的中秋,小静身边可有陪伴?也许作了孩子的妈妈?
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by tubomim | 2010-09-23 10:15 | 2010年 | Comments(12)
小静(上)
日本語は後で
这是两年前的中秋节那天写的,趁今天中秋节之际把它写完吧。
今天中秋给北京的家里打电话问候,妈妈高兴地告诉我“你猜谁来了?小静来了!”小静是我在1992年通过“希望工程”结识的一位农村姑娘。

那年某日,我偶尔在《人民日报 海外版》看到了“希望工程”的消息。当时捐助5000日元(或200人民币)就可以帮助一个农村失学的孩子去读小学。于是我与大象、弟弟、友人田中夫妇、小林、小张一起共捐助了6位失学儿童,手续是让在北京的妈妈代我们去办理的。

由于是我牵头总得对大家有个交代,于是数月后又让妈妈蹬车去打听捐款的具体去向。不久大家陆续收到了几个孩子的来信还有成绩单,唯独我的那份没有下落。
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我亲爱的老妈又再次蹬车去查询,终于查个水落石出。原来那份捐款,捐进了村庄却没捐到个人。经老妈一査,浮出个小静,此时已经是个12岁的半大姑娘,却还没有进过学堂。就这样小静终于背上书包第一次走进了小学,读了2年小学又进了中学。由于基础有限,高中是说什么也进不去了。

要说到此我的“希望工程”该结束了,可是我希望她能自食其力,在家乡找到一份事做。于是先打听一下她的家乡都生产什么吧,我写信问道“你们哪里有什么?”记得她歪歪扭扭地写道“有土”“土里种什么?”“种什么都不长”。没有去过农村的我琢磨“有土,就总得有路吧,有路就总得有车吧。就让她学个修车的手艺在路边修车吧,即使是修理自行车也总算有个自己的饭碗呀。”于是,我又给她寄去800人民币,想像着小静将来蹲在“什么都不长”的乡间小路旁修车的情形。

然而,小静可不像我这么土帽儿,人家怀揣着800人民币到北京上了美容学校。这是因为那几年当中我北京的老妈不仅帮她学习与生活,还接她与她父亲第一次来到了北京。妈妈说“别提了,小静没坐过车一路晕车,带她故宫博物院、少年科技馆,到哪儿都晕得没看成。”可是人家却看清并记住了我家附近有所美容学校。

就这样,自从这次进过一次京城,小静的爸爸就开始在京打工,不久她妈妈也来京当了保姆。小静美容学校毕业后在东城的发廊找到了工作,不久能干的小静就承包了这家发廊当起了老板。据说家乡的弟妹也不再像她个个都进了学堂。  (待続)
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by tubomim | 2010-09-22 23:00 | 2008年 | Comments(2)
月餅(月饼)
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ピンポーン、ドアを開けると国際小包が目の前に届いた。実家の母からだった。小象は先月北京から戻ってきたばかりなのにどうして?開けてみると月餅がいっぱ~い。部屋中のカレンダーを全部チェックしたが今日が旧暦の何日か分からないまま、さっそく北京に電話をした。「食べて、食べて」母は嬉しそうにこればかり言い続けた。すでに高齢になった母は一人で術後の父の世話をするだけでも大変なのに……
乒~嘭~打开门一看,一个国际邮包举到了我的眼前,是我娘家妈妈寄来的。小象上月刚从北京回来,怎么......拆箱一看,全是月饼。找遍了家里的挂历也没发现今天是阴历几日,赶紧给北京打电话。就听我妈在电话的那边高兴地不停地说“吃吧、吃吧。”妈妈这么大年龄, 光一个人照顾术后的爸爸就够辛苦的了,还......嗨~真是的。

「郵便局では規定で卵やハムが入っているものは郵送してはいけない、また2KG以下という制限もある。」
「じゃあ…」私は目の前の月餅を眺めながらママに聞いた。
「私は食品って書いて、どんな食品と聞かれたから、お菓子って答えた。お菓子って何?って聞かれたから、『お菓子』は日本語って答えた。」
ああ~、私の愛すべき母よ!!
“邮局现在规定不让寄蛋黄、火腿月饼,还限制只能寄 2公斤”
“那......”我望着眼前的月饼。
“我填写的是食品,他问什么食品?我说是菓子(guozi)。他问菓子是什么?我说菓子是日文。”
哈哈~我亲爱的老妈。


