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カテゴリ:1998年( 7 )
子どもに話す昔話(我给孩子讲故事)
 20年前から日本語を勉強し始め、いままで人生のほど三分の一を日本で過ごしてきた私だが、子どもに絵本を読んでやるのはやはり苦手だ。私は日本語で本を読んだり、新聞を読んだり、さらには大学で講義することもできるのに、自分の子どもにひらがなだらけの絵本を読んでやることだけはどうもうまくできない。だから、子供が生まれてから絵本を読むのはずっとこの子の日本人のお父さんに引き請けてもらった。
 でも、私も母としての責任を果たすべきではないだろうか?そこで選択したのが昔話であった。しかし、日本の昔話では、やはり息子にかなわない。「また桃太郎?お母さん、もういいよ。僕がお話してあげる。」そこで私は短所をさけ、長所を活かし、わが中国の昔話をすることにした。今回、私は中国語で機嫌よく話せたし、息子も夢中になって聞いてくれた。しかし、何回か話しているうちに、頭の中に貯金されていた昔話はもう残り少なくなってきてしまった。
  给孩子读“绘本(连环画)”是我的短项,虽然我20年前就开始学习日文,以往人生的三分之一已在日本度过。能用日语读书、看报、甚至能给大学生讲课,却不能给自己的孩子读好那假名连串的“绘本”。故自孩子出生以来,读“绘本”的工作,就全让他那日本爸爸承担了。
  可我也应该尽点当妈妈的责任呀。于是,我选择了讲故事。可日文故事还是讲不过儿子,“又是桃太郎,妈妈,干脆我来给您讲一个吧!”我决定扬长避短,给他讲讲咱们中国的故事,这回我用中文讲得特别带劲儿,儿子听得格外入神儿。可惜讲了几次,我脑子里记存的故事就所剩无几了。

  給孩子讀“繪本(連環畫)”是我的短項,雖然我20年前就開始學習日文,以往人生的三分之一已在日本度過。能用日語讀書、看報、甚至能給大學生講課,卻不能給自己的孩子讀好那假名連串的“繪本”。故自孩子出生以來,讀“繪本”的工作,就全讓他那日本爸爸承擔了。
  可我也應該盡點當媽媽的責任呀。於是,我選擇了講故事。可日文故事還是講不過兒子,“又是桃太郎,媽媽,乾脆我來給您講一個吧!”我決定揚長避短,給他講講咱們中國的故事,這回我用中文講得特別帶勁兒,兒子聽得格外入神兒。可惜講了幾次,我腦子裏記存的故事就所剩無幾了。

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    すでに何回も聞いたよ
    都听好几回了


 ある日、息子がまた昔話をしてくれといいねだってきた。もう頭の中の貯金を使い果たした私は、小さいころよく聞いたあの「昔々、ひとつの山がありました、山の中に洞穴がありました、洞穴の中に甕(昔、食料などの保存に使われた焼き物の容器)がありました……」(この後、甕の中に・・・と続き、いつまでたっても終わらないようになっている。)という古い手を使ってごまかそうとした。すると意外にもこの古い話は息子にとってはとても新鮮に受けて、何回か話すうちに、最後に息子との共演になった。私が先に前半部分を話すと、息子が大きな声で「山」とか「洞穴」と続き、最後のあの「豆」まで埋めてきて、二人は笑い転んでしまった。一通り笑った後で息子が「甕って何?」と聞いた。「甕っていうのはねえ……」この時、私は甕が私たちの生活の中からほぼ消えてしまっていることに初めて気がついた。私の記憶の中の甕は、水を入れる甕、米を入れる甕、面類を入れる甕などたくさんあった。私はいろんな手を使って、息子にわかってもらえるように説明してみた。また時間をかけて絵も描いてみたが、それを見て息子は茶碗だという。茶碗よりもっと大きいものだというと、息子はそれなら洗面器だと言う。一代しか違わないというのに、どうして共通理解ができないのだろうか。私が小さいころは、はっきりと知っていた甕を、息子に分からせることができないなんて!逆に私たちの小さいころには疑問にならなかった息子の疑問は、私に時代の変遷を改めて感じさせた。
  有一天,儿子又闹着讲故事,我实在想不出来了,就把我小时候常听常讲的“从前有个山,山里有个洞,洞里有个缸……”这个老掉牙的故事搬出来应付儿子。没想到这个古老的故事对他特别新鲜,讲了好几遍,最后成了我们的共同表演。我先每句开个头,他来大声填上“山”呀、“洞”呀……乃至最后那颗“豆”。把俩人笑得前仰后合,笑完儿子问,“缸是什么呀?”“缸……”我这才发现缸几乎从我们现实生活中消失了。我记忆中的缸,有水缸、米缸、面缸……我想尽办法力图给儿子说明,又画了半天,他说是碗,我说还要大,他说那一定是盆。只差了一代,怎么就失去了共识?我小时候明明白白的一个缸,就没法让我儿子明白。倒是儿子一个不曾是问题的问题,让我明白了时代的变迁。
  有一天,兒子又鬧著講故事,我實在想不出來了,就把我小時候常聽常講的“從前有個山,山裏有個洞,洞裏有個缸……”這個老掉牙的故事搬出來應付兒子。沒想到這個古老的故事對他特別新鮮,講了好幾遍,最後成了我們的共同表演。我先每句開個頭,他來大聲填上“山”呀、“洞”呀……乃至最後那顆“豆”。把倆人笑得前仰後合,笑完兒子問,“缸是什麼呀?”“缸……”我這才發現缸幾乎從我們現實生活中消失了。我記憶中的缸,有水缸、米缸、面缸……我想盡辦法力圖給兒子說明,又畫了半天,他說是碗,我說還要大,他說那一定是盆。只差了一代,怎麼就失去了共識?我小時候明明白白的一個缸,就沒法讓我兒子明白。倒是兒子一個不曾是問題的問題,讓我明白了時代的變遷。
 
