在日中国人女性の随筆  
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3.ロンドンBIG BUS(伦敦BIG BUS)
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私たちのロンドン滞在時間は一日しかない。なので、ロンドン市内観光バス「BIG BUS」を選んだ。一人27ポンド、一日乗り放題。
我们在伦敦只有一天的观光时间,于是选择了伦敦巡游观光巴士“BIG BUS”。每人27英镑,一日内可多次上下。
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緑、赤、ブルーの合計三コースがある。BIG BUS線路図から、行きたい観光スポットに行くBIG BUSを選定。バスの先頭にはコースの色(このバスはブルー色)とバイリンガルサービスを提供する言語が表示されている。赤いコースのバスでは英語を話すガイドさんが案内してくれる。興味があればネット上で体験することもできる。
共有红、蓝、绿三条线路。根据BIG BUS线路图,选择你要前往景点需要搭乘的BIG BUS。车头显示线路的颜色(本车为蓝线)及语言服务。红线车上配有英语导游,有兴趣的可以网上体验
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乗車後、イヤホンを受け取る。各座席の裏或いはそばに挿し口がある。
上车后领取耳机,每个座位后面或旁边耳机插口。
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提示されたバイリンガルサービスでチャンネルを選ぶ。
根据提示选择语言服务频道。
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オープン観光バスの乗り心地は最高。小雨でも大丈夫、車内にはレインコードが備え付けてある。私たちは国会議事堂、ビッグベン時計、ロンドンアイ、ロンドンタワー、市政庁などの有名な観光スポットなどを、そして市内の様子を眺めた。
乘敞篷车观光的感觉很好,下点小雨也无妨,因为车内备有雨衣。我们乘车游览了国会大厦、大本钟、伦敦眼、伦敦塔、市政厅等著名景点及市容。

5月30日エジンバラにて、明日からグラスゴーへ
5月30日写于爱丁堡,明天前往格拉斯哥
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by tubomim | 2011-05-30 07:16 | 2011年 | Comments(16)
2.好事魔とても多し(好事多多磨)
一日休んで、片目を赤くしたまま、北京空港へと向かった。
休息一天,红着一只眼睛继续前往北京机场。
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十一時間半の昼間のフライトを経て、私はついにロンドンへとやってきた。空港はあまり明るくなく、日本の「計画停電」をすぐに思い出した。
经过十一个半小时的昼间飞行我终于来到了伦敦。机场不够明亮,一下联想到日本的“计划停电”。
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私が乗る地下鉄を見つけることにはあまり苦労しなかったが、何駅も進まないうちに進まなくなってしまった。突然何か放送が聞こえ、多くの乗客が乗り換えるためにすぐに車外に出た。しかし、私は全く理解できなかったので、車内で待つしかなかった。車内の乗客はますます減っていき、私も座っていられなくなった。荷物を引いて地上へと上がり、イギリスの黒いタクシーに乗って、25ポンド払ってついにホテルへとたどり着いた。そこでは、ちょうど友人たちが私のために心配してくれていた。どうやらようやくアジアを抜け出した私に、ちょうどロンドン地下鉄のストライキが重なってしまったらしい。
没太费事找到了我要乘坐的地铁线,可是地铁开出没几站后,就开始走走停停。有时突然广播什么,只见很多乘客听到广播就冲出去换乘别的车。可是我根本听不懂,只好在车里耐心等候。车厢里的乘客越来越少,我也坐不住了。拖着行李钻出地面,搭乘英国的黑头出租车,25英镑终于来到了酒店。朋友们正在那里替我担心呢,据说伦敦地铁的罢工让好不容易冲出亚洲的我给赶上了。

エジンバラ にて
在爱丁堡
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by tubomim | 2011-05-29 06:56 | 2011年 | Comments(12)
1.三度目の正直(好事多磨)
結婚後、夫婦で一度ヨーロッパへ行こうと計画を立てていた。休みを取り、ビザも申請して、すべて準備万端だったが、小象がやってきたので、行けなくなってしまった。
结婚后, 夫妇计划去一次欧洲。安排假期,申请签证。一切都安排好了,发现小象来了,于是没有去成。

数年前、福田先生とともに東欧登山旅行へと出かける予定であった。多くの訓練を重ね、数か国のビザを申請し、すべての準備が整ったが、出発直前に福田先生の奥さまが体調を崩されたため、今回も行くことができなかった。
前几年, 准备跟福田先生去东欧登山旅行。多次的训练,几国的签证,一切准备就绪。结果临出发福田先生的太太身体不适,又没有去成。

