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小学校の運動会の一幕③(小学运动会的一幕③)
今年の一幕はリレー競争である。息子のクラスの順番になり、パンという銃声とともに、1番目の子供が走り始めると、突然、クラスの生徒であるY子を乗せた歩行補助機を担任の先生が押して舞台からトラックに入っていくのを目にしたのである。
今年的一幕。轮到儿子班里的接力赛,随着清脆的枪声,第一棒开跑了。我突然发现班主任用架子车推着班里的Y子从前台走上了跑道。
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Y子は病気のため全身が思い通りに動かせない女の子である。動くことも、話すこともできなかったが、息子のクラスでは1年生の1日目から「欠かせない存在」であり続けたのである。授業ではクラスメートや先生が彼女の手をつかみ、彼女の代わりに授業のノートをとったり、問題に答えたりする。授業が終わると、みんなで彼女を押しながら追いかけて遊んだりする。ある日突然、息子が興奮しながら「お母さん、Y子は笑えるにようになったみたいなんだ」と言ったのである。以前の運動会では手渡しで送ってきた布製の玉を同級生が彼女の手をとって触らせたり、グループ縄跳びで車椅子を押して大縄の下を潜っていったりというのを見たのである。
这是一位因疾病而全身不能自如的小女孩。虽然她不能说、不能动,但从一年级的第一天起她就扮演着儿子班里的“一个不能少”。上课时同学与老师抓住她的手代她写功课、代她回答问题,下课大家推着她玩耍追跑。一天儿子突然兴奋地告诉我:“妈妈,Y子好像会笑了!” 以往运动会上我看见同学们抓着她的手去触摸传递过来的布球,我还看见过集体跳绳时推着坐在轮椅上的她从大跳绳下钻过去。

今年、彼女は車椅子に座るのではなく歩行補助機の上に腹ばいになり、クラス担任の先生がゴールまで3~5メートルのところまで彼女を押していったのである。運動着を着た彼女が両腕と両脚を懸命に揺り動かしながら、後ろで手助けするクラス担任の先生の力を借りて、少しずつゴールに向かって進んでいくのを見えた。各組はすでにゴールした、Y子はまだゴールから1、2メートルくらいのところで揺り動きながら奮闘していたのである。彼女がゴールするまでもなく、奮闘して進む彼女の姿はすでにみんなの心の中で静止していたのである。彼女はみんなのうしおのような拍手の音を聞いたのであろう、クラス担任の先生が彼女を押して舞台まで戻ってきた時に、私は目に浮かぶ涙を通して、彼女の天を衝くようにぴんと立っている小さな”お上げ”を持ったかわいい顔が本当に笑っているように見えたのである。
今年我看见班主任把她推到了离终点3~5米距离的地方,这次可不是坐轮椅,而是趴在架子车上。只见穿着运动衣的Y子四肢在吃力地晃动着,借助着班主任在后面扶助的力量,一点点地挪向终点。此时各组已经跑到了终点,Y子还在那最后的1~2米距离上摇摇晃晃地奋进着。其实她已无须跑到终点,她那奋进的身影已经在大家心目中定格。她可能听到了大家潮水般的掌声,因为待班主任推着她回到前台时,我透过眼眶里的泪水看见她扎着冲天撅的小脸好像真的笑了。
2005年10月10日

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by tubomim | 2007-10-13 11:22 | 2005年 | Comments(29)
小学校の運動会の一幕②
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これは去年あった一幕で、運動場においてテープレコーダーで音楽を流し、それに合わせて子供たちがリズム体操をしていた時のことである。リズムにのり、続けて左に3回円を描き、右に3回円を描くという演技をしており、正面から太陽の光を浴びて輝く小さな顔は本当に真剣で、本当にかわいかったので私はじっと見入っていた。その時、突然、テープレコーダーが止まり、韻律がなくなったため、リズム体操も自然と止まってしまったのである。それでも、子供たちが騒ぎ出すことはなく、その場に立ち続けていた。先生は慌てて舞台のところまで行き、テープを手にとって調べると、テープを巻き戻す。
去年的一幕。操场上孩子们正在进行着韵律操表演,伴随着录音机里播放的音乐,孩子们有节奏地“左三圈、右三圈”地一招一式地表演着。我凝视着前方阳光照耀着的那一张张小脸,好可爱、好认真!正当此时录音机突然卡壳了,没有了韵律,韵律操自然就停下来了。但没有骚动,孩子们原地站着。老师急忙跑到前台把磁带拿出来看看,又倒回去。