 この話は、きっと古すぎるんだわ、甕の説明には、考古学まで引っ張り出さないといけないのかもね。次に、私は記憶になお新しい「高宝玉のお話」(昔貧しい農村の子供が勉学を渇望するお話)を息子に聞かせた。あの「勉強したいんだ!」という主人公の叫び声が当時私の止まらない涙を誘ったことを覚えている。案の定、私が話し始めると、息子の涙も枕元まで流れた。今度こそ共鳴できたのね!話し終えると、息子はその小さな手で涙を拭いながら、私に聞いてきた。「高宝玉はどこに住んでいるの?」「農村よ。」「農村の郵便番号は?」「郵便番号?」「うん、高宝玉君に宅急便を送ってあげるんだ。」私の小さいころはどうして泣くことしかできず、自分の勉強できるチャンスを大切にしなければということしか思いつかなかったのだろうか。しかし息子は宅急便を使って自分の幸せを高宝玉に分け与えて一緒に楽しんでもらうことまで考えている。次の日、私たちは息子の希望通りに高宝玉に宅急便を送った。住所は……「希望工程」(貧困地区の子供たちに勉学の機会を与えるための慈善活動)の勉学を渇望する農村の子ども宛てにした。
 私が息子に昔話をする中で、息子も私にいろいろなことを教えてくれたような気がした。
  看来那个故事太古老了,要想讲明白也许得去考古了。这次讲了一个我记忆犹新的《高玉宝的故事》。记得“我要读书”那一声呐喊,当时唤出了我止不住的泪水。果真,讲了没几句,我儿子的泪水就流到了枕边。我们这次有共鸣啦!最后讲完,他用小手一边抹泪,一边问我“高玉宝的家在哪儿呀?”“在农村。”“农村的邮编是多少号呀?”“邮编?”“我要给高玉宝寄个宅急便。”我小时候怎么就只会哭,只想到要珍惜自己的读书机会,而儿子就立刻想到要寄个宅急便把自己的幸福分给高玉宝共享呢?于是第二天我们就按儿子的心愿给高玉宝寄去了。地址呢?就写上“希望工程”一位渴望读书的农村小朋友。
  我给儿子讲故事的过程中,儿子仿佛也给我讲了许多故事。

  看來那個故事太古老了,要想講明白也許得去考古了。這次講了一個我記憶猶新的《高玉寶的故事》。記得“我要讀書”那一聲呐喊,當時喚出了我止不住的淚水。果真,講了沒幾句,我兒子的淚水就流到了枕邊。我們這次有共鳴啦!最後講完,他用小手一邊抹淚,一邊問我“高玉寶的家在哪兒呀?”“在農村。”“農村的郵編是多少號呀?”“郵編?”“我要給高玉寶寄個宅急便。”我小時候怎麼就只會哭,只想到要珍惜自己的讀書機會,而兒子就立刻想到要寄個宅急便把自己的幸福分給高玉寶共用呢?於是第二天我們就按兒子的心願給高玉寶寄去了。地址呢?就寫上“希望工程”一位元渴望讀書的農村小朋友。
  我給兒子講故事的過程中,兒子仿佛也給我講了許多故事。


1998年10月15日
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by tubomim | 2006-06-10 22:59 | 1998年 | Comments(23)
すてきなお父さん(好爸爸)
 仕事から帰ってからまだ届いたばかりの中国語新聞をめくっていると、たまたまある読者が自分の小さな娘のために中国語の先生を探しているのを見つけた。私は先生にもなれないし、先生を探そうとしたこともなかったが、知己に出会ったような気がした。そしてこの母親と共通の関心事――子どもの中国語について語り合いたいと心から思った。
  下班到家先翻翻刚来的中文报刊,偶见一读者欲为自己的小女儿请位中文教师。我也当不了教师,我也没想过请教师,但却象遇到了知己,真想和这位妈妈聊聊共同关心的问题——孩子的中文。
  下班到家先翻翻剛來的中文報刊,偶見一讀者欲為自己的小女兒請位中文教師。我也當不了教師,我也沒想過請教師,但卻象遇到了知己,真想和這位媽媽聊聊共同關心的問題——孩子的中文。


 そこで、本当はガスをつけて料理をしなければいけないはずの手を使って、その母親へ電話をかけてみた。電話に出てきたのは、どうやら子どもの父親のようだ。私は電話をかけたわけを説明して、その母親と話をしたいのだと告げた。「私がそうです。」「えっ?あなたが子どもの中国語の先生をさがしてらっしゃるのですか。」「ええ。」「……私はてっきりお母さんのほうがさがしてらっしゃるのかと思っていました。おとうさんだとは思わなかったんです。」「父親だったらできないとでも……?」「……ええ、そうですよね。」
  于是,本该去点火做饭的手,却先拨通了那位妈妈的电话,出来的大概是孩子的爸爸。我说明来意,表示想找那位妈妈。“我就是。”“哦?是您要为孩子找位中文教师?”“对。”“……我还以为是位妈妈,没想到是位爸爸。”“爸爸不能为孩子……”“……是呀。”
  於是,本該去點火做飯的手,卻先撥通了那位元媽媽的電話,出來的大概是孩子的爸爸。我說明來意,表示想找那位媽媽。“我就是。”“哦?是您要為孩子找位中文教師?”“對。”“……我還以為是位媽媽,沒想到是位爸爸。”“爸爸不能為孩子……”“……是呀。”