おととい、日本から出発して、北京経由でイギリスへ向かった。今回、ついにアジアから出ることができると思っていたが、北京空港で突如目から出血してしまい、なんと飛行機に乗ることができなかった!そのため、ほかの人のお見送りをするほかなかった。今日病院に行ったところ、急性結膜炎と診断された。ああ、好事魔多しとはよく言ったものだ。
前天,从日本出发,途经北京前往英国。本以为这次我终于可以冲出亚洲了。结果在北京机场因为眼睛突然出血,居然没能上成飞机!只好看着别人先走了。今天去医院诊断为急性结膜下出血,改为明天的飞机。啊,真可谓好事多磨。

谢谢各位的留言,在中国只能投稿,不能回言。
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by tubomim | 2011-05-17 16:54 | 2011年 | Comments(10)
雪中探孙
「神戸大家庭」というと内海先生のことを言わなければならない。内海先生は福田先生の大学の後輩で、福田先生がチームを引率して海外で登山や探検をする際の秘書長でもある。「神戸大家庭」においては留学生たちの母親の役割を担っている。二年前に書いた内海先生についてのエッセイを下記で紹介する。
说到“神户大家庭”还必须提到内海先生。她是福田先生大学的后辈,也是福田先生常年来带队出征海外登山、探险时的秘书长,而在“神户大家庭”里她扮演的是留学生母亲的角色。下面是我两年前写的一篇关于内海先生的短文。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
私たちの大家庭は本当に賑やかで、福田先生は絶えずに中国から弟や妹を連れてくる。そしてその弟や妹たちもまた彼や彼女のパートナーを連れて来たり見つけてきたりする。時間の移り変わりに伴い、その可愛い次の代もまた誕生、そして次から次へ。福田先生と内海先生は私たちの面倒だけではなく、さらに私たちの次の代を自分の孫と孫娘として可愛がってくれた。
我们的大家庭真的很热闹,福田先生不断地从中国带来弟弟妹妹,弟弟妹妹还会带来或找到他(她)们的另一半。随着时间的推移又诞生了可爱的下一代,而且是一个接着一个。福田先生与内海先生,不仅照顾了我们,更把我们的下一代视作他们的孙子孙女一般。

ある年、内海先生は出版のことで東京に来た。用を済ませると我が家に泊まりに来てくれた。翌日神戸に戻る前に陳君と立新さんのところへ生まれたばかりの赤ちゃんに会いに行くと計画していた。しかし、翌日起きてみると天地を覆い隠すような大雪であった。これは珍しいほどの大雪で、やみそうにもないようだ。我が家は神奈川県にあるが、千葉県にある陳君と立新さんの家に行くには東京都を横切らなければならない。こんな大雪なのに…
那年内海先生为了出版的事情来到东京,办完事当天住在我家。第二天计划返回神户前去陈君与立新那里看望他们刚生的宝宝。可是,第二天起来一看,大雪下得铺天盖地。这是一场罕见的大雪,根本没有停下来的意思。我家在神奈川县,陈君与立新的家在千叶县,需要穿过东京都,这么大的雪……

しかし、内海先生はこの大家庭の新しい孫に会いに行きたい一心だった。仕方がなく私と主人は除雪のために庭に出た。車のタイヤが大雪に埋もれて姿が全然見えなくなる光景はなんて今まで見たことがなかった。私たちはタイヤのために雪の中に大通りにつながる溝を二本掘り出して、雪が舞う中私たちは出発した。途中で走っている車を見ることもなかったし、歩いている人も見かけなかった。車は大きな駅に着き、私は内海先生を支えながら深い雪の中に足を踏み込んでは抜き出し、ゆっくりと歩きながら駅へ近づいて行った。内海先生の足が弱いのは知っている。そしてこんなに多くの荷物も持っている、すでに70あまりの高齢なのに。私は本当に感動して、思わず先生を見た。私に見えたのは間もなく孫に会えるおばあちゃんの満面の微笑みと喜び。帰宅途中に主人と感心した。例え自分の本当の孫だったとしてもお婆ちゃんはみんなここまでできるのかしら。
可是,内海先生就是一心要去看这个大家庭的新孙子。无奈,我与老公先去院里除雪,从来没见过大雪会把车轮埋没。我们给车轮一直挖出两条可以通往大道的雪沟,顶着纷飞的雪花我们上路了。一路上没见到行车,也没见到行人。汽车开到一个大的电车站,我搀扶着内海先生在深雪中跋涉着走近车站。我知道内海先生腿不好,还背着这么多行李,再说都70多岁的老人家了。我真的很感动,不由得看了她一眼,我看到的是马上就要见到孙子的老奶奶的满脸喜悦与兴奋。回家的路上我与老公感慨,就是自己的亲孙子奶奶也未必都能这样。