ちなみに今日は旧暦の7日だと言われた。
对了,老妈告诉我,今天是阴历8月7日。
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by tubomim | 2009-09-25 10:24 | 2009年 | Comments(28)
お爺ちゃんと孫(爷孙俩)
小象は夏休みの初日に一人で北京のお爺ちゃんとお婆ちゃんの家に行った。一つは中国語の勉強になるし、そして今年5月に心臓の手術を受けたばかりのお爺ちゃんのお見舞いにもなるから。
小象暑假第一天就一个人去北京姥姥老爷家了。一个目的是想让他在北京学学中文,另一个目的是陪伴一下今年5月刚作了心脏手术的老爷。

お爺ちゃんの慢慢来は手術後一ヶ月ぐらい経ってからまたブログを書き始めた。回数は少ないものの依然として、書くために大量の調査・研究・勉強をし、いい加減なことは絶対ないようにしている。
老爷慢慢来术后一个月就又开始写博客了。写的篇数不多,但依旧是篇篇要经过大量调查・研究・学习,不带半点马虎。

2006年7月自分の母校《中国のオベリン銘賢学院》を書くときにアメリカオベリン大学と日本の桜美林学園の繋がりを見つけた。
2006年7月写自己的母校《中国欧柏林(Oberlin)铭贤学院》时,发现了美国欧柏林(Oberlin)与日本樱美林学园的关系。

すると、2006年12月に《オベリンと日本の日本樱美林大学》を書いた。日本樱美林学園を書く際にこの学園の創始者である清水安三先生に関心を持った。
于是,2006年12月就写了《欧柏林(Oberlin)和日本的樱美林大学》。写到的日本樱美林学园时,发现了学园的创始人清水安三先生。

すると2008年の3月に《生涯教育事業に無我夢中だった清水安三先生》を書いた。これを書くために《朝陽門外の虹》という本に出会った。
于是,2008年3月就写了《终生痴迷教育事业的清水安三先生》。为了写这篇文章发现了一本《朝阳门外的彩虹》。

すると2009年7月、つまり2~3日前にこの本の作家についての文章《日本の著名な現代作家―山崎朋子さん》を書いた。
于是,2009年7月也就是前几天又写了一篇关于该书作者的文章《日本著名的现代作家—山崎朋子女士》

書いた内容はとても豊富であるが、残念ながら中国語になっている。ところが、思わぬことに北京にいる小象が二日間かけてお爺ちゃんのこの文章を日本語に訳してくれた。このような文章の翻訳は難しい。あの時代の背景を知らないといけないし、同時に人名、映画名、書名そして通用訳名なども調べなければならない。正直言って私が翻訳に頼まれても気後れするだろう。しかし息子の小象はママより強し。
写了很多的内容,可惜都是中文。没想到在北京的小象用2天的时间帮助老爷翻译成了日文。这样的文章可不好翻译,要了解当时的时代背景,同时还有很多人名、书名、电影名需要了解原名和习惯译名。实话说让我翻译我都会发怵皱眉头的,可是儿子小象比我强。

「原文を全部理解できるの?」「理解できないのがあったら何回か読む、それでも理解できない場合はお爺ちゃんに聞けばいい。」「あのソ連の人の日本語名は大丈夫?」「それはご安心を。人名、書名や映画名などはすべてネットで調べたから。」翻訳については昨年『一博一品』の翻訳に参加した小象がすでに感想を言った。「つまり 先ず飲み込んでまた吐き出す」「ママ、訳文をアップしたから間違いがないか見てね。あったら教えて。」正直言ってママの目が日本語を見る時は本当に鈍くなる。例え間違いがあったとしても君の15歳の成長記録としてここに残してあげたい。
“原文你都能看懂吗?” “遇到不懂的就多念几遍,再不懂就问老爷呗。” “那个苏联人的日文译名对吗?” “这个您放心,那些人名、地名、电影名什么的,我都在网上查过了。” 至于如何翻译,去年参加《一博一品》翻译时,小象就说了“先吃进去再吐出来。” “妈妈,我把译文贴上去了,您帮我看看有没有翻得行不行?有错误告诉我一声。”实话说,当妈的我这双眼看日文还真发拙,即使有毛病我也愿意作为你15岁的成长记录把它留在这里。

小象が訳した日本語日本の著名な現代作家―山崎朋子さん。訂正があればコメント欄へどうぞ!
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by tubomim | 2009-08-02 10:51 | 2009年 | Comments(8)