 

 母親とは話ができなかったが、私は食事のしたくをしながら、自問自答をし始めた。私はどうして子どもの先生を探そうとしているのは母親のほうだと決めつけてしまったのだろう。私はどうして子どもの教育をすべて私たち母親だけにひきうけさせ、父親の権限を奪ってしまったのだろうか。父親のことになると、私はどうして彼らが外で仕事をして心身とも疲れているとばかり思い込んで、一日の忙しい仕事を終えた後に、彼がまた子どもの中国語の勉強のことも真剣に考えているとは考えなかったのだろう。すばらしいのは、あの父親がさらにそれを行動に移したことだ。なんてすてきな父親だろう。私は自分が誤解していたことをもっと何度も何度も反省したいと思うし、そして在日中国人の中にこんな素敵な父親がもっとたくさんいればいいのにと思った。
  和妈妈没聊成,一边做饭一边和自己聊起来了。我怎么就认定了有心为孩子找教师的一定是妈妈?我怎么就把孩子的教育包揽在我们妈妈身上,而剥夺了爸爸的权力?一提到爸爸,我怎么就只想到他们在外工作辛苦又心苦,而没想到忙了一天之后,他还会认真考虑孩子的中文?难得的是他还付诸于行动。一位多么好的爸爸!我愿为自己的误解作更多次的反省,我愿在日中国人中有更多的好爸爸。
  和媽媽沒聊成,一邊做飯一邊和自己聊起來了。我怎麼就認定了有心為孩子找教師的一定是媽媽?我怎麼就把孩子的教育包攬在我們媽媽身上,而剝奪了爸爸的權力?一提到爸爸,我怎麼就只想到他們在外工作辛苦又心苦,而沒想到忙了一天之後,他還會認真考慮孩子的中文?難得的是他還付諸於行動。一位多麼好的爸爸!我願為自己的誤解作更多次的反省,我願在日中國人中有更多的好爸爸。
 

 あれこれ思いながら作った今日の食事の味は格別に美味しかった。
  一边做饭一边想,今天的饭做得特别香。
  一邊做飯一邊想,今天的飯做得特別香。

1998年6月8日
追记:我还记得这位好爸爸姓黄,他的太太是位日本人。不知他们是否还生活在日本,不知他们的女儿是否如愿能讲中文。祝愿他们全家幸福美满,也许他会看到这篇因他而诞生的小作文。
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by tubomim | 2006-02-09 17:17 | 1998年 | Comments(17)
団地の出来事あれこれ(三、花びらと葉っぱ)(三、凋花落叶)
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このシリーズの原稿は98年に書いたものです 
 
 「ピンポーン」とベルが鳴った。出てみると、右隣の奥さんだった。両手に軍手、頭には三角巾、左手にちりとりを持って、右手には箒を提げている。
  “乒—砰—”轻轻的一声门铃,将我唤出,是右舍的女主人。双手戴着白手套,头上包着三角巾,左手拿着簸箕,右手提着扫帚。
  “乒—砰—”輕輕的一聲門鈴,將我喚出,是右舍的女主人。雙手戴著白手套,頭上包著三角巾,左手拿著簸箕,右手提著掃帚。


 「しまった!」。おそらく私が町内清掃に参加するのを忘れていたため、彼女がやむを得ずに呼びに来たのだろう。「私ったらどうしてこういつも他の人と歩調がずれるのかしら?」とも思いつつ、あわてて「すみません」と言うと、彼女の方から深くお辞儀をして、それから、うちの庭に落ちた彼女の家に属する何枚かの花びらを指して、庭に入ってそれを掃除させてほしいと言った。私はとりあえずほっとした。あわてて手を振りながら「大丈夫ですよ、私が一緒に掃除しますから」と言ったのだが、彼女はどうしても自分に掃除させてほしいようで、仕方なく、入ってもらうことにして、数えるほどしかない花びらを彼女が丁寧に掃くのを見ていた。1分足らずの短い時間だったが、私にとっては長く耐え難い時間だった。回避するべきなのか、そこで「監視」するべきなのか、また、私が彼女に感謝するべきなのか、彼女が私に感謝するべきなのか、分からなかった。
  坏了!一定是我忘记参加街道清扫,让她不得不来叫我了,我怎么老是和别人步调不一致呢?忙道:“对不起!”她深鞠一躬,指着掉在我家院子里属于她家的那几片花瓣儿,示意请允许她进来扫走。我这才松口气,忙摆手:“我会一起扫的,没关系。”但她执意要进来,我只好站在那儿看她精扫那几片可数的花瓣儿。最多一分钟,可让我觉得太难熬了。不知应回避,还是该在这儿“监督”。不知应我谢她,还是该她谢我。
  壞了!一定是我忘記參加街道清掃,讓她不得不來叫我了,我怎麼老是和別人步調不一致呢?忙道:“對不起!”她深鞠一躬,指著掉在我家院子裏屬於她家的那幾片花瓣兒,示意請允許她進來掃走。我這才鬆口氣,忙擺手:“我會一起掃的,沒關係。”但她執意要進來,我只好站在那兒看她精掃那幾片可數的花瓣兒。最多一分鐘,可讓我覺得太難熬了。不知應回避,還是該在這兒“監督”。不知應我謝她,還是該她謝我。