今、私たち大家庭の孫たちが立って並んだらすでに長い列にもなり、大きい孫はすでに20歳を過ぎた。この子たちはみんな神戸大家庭のおじいちゃんおばあちゃんの保護と愛情をたっぷりと受け取った。彼(彼女)たちもきっと神戸に自分の大好きなおじいちゃんとおばあちゃんがいることを忘れることができないだろう。如今,我们大家庭的孙子辈站出来能有一排,大的都20多岁了。他们个个都承受了神户大家庭爷爷奶奶的呵护与关爱,他们也不会忘记在日本的神户有自己的喜爱的爷爷与奶奶。

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内海先生が出版した『万里長城 6000km、世界初踏察記』
内海先生出版的《万里长城 6000km、世界首次勘察记》
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9年間をかけ、6000kmの終点山海関に到着際 孫たちも迎えに来た。
历时9年,到达6000km的终点山海关时,孙子们也来迎接。


2009年7月10日金曜日
2009年7月10日星期五
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by tubomim | 2011-05-14 22:54 | 2011年 | Comments(0)
時計(时钟)
私たち、海外からの留学生のほとんどはこのようにお世話になって、今に至るまで交友が続いている日本の古い友達が数名いる。神戸にご在住の福田先生も、このような熱心に中国からの留学生のお世話をしてくれるおじいさんの一人で、今までに中国から30名以上の留学生を中国から招き、彼らやその家族、保証人で一つの「神戸大家庭」を築き上げた。下の文章は私が二年前に書いた福田先生に関する文章である。
我们每位外国留学生,大概都有几位这样受过关照,并交往至今的日本老朋友。神户的福田先生就是一位热心照顾中国留学生的老人,他曾经从中国办来了30多位留学生,并将这些孩子、孩子的家属及保证人组成了一个“神户大家庭”。下面是我两年前写的一篇关于福田先生的短文。
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「神戸大家庭」の中では、もしかしたら私と福田先生が最初に知り合ったのかもしれない。あれは1987年のことであった。京都でのある日本・中国・ネパールの三国連合隊によるエベレスト登頂の協商会議に、私は通訳として参加した。あの会議に参加していた人はとても多く、私は実際には誰が誰だか全く覚えていない。
“神户大家庭”里可能我与福田先生认识的最早。那是1987年在京都一次中日尼三国联合攀登珠穆朗玛峰的协商会议上,我应邀去作翻译。参加那次活动的人很多,我实际上根本记不清哪位是哪位。

会議が終わった後、私は東京の「四畳半」に戻って留学生活を続けた。ある日、神戸からの手紙を受け取った。手紙のほかに、何列かに並んで一緒に撮った集合写真もあった。写真の裏側には、一人の輪郭が線で示されていた。「これが私です。私は福田といいます。」私が再度表を見てみると、ひとりの目を細めて微笑んでいる方がいた。これ以降、私は福田先生から長女と称され、中国から途切れることなく私のために弟や妹を連れてきてくれて、私たちの「神戸大家庭」をにぎやかなものにした。
活动结束后,我回到了东京我的“四叠半”继续我的留学生活。一天收到了一封来自神户的信,除了信件还有一张几排人站在一起的集体照。照片背面用线条勾画出了一个人的轮廓,“这就是我,我叫福田”我再翻过正面一看,一位眯眼微笑的长者。从此我就被福田先生称作长女,他不断地从中国为我领来弟弟妹妹,使我们的“神户大家庭”热闹非凡。