「すいません。もう一度」と言うと、子供たちは黙って前と同じく真剣に続けて演技を始める。子供たちの小さな顔は陽光に照らされて真っ赤になっていたが、その時、突然、テープが先ほどと同じ箇所でまた止まる。動作が止まった瞬間、子供たちの顔には汗が流れ続け、その後も汗が流れる中、一人も動くことなく静かに待ち続ける。すると、先生がまた走ってやって来て、「すいません‥‥‥」と言うと、赤くなった小さな顔の子供たちは初めからやり直し始めるのであった。演技はさらに真剣さを増して、さらにかわいくなり、より感動させるものになったのである。すると、突然、また同じ箇所でテープが止まった。
“对不起!再来一次。”孩子们一声不响地又开始了, 一招一式依旧认真,阳光里孩子们的小脸已经通红,突然磁带又在原处卡壳了。孩子们的动作停下来的瞬间,脸上的汗水也流下来了,他们一个不动地淌着汗水在静静地等着。老师又跑来……又“对不起!……”于是孩子们红着小脸又从头开始了。那一招一式更加认真、更加可爱、更加动人!突然磁带又在原处卡壳了。

この時、先生が舞台まで来るのを待つことなく、運動場のまわりからリズムをつくる拍手が起こり始めたのである。その音は次第に大きく響き渡り、整うようになっていく。子供たちは先生や保護者や来賓による人の胸をうつ拍手に合わせて演技し、その演技がこの上なくかわいく、かっこよかったのである。そして、私はこの情景に大きく感化され、傍らの車椅子に座っている見知らぬおばあさんの手をとると、その拍手の輪に参加したのである。指図する人もなく、リハーサルもなく、運動場中の老若男女の拍手が一つになり、足で地面を踏む音が一つになり、心が感応し互いに影響し合った結果、こうなったのである。その拍手の音と子供たちの真っ赤な小さな顔の一つ一つが私の記憶になお新しい。
这次还没等老师跑到前台,操场周围开始响起了有节奏的击掌声。这声音越来越大,越来越响,越来越整齐。孩子们伴随着这来自老师、家长及来宾的动人的掌声,一招一式来得无比可爱无比英俊。我也被这情景深深地感染了,抓起旁边坐在轮椅上一位不认识的老奶奶的手加入到这掌声中去。整个操场上男女老少,拍在一个声上,踩在一个点上,没有指挥,无需彩排,这是一种心灵的感应与互动。这掌声以及孩子们那一张张的通红的小脸使我至今记忆犹新。
2005年10月10日
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by tubomim | 2007-10-11 21:57 | 2005年 | Comments(23)
小学校の運動会の一幕①(小学运动会的一幕①)
青春の一コマ(昔、昔の懐かしい運動会)
青春小片段(幾十年前日本的運動会)
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日本の「体育の日」はしばらく前までは10月10日であった。だが、数年前に10月の第二月曜日に改正された。こうすると三連休になるからだ。今日は今年の「体育の日」である。近くの小学校の運動会の音を聞くと、小象と一緒に運動会に参加していたころの光景を思い出さずにはいられない。ここに2年前の感想を綴った文章を一編載せる。
日本的“体育日”以前是10月10日,几年前改为10月的第2个星期一,这样与前面的六、日合在一起又是一个三连休。今天就是今年的“体育日”,听到附近小学运动会的声音,不禁想起与小象在那里参加运动会的情形。贴一篇2年前的写的感想。

 今日は家族全員で息子の小学校の運動会に参加する。日本の小学校の運動会は子供たちだけでなく、保護者や地元の住民も参加する大交流会なのである。私の夫が親子の競技種目への参加を受け持ち、私は3年連続で、舞台でお茶や水を用意して学校の招待客に振舞う係である。この持ち場は運動会で起こり、深く感銘を受ける一幕一幕を目撃するのに便利な場所なのである。
今天全家去参加了儿子学校的运动会。日本小学的运动会不仅是孩子们,家长乃至当地居民都来参加,这也是一次交流的大会。老公负责参加亲子竞技项目,我则连续3年在前台端茶倒水, 负责招待学校请来的各位来宾。在这个岗位上每年都可以近水楼台地目睹到那令人深有感触的运动会的一幕又一幕。