 彼女を見送った後、部屋に戻った私はおかしくて仕方がなかった。しかし、笑っている場合ではない。色めく春のこの季節に、お宅のお紅杏ちゃんが塀を越えてくる根性があるなら、我が家の緑葉君たちにも間違いなく春を訪ねにいく度胸があるはずだと気がついた。それなら私も彼女の家の庭に落ちたうちに属する何枚かの葉っぱを掃除しに行くべきなのかしら?私はいても立ってもいられなくなった。
  送她走后我回到屋里觉得太可笑了。不能笑!我突然意识到,在这满院春色关不住的季节里,你家红杏敢来出墙,那我家绿叶也一定能去探春。我是否也应该去她家把属于我家的那几片绿叶收回来呢?我开始坐卧不安。
  送她走後我回到屋裏覺得太可笑了。不能笑!我突然意識到,在這滿院春色關不住的季節裏,你家紅杏敢來出牆,那我家綠葉也一定能去探春。我是否也應該去她家把屬於我家的那幾片綠葉收回來呢?我開始坐臥不安。


 でも、私にはどうしてもこんな用件であの「ピンポーン」とベルを鳴らす勇気はだせなかった。だから、彼女には申し訳ないが、この外人の隣人になったのは運が悪かったと思ってもらうしかない。
  可我又怎么也鼓不起来去按那“乒—砰—”的勇气。那就只好让她和老外为邻认“倒霉”吧。
  可我又怎麼也鼓不起來去按那“乒—砰—”的勇氣。那就只好讓她和老外為鄰認“倒楣”吧。


 「郷に入れば郷に従え」口で言うのは簡単だが、実際に行動に移すのはなかなか難しい。今までの人生の前半から日本語を勉強し始め、人生の三分の一を日本で過ごし、日本人の夫と同じ屋根の下で義務教育と同じ9年間を過ごしてきたが、この郷には従いたくても要領を得ないところがまだまだたくさんある。しがたがない、従えないところは、我流でやっていこう。
  “入乡随俗”说起来容易,做起来难。半辈子前我就开始学日语了,人生的三分之一是在日本度过的,与日本老公同一屋檐下生活了和“义务教育”一样长的九年,可有很多地方还是欲随俗而不得要领。无奈,随不了俗的地方就我行我素吧。
  “入鄉隨俗”說起來容易,做起來難。半輩子前我就開始學日語了,人生的三分之一是在日本度過的,與日本老公同一屋簷下生活了和“義務教育”一樣長的九年,可有很多地方還是欲隨俗而不得要領。無奈,隨不了俗的地方就我行我素吧。

 日本人が一生の苦労をかけて見る夢は閑静な住宅地にマイホームを建て、そこで自分を禁錮することである。私はいかにも北京の四合院が懐かしい。しかし、今は四合院の人たちもみんなマンションに引越し、余裕があればさらに一戸建ての家へと引っ越す。引越しを繰り返すうちに日本のこれらの「出来事」まで中国に引っ越していくのではないかと心配している。
  日本人辛苦一辈子最终的梦就是在“幽静的住宅区”建个“别墅式的家”把自己禁锢起来。我多么怀念北京的四合院,可现在四合院的人们都往楼里搬,有钱的再从楼里往独院搬。我真怕搬来搬去,把日本的“故事”搬到中国。
  日本人辛苦一輩子最終的夢就是在“幽靜的住宅區”建個“別墅式的家”把自己禁錮起來。我多麼懷念北京的四合院,可現在四合院的人們都往樓裏搬,有錢的再從樓裏往獨院搬。我真怕搬來搬去,把日本的“故事”搬到中國。


1998年4月29日
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by tubomim | 2006-02-08 18:43 | 1998年 | Comments(21)
孫子療法(孙子疗法)
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 弟は先日彼の社長とともに中国へ出張にいった。往復を入れて2泊3日であった。最初の晩は仕事や宴会などを終わらせて、社長たちを落ち着かせた後、彼は慌てて北京の両親の家に帰り、一目見てさっさとホテルへ戻った。翌晩、彼はまたなんとか暇を見つけて、家に帰り、家の様子を一目見た。その次の日の晩には彼はすでに東京に戻っていて、私に家の状況を報告するために電話を廻してくれた。
   弟弟前几天陪他们社长回国出差,连去带回一共三天两夜。第一夜忙完工作、宴会、安顿好社长等人后,他急忙跑回北京的爸爸妈妈家看了一眼就赶回酒店了。第二夜又忙里偷闲地跑回家看了一眼。第三夜呢?他已经回到东京给我拨电话汇报家里的情况了。
  弟弟前幾天陪他們社長回國出差,連去帶回一共三天兩夜。第一夜忙完工作、宴會、安頓好社長等人後,他急忙跑回北京的爸爸媽媽家看了一眼就趕回酒店了。第二夜又忙裏偷閒地跑回家看了一眼。第三夜呢?他已經回到東京給我撥電話彙報家裏的情況了。



 家というとただ私たち二人姉弟のお父さんとお母さん、そして最近私が日本国内で長期出張によって面倒を見られなくて、中国に預けた3歳あまりの息子がいる。
  所谓家里呢?只有我们姐弟俩的老爸、老妈还有因为我最近长期在日本国内出差,照看不了,而送回中国的3岁多的儿子。
  所謂家裏呢?只有我們姐弟倆的老爸、老媽還有因為我最近長期在日本國內出差,照看不了,而送回中國的3歲多的兒子。


 「家の人はみんな元気?」
  “家里都好吧?”
  “家裏都好吧?”