私は多くの兄弟姉妹と同じく、福田先生から数多くのプレゼントをお贈りしていただいた。そのうちの一つがこの時計であり、すでに23年が経った。当時の私の「四畳半」にはテレビがなく、私は隣の部屋のテレビを聞くことで、毎日情報を手に入れていた。福田先生がくれたこの時計にはラジオ機能がついており、ニュースを聞くことができるようになった上に、もっと大きかったことは私の「四畳半」に音があるようになったことであった。毎朝のアラームは天気予報にセットし、また、私はこの中から「こようほう しっきゃく」という言葉を聞き取ったこともあった。「こようほう」は胡耀邦、「しっきゃく」は… 何?失脚?私はなんとこの小さな時計から中国国内の政局に重大な変化が生じたこともチャッチしたのであった。夜に時計を見やすいように、時計の文字盤には小さなランプが内蔵されていて、夜にはよく時計を持ち上げて懐中電灯として使っていた。
我与众多的兄弟姐妹一样,得到过福田先生赠送的很多礼物。其中一个就是这个时钟,至今已经23年了。当时我的“四叠半”里没有电视,我每天靠听隔壁的电视获取信息。福田先生送给我的这个时钟上面带有收音机功能,不仅可以听新闻等,更主要的是我的“四叠半”里有了声音。每天早晨的叫醒我设定为天气预报,我还在里面听出了“こようほう しっきゃく”こようほうは胡耀邦、しっきゃくは……何?失脚?我居然还通过这个小小时钟了解到国内政局出现了很大的变化。为了夜晚看钟方便,时钟的针盘里还有一个小小的灯泡,我常常起夜时举着它当手电。

この後、私はおよそ5回も引っ越したが、毎回この時計を持って移って行った。生活条件の改善に伴い、時計も時間を示す作用しか発揮しなくなった。息子は中学生になって以降、毎朝5:30には起床しなければならず、時間になったらきちんと起きられるように我が家の目覚まし時計はすべて息子の部屋に集結している。この時計はその中で先陣を切り、毎日時間になるとまるで一人の忠実な老兵かのごとく鳴っている。
此后我大约搬过5次家,但我每次都带着它。伴随我生活条件的改进,时钟就只发挥着显示时间的作用。儿子上中学后每天要清晨5:30起床,为了保证到点就起,我家所有的闹钟都集合到儿子的房间。这个时钟首当其冲排在第一个,每天到点就响,如同一名忠实的老兵。
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おおよそ二年前の夕方に東京は突如停電した。私が東京に来て二十数年経ったが、今回初めて出くわした。急いで、習慣的にテレビをつけて、どうして停電したのか見ようとしたが、テレビから反応はなかった。は~、停電しているのに付くわけがないか。少し待とう、しばらくすればまた電気は来るだろう。ところが、空が徐々に暗くなっていっても、一向に電気が復旧する気配はない。私も蝋燭や懐中電灯を探してみるものの、残念ながら我が家では昔からそのような準備なんてしてこなかった。その「万が一」によりによって自分が遭遇することもないだろうとずっと思ってきたのだから。買いに行こうにも外の街路灯もついていない。
大概两年前的傍晚,东京突然停电,这是我来东京20多年来第一碰到。赶紧习惯地打开电视看看为什么停电,电视没反应。咳,停电哪能有反应。等等吧,一会儿就会来,可是天渐渐黑了也不见来电。我开始寻找蜡烛、手电,可惜我家从来没有准备,老觉得那个“万一”不会让我遇到。出去买吧,外面路灯也黑着。

この時、私は突然、以前に懐中電灯としてこの時計を使っていたことを思い出した。何とか息子の部屋までたどり着き、老兵に引っ張ってきた。小さなボタンを押すと、20数年も使っていない小さなランプは、かつてのように輝き、あたり一面の暗闇の中ではむしろ目にまぶしいくらいであった。さらにうれしいことに、私は不意にあの20数年間も使わなかったラジオに触れ、音がでた。ラジオは私にアクシデントのために停電しており、ただいま緊急修理中で、現在どの地区ではすでに復旧した…等々を教えてくれた。この突然襲ってきた暗闇の中で時計は私に最も必要な明かりと情報をくれたのだ。
此刻,我突然想到了以前我当手电用过的这个时钟。摸到儿子屋子,拽过老兵。一按小钮,20多年没再用过的小灯泡依旧闪亮,甚至在一片黑暗中还显得有些耀眼。更可喜无意中我碰响了那个20多年未触摸过的收音机,它告诉我因为意外事故停电,正在抢修中,现在哪个区域已经恢复了等等。这个时钟给了我在这突然来临的黑暗中最需要的光亮与信息。