 「ご安心ください!小さいのが大きくなったし、年寄りは若くなった。細いおふくろは白くて太くなったし、太いおやじはさっぱりしてかっこよくなった……」
  “您就放心吧!小的长大了,老的变小了。瘦妈妈又白又胖了,肥爸爸潇洒英俊了……”
  “您就放心吧!小的長大了,老的變小了。瘦媽媽又白又胖了,肥爸爸瀟灑英俊了……”

 「ほんとう?冗談はやめなさい!ちゃんとゆっくり教えてちょうだい!」
  “真的?别逗了,快好好说说。”
  “真的?別逗了,快好好說說。”

 「姉さん!僕はただうちにかえって、二目見ただけで、すべてがわかった!最初の一目は刮目(かつもく)して之(これ)を視る(みる)、二回目の一目は疑わずに確信した!これはまるっきり孫子(そんし)療法(りょうほう)に間違いない!」
  “姐,我就回家看了那么两眼,就全看明白了。第一眼刮目相看,第二眼确信无疑。整个一个‘孙子疗法’!”
  “姐,我就回家看了那麼兩眼,就全看明白了。第一眼刮目相看,第二眼確信無疑。整個一個‘孫子療法’!”
1998年5月19日
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by tubomim | 2006-02-07 23:28 | 1998年 | Comments(5)
団地の出来事あれこれ(二、雪かき)小区故事多(二、铲雪)
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このシリーズの原稿は98年に書いたものです 
 
 今年の初めは珍しく何度か大雪が降った。朝起きてドアを開けると、左隣のまめなご主人がすでに道路の雪かきをしていた。
  今年年初,下了几场罕见的大雪,早起开门一看,勤快的左邻男主人已在街上铲雪了。
  今年年初,下了幾場罕見的大雪,早起開門一看,勤快的左鄰男主人已在街上鏟雪了。


  彼は多分最近定年退職したばかりなのだろう。以前は朝早くから出かけて夜遅く帰っていたので、平日、家にいる彼の姿を見かけたことはなかった。おそらく退役した企業戦士だと思う。なぜなら、団地内の伝言板や当番札が彼によって会社の回覧文書や業務指示書のようにちゃんとしていてきれいになったからだ。時々、庭の柵越しに私と中国のことについて話したりして、「国際化」に近づこうという努力もしている。この団地ではもはや数少ない見識のある人物だと称すべきである。彼が引退してこの団地に戻ってくることに対する私の期待は当初皇太子妃の雅子様が皇室に入ることに対する日本国民の期待に負けないくらいだ。
  他大概是不久前退休的,在此之前早出晚归,平日从未见过他在家的身影。估计是个退役的企业战士,待人处事都还闪着余辉。区里的传言板、值日牌都让他收拾得和公司里的“传阅文件”、“业务指示书”一样正规、漂亮。有时还隔着院墙与我家聊几句有关中国的事情,试图努力与“国际化”接轨,在这个小区该称是位少见的“开明人士”了。对于他退休回到小区我寄予的期望,不亚于当初日本人对皇太子妃雅子入宫时寄予的期望。
  他大概是不久前退休的,在此之前早出晚歸,平日從未見過他在家的身影。估計是個退役的企業戰士,待人處事都還閃著餘輝。區裏的傳言板、值日牌都讓他收拾得和公司裏的“傳閱檔”、“業務指示書”一樣正規、漂亮。有時還隔著院牆與我家聊幾句有關中國的事情,試圖努力與“國際化”接軌,在這個小區該稱是位少見的“開明人士”了。對於他退休回到小區我寄予的期望,不亞於當初日本人對皇太子妃雅子入宮時寄予的期望。
 
 
 彼の雪かき振りには本当に深く感心させられる。まず、雪が積もった道路の真ん中にまっすぐ一本の線を引き、私と彼はともにこの線のこちらに属される。彼は自分の領地内の雪を地面が見えるまで掘り下げ、その雪を彼の家の前に運び、たたいたり、押したりしながら固めてなんとも立派な雪の土手を作った。また郵便箱の前は配達員が投函しやすいように少し空けておくべきことを私に手本を見せながら教えてくれた。そのほかにボランティアで近所のみんなのためにゴミ捨て場への細い道を作り、さらに雪解け水がスムーズに下水道に流れるための溝までいくつか作っていた。
  他干出的活儿也实在让我佩服。先在街道正中笔直地划了一条线,我和他都属于线这边的。他把他的领地内刮得见了地皮,把刮下的雪堆在他家墙下,又拍又压砌成规整的雪坝。还示范于我应在信箱前留出一块便于邮递员投递的地方,又义务地为大家铲出了一条通往垃圾站的小道,还修了几条将融雪导入下水道的沟。
  他幹出的活兒也實在讓我佩服。先在街道正中筆直地劃了一條線,我和他都屬於線這邊的。他把他的領地內刮得見了地皮,把刮下的雪堆在他家牆下,又拍又壓砌成規整的雪壩。還示範於我應在信箱前留出一塊便於郵遞員投遞的地方,又義務地為大家鏟出了一條通往垃圾站的小道,還修了幾條將融雪導入下水道的溝。


 私もそれに習ってせっせと雪をかいた。顔に熱い汗を流しながら頭から白い湯気を出している。我が家のために彼がちょっとでも手を出してくれることを心配しているから。こちら側がついに雪をかき終えたが、道路の片方は白くそして高く、もう片方は黒くそして低くなって、まるで陰陽顔のようだった。
  我跟着学,紧着铲。脸上淌热汗,头上冒白烟。惟恐麻烦他为我家代劳一铲。我们这边终于铲完了,街道成了阴阳脸,一白一黑一高一低。
  我跟著學,緊著鏟。臉上淌熱汗,頭上冒白煙。惟恐麻煩他為我家代勞一鏟。我們這邊終於鏟完了,街道成了陰陽臉,一白一黑一高一低。


 向かいの老夫婦はまだ動きがないようだったので、私たちは申し合わせたように彼が引いた真ん中の線から外側へ境界を拡張した。私たちは雪かきに必死で、話はあまりしなかったが、彼の満足そうな様子から「現役」時代の感覚を取り戻したことが読み取れた。私のほうは、とても疲れたが、それでも爽快だった。あの「救急車事件」の時のように息が詰まることはなかった。
  对面住着的两位老人尚没动静,我俩不约而同地悄悄地从他划的界限往外扩张边界了。我俩只干活儿,很少说话,但我从他得意的神态中读出了他可能找到了“现役”的感觉。我呢?虽然很累,但心里挺痛快的,不象上次“救护车”那么憋闷。
  對面住著的兩位老人尚沒動靜,我倆不約而同地悄悄地從他劃的界限往外擴張邊界了。我倆隻幹活兒,很少說話,但我從他得意的神態中讀出了他可能找到了“現役”的感覺。我呢?雖然很累,但心裏挺痛快的,不象上次“救護車”那麼憋悶。


  汗を振り払いながら、かいた雪をきちんと最寄りの向かいの壁の下で彼に学んで雪の土手を作った。彼が見たら、きっと喜んでくれるだろうと腰を伸ばして見てみたら、なんと彼が何往復もしながら家の向かい側の雪をわざわざ彼の家の前まで運び、あの高い雪の土手の上に積み上げているではないか。「なんて行き届いた心配りなのかしら!」 他人に迷惑をかけたくないこの配慮。すると私もまねて再びこの雪を自分の家の前に運び始まった。 
  挥洒着汗水把刮起的雪认认真真地就近在对面墙下也学着他砌了个雪坝。他看了一定高兴吧,我直起了腰,发现他正在一铲一铲地把我家对面的雪专程运到他家那高高的雪坝上。他想得多周到呀!就怕给别人添麻烦。我于是也一铲铲地把雪再转运到我家墙下。
  揮灑著汗水把刮起的雪認認真真地就近在對面牆下也學著他砌了個雪壩。他看了一定高興吧,我直起了腰,發現他正在一鏟一鏟地把我家對面的雪專程運到他家那高高的雪壩上。他想得多周到呀!就怕給別人添麻煩。我於是也一鏟鏟地把雪再轉運到我家牆下。


 私も同じように何往復かしてみたけれど、やればやるほど馬鹿らしくなってきた。「ふん!私はまだあなたたちの日本には帰化したわけじゃないのよ。」とシャベルを提げて家に帰った。
  我如此走了几趟,越走越觉得“馬鹿みたい(冒傻气)”.哼!我还没归化(日语中称加入他国国籍为归化)你们日本呢!提着铁锹我就回屋了。
  我如此走了幾趟,越走越覺得“馬鹿みたい(冒傻氣)”,哼!我還沒歸化(日語中稱加入他國國籍為歸化)你們日本呢!提著鐵鍬我就回屋了。
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by tubomim | 2006-02-05 14:10 | 1998年 | Comments(0)
団地の出来事あれこれ(一、救急車)小区故事多(一、救护车)
このシリーズの原稿は98年に書いたものです 
  
 私の家は東京近郊の閑静な住宅地にある。ここで起こる出来事でさえ、いかにも閑静そうだ。
  我家住在东京近郊的一个环境幽静的住宅小区,连这里发生的故事也都透着“幽静”。
  我家住在東京近郊的一個環境幽靜的住宅小區,連這裏發生的故事也都透著“幽靜”。