ここまで書いたら、私は今まで福田先生が私たちのためにしてくれたすべてのことを思い出した。これらの小さなことも、私たちが大事にすればそれは一生にわたっていいことをもたらしてくれる。特に困難に遭遇した時は。
写到这里,我不由得想起了福田先生为我们所作的一切。这点点滴滴,只要我们珍惜将会受益终生,特别是在遇到困难的时候。

あの時計もすでに黄ばみ出してはいるが、時間は決してずれない。まるで一名の現役の老兵がこれらの福田先生にまつわるすばらしい思い出を守ってくれているかのように。
那个时钟虽然已经有些变色发黄,但它分秒不差,就像一位现役的老兵,守护着这段关于福田先生的美好回忆。

2009年7月8日水曜日
2009年7月8日星期三
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by tubomim | 2011-05-14 22:39 | 2011年 | Comments(6)
母の日(母亲节)
毎年の母の日(出張等で東京から離れていない限り)私は訪ねるところがある。それは、私が来日当初に住んでいた下町の近所のおばあちゃん。下町には1年半ぐらい住んでいたが、それ以来25年近くもの間、母の日になると通っていた。毎回行くたびに、近くの風景を見ると実家に帰ったような懐かしい気持ちになる。今年持っていったのはお花とこのカーネーションケーキ。どこから食べようかな、どのようにカットしようかな、食べるのももったいない、食べないのももったいない......とおばあちゃんと楽しく検討していた。
每年的母亲节(除非因为出差等原因我不在东京)我都有要去的地方。这就是我刚来日本时居住过的市井小街的邻居老奶奶家。我在这个市井小街住了大约1年半的时间,打那之后将近25年的母亲节我几乎都要往那里跑一趟。每次走到那里,看着周围的一切,我好像真的回到了娘家似的感觉,非常怀念。今年我带去的是花和康乃馨蛋糕。啊~从哪里吃起呢?怎么下刀呀?吃了真可惜,啊~不吃也可惜......就这样,我与老奶奶高兴地琢磨着。
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by tubomim | 2011-05-09 00:17 | 2011年 | Comments(12)
大事な遺産(珍贵的遗产)
文革が過ぎたのち、カラー写真が登場した。北京へと戻された両親はこれまで以上にカメラを持ってあちこちへと出かけた。そのうえ、刷り上がったカラー写真を、日本で暮らしている私と弟にそれぞれ毎回送って来てくれた。封筒の上にびっちりと貼ってある切手を見ると、私はまたもやこんなにも高い切手代を負担させてしまったと心が痛んだ。デジタルカメラ時代になって、私が父にどのように撮影し、保存するのかを教えて間もないうちに、父はすでに写真の編集に深くのめりこんでいった。私たちがネット上から送った写真も、毎回丁寧に加工してアルバムとして作り上げ、時間と場所を明記し、時には音楽もつけてディスクに仕上げて、こちらに送り返してくれた。
文革过后,开始有了彩色照片。调回北京的爸爸妈妈更是举着相机到处“寻花觅草”,“捕风捉影”。而且还会把每次洗印出来的彩色照片分别寄给在日本的我和弟弟,看着信封上贴满的邮票我每每会心疼又让他们花费了如此昂贵的邮费。进入了数码相机时代,我刚教会爸爸如何摄影及保存,人家就更深地钻研到照片的加工里去了。我们每次随手从网上传送回去的照片,爸爸都会精心筛选加工成册,注明时间地点,有时还配上音乐作成光盘,再传送给我们。

父は自分で写真を刷る必要はなくなった。母も白黒写真をカラーに塗り上げる必要はなくなった。それでも両親は毎回何枚かの特にいい写真を選んで、外で刷ってもらい、焼き増しもして、その後写真の裏に時間と場所を書き入れていた。時にはその時の感想を書き加えることもあった。最後にアルバムへと入れて、アルバム用の棚へとしまった。この大きなガラス棚は二人が数年前にこれらのアルバムのためにわざわざ買ったもので、私たちはその時、棚のほうが写真よりもだいぶ高いよと笑っていたが、二人は写真のほうが棚より高いと言って譲らなかった。
爸爸不用再自己洗照片了,妈妈也不用再将黑白照片涂成彩色的了。但他们仍就每次都一定要挑选几张好照片拿到外面去冲洗、加印,然后在照片的背后注明时间地点,有时还会写几笔当时的感受。最后装入相册,再收藏到相册柜子里。这个大玻璃柜是老两口几年前专门为这些相册买的,我们当时笑着说柜子比照片贵多了,可老两口一口咬定就是照片比柜子贵。