 ある日曜日、救急車のサイレンの音が遠くの方からだんだんと近づいてきて、なんと私の家の前で止まった。あわてて外を覗いてみると、救急隊員が担架を持って向かいの家に入っていった。そこには70歳ぐらいの老夫婦が二人だけで住んでいる。いつもみんながゴミ捨て場に置いていたすべてのゴミ袋を「丹念陳列」してくれたり、道の両端にでてきた一本一本の雑草を「真剣捜査」してくれたりと、年寄りの役割の中に年寄りの楽しみも含まれているようだ。だから、この団地では珍しい、よく面識のある「熱心な団地人」ともいえる。また、よく私の息子を可愛がってくれたり、うちの花壇を褒めてくれたりしている。
  一个星期天,救护车的呼啸声由远而近,最后竟然在我家门口不叫了。我急忙探头一看,救护人员提着担架匆匆跑进了我家对门。那里只住着一对70多岁的老夫妇。“精心布置”大家放在垃圾站的所有垃圾袋,“细心搜索”路边钻出的每棵小草,老有所为中溶入了老有所乐。故在这个小区就算是难得的常露面的“街道积极分子”了。也还常逗逗我的孩子,夸夸我的花草。
  一個星期天,救護車的呼嘯聲由遠而近,最後竟然在我家門口不叫了。我急忙探頭一看,救護人員提著擔架匆匆跑進了我家對門。那裏只住著一對70多歲的老夫婦。“精心佈置”大家放在垃圾站的所有垃圾袋,“細心搜索”路邊鑽出的每棵小草,老有所為中溶入了老有所樂。故在這個小區就算是難得的常露面的“街道積極分子”了。也還常逗逗我的孩子,誇誇我的花草。


  どちらか病気になったのかしら?私は本能的に家を飛び出して、手伝いにいった。しかし、外を一歩踏み出した私の足はなんとブレーキに踏みつけたように一瞬動かなくなってしまった。なぜなら、家から出てきた「やじ馬主婦」は、この一帯で私一人だけだったからだ。
  哪个病了?我本能地冲出去准备帮忙。然而,冲出院子踏上街面的脚,就像踏在了刹车板上,瞬间制动了。因为整个一条街就冲出我一个“爱看热闹的家妇”。
  哪個病了?我本能地沖出去準備幫忙。然而,沖出院子踏上街面的腳,就像踏在了刹車板上,瞬間制動了。因為整個一條街就沖出我一個“愛看熱鬧的家婦”。

 この時、担架に乗った青白い顔色のおばあさんが運ばれて出てきた。私は「大丈夫でか?」と本当に一言声をかけたかったのだが、彼女の方は具合の悪い場面を見させたくないように、とても恥ずかしそうに軽く目を閉じた。そこで私はそのまま家へ引き返そうと思ったら、もう間に合わない。今度後ろについて出てきたおじいさんが私にお辞儀をしながら、ずっと「すみません、すみません」と言った。
  这时担架上抬出了面色苍白的老太太,我真想上前问候一声,可她又好象不愿让我看到她的尴尬场面似的微闭上眼睛。想退也来不及了,紧跟着后面的老头儿,冲着我点头哈腰直道“对不起!对不起!”
  這時擔架上抬出了面色蒼白的老太太,我真想上前問候一聲,可她又好象不願讓我看到她的尷尬場面似的微閉上眼睛。想退也來不及了,緊跟著後面的老頭兒,沖著我點頭哈腰直道“對不起!對不起!”


 救急車は二人を乗せて、またサイレンを鳴らしながら遠ざかっていった。静かな道にしょんぼりしている私だけが取り残された。
  救护车呼啸着走了,静静的街上只留下了呆呆的我。
  救護車呼嘯著走了,靜靜的街上只留下了呆呆的我。

 「どうして他の人は出てこないの?!」まさか救急車も地震と同じくみんなが日常茶飯事のようになれてしまったの?うそでしょう!それともいつも鍛えてきた「不動心」が肝心の際にはたらいたのか?それに、あのおじいさんも、人を助けるのが大事なのに ずっとお辞儀なんかする余裕があるのか?
  他们为什么不出来?!难道对救护车也像对地震一样习以为常了吗?不可能!要不就是平日练就的那颗“不动心”关键时刻见真功夫了?还有那老头儿,救人要紧,您怎么还顾得上一个劲儿地点头哈腰呢?
  他們為什麼不出來?!難道對救護車也像對地震一樣習以為常了嗎?不可能!要不就是平日練就的那顆“不動心”關鍵時刻見真功夫了?還有那老頭兒,救人要緊,您怎麼還顧得上一個勁兒地點頭哈腰呢?


 本当におかしいわ!考えれば考えるほどわけが分からない。おばあさんは何とか助かったけど、どう考えても回答が見つけられない私は永遠に助からないらしい。この時に、私は近所の人たちがきっと窓の後ろから「この不思議な外人」をこっそりのぞいているような気がした。
  奇怪!我越想越糊涂了。老太太倒是得救了,百思不得其解的我看来是永远没救了。此时,我觉得左邻右舍一定躲在窗后看我这个“不思議な外人(不可思议的外国人)”。
  奇怪!我越想越糊塗了。老太太倒是得救了,百思不得其解的我看來是永遠沒救了。此時,我覺得左鄰右舍一定躲在窗後看我這個“不思議な外人(不可思議的外國人)”。
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by tubomim | 2006-02-04 15:55 | 1998年 | Comments(12)
翻せない通訳という身分(日本語訳文)(簡体字原稿)(繁体字付)
 日本で就職した中国人の中には、日本語と中国語ができるという理由で、すこしだけ通じるかあるいは精通するかを問わず、自分の専門の他に兼職として或いは専任として通訳に務めなければならない人が多々いる。
  在日就职中国人中,虽有专业,但因粗通或精通中、日两文就不得不兼职或专职充当翻译者大有人在。
  在日就職中國人中,雖有專業,但因粗通或精通中、日兩文就不得不兼職或專職充當翻譯者大有人在。

  
 先日日本から中国に帰った際に、意外にも中学生時代の同級生みんなと何とか都合がついて同窓会を開いた。「みんな、静かに!続きまして、我らが青年団支部書記からの近況報告になります。特にこの数年において鬼子のところ(鬼子は日本人をあざける言葉、ここでは日本を指す)での状況について詳しく話してもらいましょう」みんなの盛大な拍手はなぜか私を立ち上がらせることはできなかった。無理やりに引っ張られて、やっと立ち上がったが、顔が赤くなってお腹に言いたい事はたくさんあるのに、一言も出てこない。「昔の書記の風采はどこへいったの?どうして恥ずかしがり屋さんになったの?」「あーあ、もうだめだ、まるっきり日本人化しちゃったんだよ!」
   前几日回国,中学的同学们,居然想方设法找到一起开了个同窗会。“各位,静一静!下面该轮到咱们老支书交待情况了,特别是这些年在鬼子那边的活动。”众人哗哗的掌声竟然没能把我拍起来,生拉硬拽站起来了,红着个脸一肚子话说不出来。“支书昔日的风采哪儿去了?怎么腼腆起来了?”“完了,完了,整个被日化了!”
   前幾日回國,中學的同學們,居然想方設法找到一起開了個同窗(學)會。“各位,靜一靜!下麵(面)輪到咱們老支書交待情況了,特別是這些年在鬼子那邊的活動。”眾人嘩嘩的掌聲竟然沒能把我拍起來,生拉硬拽站起來了,紅著個臉一肚子話說不出來。“支書昔日的風采哪兒去了?怎麼靦腆起來了?”“完了,完了,整個被日化了!”

  
 この日、実を言うと私はすごくうれしかったし、すごく興奮していた。なぜかというと、同級生のみんなは目を疑うほど成長したし、久しぶりに触れた北京語も本当に気持ちがよかったから。それなのに、私……これはどういうこと?この十数年私が経験した大きな舞台はもう少なくはない。釣魚台、人民大会堂、さらにテレビの生中継にだって、私はとっくのとうにあがることはなくなったのに、どうして……
  这天我其实特高兴、特兴奋,每个同学都令我刮目相看,可出息呢!久违的北京话可痛快呢!可我这是怎么了?这十几年我大场面见得不少了?钓鱼台、人大会堂乃至电视直播,我早就练得不怯场了,可……
  這天我其實特高興、特興奮,每個同學都令我刮目相看,可出息呢!久違的北京話可痛快呢!可我這是怎麼了?這十幾年我大場面見得不少了?釣魚臺、人大會堂乃至電視直播,我早就練得不怯場了,可……


 夜になって、ベッドの上でねむれなかった私は突然起きあがって、気がついた。そうか!そうだったんだ!これらはすべて「訳し」だけで、「話し」ではないんだ!
  躺在床上睡不着的我,忽然坐起来了,我悟出来了。那些都是翻呀!不是说呀!
  躺在床上睡不著的我,忽然坐起來了,我悟出來了。那些都是翻呀!不是說呀!


 この十数年、私は他の人の話を訳してきただけで、自分の意見や考えを話す機会はほとんどなかった。私は、人の言うことは生き写しのようにそっくり訳すことができるのに、自分の心の声を吐き出すことはできなくなってしまったんだ。なんて恐ろしく悲しいことなんだ!私は耳を洗って拝聴、心底で理解、耳から口へ、人に会ったらいつでも何でも訳すほどできて、最後にわが身を忘れ、わが身をなくすほどのむ無私無欲の「崇高な境地」にたどり着いた。
  这十几年我净替别人说话了,很少有机会发表自己的意见。我能把别人的话翻得维妙维肖,可自己的心里话却吐不出来了。太可怕了,太可悲了!我学会了洗耳恭听、心领神会、耳进口出、见人就翻。以至最后达到了忘我、无我的“崇高境界”。
  這十幾年我淨替別人說話了,很少有機會發表自己的意見。我能把別人的話翻得維妙維肖,可自己的心裏話卻吐不出來了。太可怕了,太可悲了!我學會了洗耳恭聽、心領神會、耳進口出、見人就翻。以至最後達到了忘我、無我的“崇高境界”。


 それでは私はすごく実績のあるすばらしい通訳になったのではないか?でも、私は一冊の本すら訳したことがない。なぜなら、正式な通訳になろうと思ったことがないからだ。外国語大学の日本語学部を卒業後、大学院で言語学とは何の関係もない学位を取ったのに、もう何度も私の本業は通訳ではないと再三主張したのに、やはり時々やむを得ず通訳に務めなければならないのだ。
  那么我应该是个挺有成绩的翻译了吧?然而我连一本书都未翻过。因为我从未想当过正式翻译。外院日语系毕业后,尽管我在大学院(研究生院)取得了和语言绝对无关的学位,尽管我再三声明我的职业不是翻译,可我又不得不时时充当翻译。
  那麼我應該是個挺有成績的翻譯了吧?然而我連一本書都未翻過。因為我從未想當過正式翻譯。外院日語系畢業後,儘管我在大學院(研究生院)取得了和語言絕對無關的學位,儘管我再三聲明我的職業不是翻譯,可我又不得不時時充當翻譯。


 

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by tubomim | 2006-02-01 10:16 | 1998年 | Comments(25)