わたしたちは時に、パソコンで見せてくれればいいよと二人に言っていた。しかし、二人はデジタル写真を選りすぐり、編集し、印刷、焼き増し、そして最後にアルバムへと入れるという習慣を保ち続けた。それは去年、父が亡くなる前まで続き、その時も父は私に「カメラの中に何枚か冬に入院した際に撮った、病院の窓の霜の写真があるから、いつか見てみなさい。どの結晶も違って、なかなかきれいだから。」しかし、私はいまだにそのカメラを動かすことができないでいる。手に取るだけで私の心が痛むから。そして、母も父が世を去ってからはメモリーカードを持って写真の印刷へと出かける姿を見ていない。老眼鏡を付けて写真の裏に何かを記録する姿は言わずもがなだ。
我们有时劝说老两口,在电脑上看看就行了。可二老一直坚持着将数码照片挑选、加工、打印、加注最后入册的习惯。直到去年爸爸去世前还对我说“我的相机里还有几张冬天住院时拍到的医院窗户上的冰花呢,你什么时候拿出来看看,挺漂亮的,每个花都不一样。”可是我至今还没敢动那个相机,因为一动我就心痛。而妈妈在爸爸去世后也就再也没见她拿着储存卡去打印照片,更不见她戴着花镜趴在照片后面纪录什么了。

あの日、私は弟と話していた。一生涯教師を務めてきた両親は、それほどの貧しさにも、それほどの富にも出くわしたことはなかった。私たちに残せる、最も価値のある遺産はおそらく、二人の、大事な思い出がたっぷり詰まったこのアルバム用の棚だろう。
那天我和弟弟聊天,当了一辈子教师的老两口,既没受过多大穷也没发多大过财。能留给我们最值钱的遗产大概就是老两口的这个满珍贵回忆的相册柜子了。
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by tubomim | 2011-05-05 23:27 | 2011年 | Comments(10)
大事な思い出(珍贵的回忆)
ゴールデンウィーク中は、さらに多くのボランティアが被災地に赴き、現場では数多くの有意義な活動が行われている。その中でも、泥・瓦礫・残骸などに埋もれた大事な思い出――写真を捜索・洗浄・引き渡しをする活動に特に感心している。それと同時に、私の遠い昔の一つの思い出も呼び覚ましてくれた。
黄金周假期中更有众多的志愿者奔赴灾区,在现场开展各种各样有意义的活动。其中一项寻找•清洗•交还那些散失在泥泞、瓦砾、残骸中的珍贵的回忆――照片的活动特别让我感动,同时还唤醒了我很久以前的一段珍贵的回忆。

あれは文化大革命の真っ盛りであった。私はまだ何歳かという子供である。私が北京で一緒に暮らしていた母方の祖父母の家が財産没収や監禁を受けたため、両親は私を彼らの仕事生活の場―太原へと連れて行かざるを得なくなった。ところが、着いて数日後、両親の家も財産没収を受け、人も批判を受けるために連れて行かれた。実は、両親の家には没収できるようなものはなかった。家にわずかにあるいくらかの家具も学校からの借り物である。まだ、30歳を過ぎたころでは批判され得るようなこともなかった。父がいない日々の中で、私は毎日母に付いて職場への行き帰りをしていた。職場では労働のほかには、各種勉強会や批判会に参加していた。
那是在文革盛期,我还是个几岁的孩子。由于我在北京一起生活的姥姥老爷家遭受抄家、监禁等情况,爸爸妈妈不得不把我接到他们工作生活着的地方――太原。可是才到了没几天,爸爸妈妈的家也被抄了,人也被带走去挨批斗了。其实爸爸妈妈的那个家实在没什么可抄的,因为家里仅有的几件家具还是从学校租来的。人也没什么可批的,因为他们当时刚刚30岁出头。爸爸不在家的日子里,我就每天跟着妈妈去学校上下班,在班上除了劳动就是去开参加各种学习班、批斗会。

ある日、帰り道に大学の正門を通った際に、守衛の張さんが小さな窓を開けて母を招き入れた。私は門のそばで、張さんの娘さんとゴム飛びをして遊んでいた。しばらくして、母が大きな封筒を大事そうに抱えて出てきて、そのまま私を連れてまっすぐ帰宅した。夜、母は扉の鍵をしっかりと閉め、ランタン(当時の太原はよく停電していた)のもとで、大きな封筒を慎重に開けた。私は、書類だと思っていたが、母が中から取り出したのは、一枚一枚の写真だった。
一天下班从大学的校门口路过,传达室看门的张大爷拉开小窗户招呼妈妈进去。我就在门口与张大爷的小女儿跳了一会皮筋,不一会妈妈抱着一个大信封出来了,带着我径直地回到家里。晚上妈妈锁好门,油灯下(那时太原常常停电)拿出大信封小心翼翼地打开。我以为是信件呢,结果妈妈从里面取出来的是一张张照片。

これらの写真を私はすべて知っていた。なぜなら、これらは我が家の宝物だから。私の両親はどちらも写真が好きで、我が家には、父がソ連留学の際に持ち帰った茶色の革カバーが付いたカメラがあって、これは当時にしては結構珍しい物であった。当時、よく父が深夜に真っ暗な部屋の中で、瓶や缶をいじっていて、翌日になると窓ガラスやタンスの鏡に現像された写真がたくさん貼ってあったことをよく覚えている。母の方はというと、綿棒で当時の白黒写真をカラー写真に染めていた。私の小さなころの写真を友達に見せると「えっ、あなたの小さいときにもうカラー写真があったの?」とびっくりされるほどである。私が小さい時だけではなく、両親の小さいときも、そしてさらに上の世代の小さいときも… 最も多かったのは文化大革命が始まる前、両親が山西銘賢学院でのロマンティックな学園生活と父親がソ連で撮影した異国風景であった。当時はほかに面白いものもなかったので、両親の家に帰るたびに、箱を開けてアルバムを取り出し、両親と一緒にこれらの写真を楽しみながら、当時のいい思い出を聞くのが、太原での大きな楽しみであった。
这些照片我都认得,因为这是我家的宝贝。我们的爸爸妈妈都喜欢照相,我家有一台爸爸从苏联留学时带回来的有着咖啡色皮套子的相机,在当时算是挺时髦的了。记得当时爸爸常常半夜在黑黑的屋子里鼓捣瓶瓶罐罐,第二天就会看到很多洗好的照片贴在窗户的玻璃或衣柜的镜子上。妈妈则会用棉棒把当时的黑白照片涂成彩色的。以致我给朋友看自己小时候的照片时会让朋友惊讶“你小时候就有彩色照片了?! ”不光我小时候,还有我爸爸妈妈小时候,甚至还有更上一辈的小时候。。。。。。更多的则是文革还没有开始,爸爸妈妈在山西铭贤学院时浪漫的校园生活及爸爸在苏联拍摄的异国风光。每次回到爸爸妈妈家里,由于当时没有什么好玩的,打开箱子搬出相册与爸爸妈妈一起分享这些照片,听他们讲述当年的美好回忆就成了我太原之行的一大乐趣。

実は、この大きな封筒の中の写真は守衛の張さんが、受付の近くにある学生寮の近くで拾ったものであった。おそらくは、学生たちが財産没収の際にこれを持ち出し、寮に持って帰ったが、あまり意味がないと考えて、窓かダストシュートから捨てたものであろう。張さんはこのように上から続々と捨てられた写真を数日間拾い続け、きれいに拭いた後にこっそりと母に返してくれた。
原来这个大信封里的照片是看门的张大爷在传达室附近的学生楼后面捡到的。估计可能是学生们抄家时从我家拿走,带回宿舍又觉得没用就从窗户或垃圾通道扔下来了。张大爷就这样连续几日把这些陆续从楼上扔下来的照片一张张地捡起来,擦拭好悄悄地还给了我的妈妈。

片方は天災、片方は人災。片方は堂々と、片方はこっそりと。しかし、どちらも同じように人間の素晴らしさを感じさせてくれるとともに、私たちに大事な、そして美しい思い出を残してくれた。
一个是天灾,一个是人祸。一个堂堂正正,一个偷偷摸摸。但都同样让我们感受到了人类的真善美,都给我们留下了珍贵、而且美好的回忆。
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by tubomim | 2011-05-02 10:30 | 2011年 | Comments(10)