 おととしにあった一幕である。裸足になった3人の保護者たちと3人の子供たちが2列縦隊になり、6人で1チームをつくった。そして、左足を1本の細長い竹にはめ、右足を1本の細長い竹にはめる。後ろの人は前の人の肩に手を掛ける。呼子が鳴ると、両チームともそれぞれに掛け声を上げて、左足、右足と動かしていき、「1、2、1、2‥‥‥」と声を上げて進んでいくのである。なるほど団体精神というのは小さな頃からこうやって鍛えているのである。そんな感慨に浸るうちに拍手が響いて、どちらが勝ったかに関係なく、全員が歓声の中でゴールしたのである。この時、裸足の小さな女の子がびっこを引きながら舞台にいる保健の先生のところまで走ってきたのである。先ほど転んで竹で擦りむいた足を女の子が持ち上げて、先生が薬箱を開いて薬を取り出そうとした時、父親が女の子の後から笑いながらやって来て、女の子の尻を一蹴りすると、「お前ときたら」と言いながら、彼女を逆さにして抱くと、血が滲んでいる足首の後ろの部分につばをつけ、数回擦ったのである。そして、もう一度逆にしてから地面に立たせると、女の子は何事もなかったかのように飛ぶようにして駆けて行ってしまったのである。どうやら、父親のこの技は先生の手にある救急ばんそうこうよりもさらに効き目があるようである。
前年的一幕。家长与孩子们一起光着脚排成两纵队,3个孩子,3个大人,6人一组。左脚套在一条竹板上,右脚套在一条竹板上,后面的人将手搭在前面人的肩上。哨声一响,两队各自喊着号子就左一脚右一脚的出发了。“一、二、一、二……”原来团队精神就是这样从小练出来的!正在沉浸感慨,响起一阵掌声,没人在意是哪队赢了,大家欢呼的是全员都到了。这时一个小女孩光着脚一步一踮地跑到前台保健老师这里,举起了刚才摔倒时被竹板蹭破的脚Y子。正当老师准备开箱拿药时,只见孩子的爸爸随后笑着跑来,照着小女孩的屁股就是一脚。“这孩子!”一把把她倒抱起来,用吐沫往渗血的后脚脖子抹了两下,再倒过来把她立到地上,只见小女孩没事人似的飞跑去了。看来他爸爸的这招儿比老师手里拿着的创可贴还灵!

2005年10月10日

小象の運動会
小象的运动会
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by tubomim | 2007-10-09 20:49 | 2005年 | Comments(14)
ぴんと伸ばす(挺)
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毎日、私は電車で郊外から都内まで通勤している。線路の延長に伴い、その沿線の新興住宅地も増え続け、早朝、駅へどっと現れてくる通勤族の列も拡大し続けている。人の流れがわっと駅に押し寄せ、その後車両の中に注ぎ込まれる。乗客が乗ってくることはあっても降りていくことは無い、そんな状態が環状線との乗換駅で終点となる新宿駅まで続く。私が乗車するこの駅へ着く頃には、ホームの上で駅員が車両に向かい乗客を押すのではなく、背中で乗客を突いて入れていくほどである。時には、手のひらを立てその外側の部分でドアの閉まらない隙間に沿って上から下に少しずつ隙間を滑らすようにして乗客を入れていることもある。以前、私は車両の中に押し込まれ、頭がくらくらして、目の前が真っ暗になり、どぎまぎして、足の力が入らなくなり、顔には冷や汗が出てきて、もうすぐ倒れそうだという状態になったことがあった。しかし、詰め込まれていたので倒れそうであっても倒れなかったのである。
我每天上班要乘坐由市郊开往都内的电车,伴随着铁路的不断延伸,沿线住宅小区的不断扩展,清晨涌向车站的上班族队伍也在不断壮大。人流涌进车站灌入车厢,直到都内环线的连接点新宿终点站为止,乘客几乎是只上不下,到了我要上车的这站时,这里已经不是站台上的服务人员往车厢里推乘客了,而是要用后背把乘客顶进去,有时还要用竖起手掌的外侧顺着关不上的车门缝儿,从上到下地把乘客一点点溜缝儿般地溜进去。我就曾在车厢里面被挤晕过,眼前发黑,心里发慌,腿下发软,脸上渗出了虚汗,眼看就要倒下了,可是被塞在那里倒也倒不下去。
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今日のことである。混雑している通勤電車で乗客が相変わらず静かに耐え忍んでいると、突然、座っていた斜め前方の人が立ち上がり電車を降りようとしたのである。私から2、3人分の距離しか離れていないとはいえ、その場所ではとても私が座る順番は回ってこないであろうと思ったが、本能的に身体がそちらへ向けて斜めに傾いたのである。その空いた席の前には通勤時間にはあまり見かけない70歳くらいの白髪混じりの婦人が立っていた。青色のジャケットの襟もとからは青白柄のブラウスが見えており、ぴんと伸びている首に沿ってそこから普通のホワイトカラーではないと感じさせるようなにおいを発散させていて、彼女も通勤族の一人のようである。彼女の傍らにいるのは50歳余りの中年男性で、その男性は老婦人に対してお座りくださいという身振りをすると、彼女は微笑んで首を横に振ったのである。男性はさらに遠慮気味に彼女に譲ったのであるが、今度は彼女が男性にお座りくださいという身振りをしたのである。今日の状況を見れば、誰が見ても老婦人が座るべきであると思うであろう。しかし、彼女はあくまであそこでぴんとし続けたのである。結局、男性は彼女の意志を覆すことはできず、座るしかなかった。この時、座ろうとしていた私のお尻が縮こまり、斜めに傾いていた腰がぴんと伸びたのである。
今天拥挤的通勤电车里大家依旧静静地忍着,突然斜前方坐椅上的人活动着起身欲在中途站下车,虽然离我还有2~3个人的距离,那个位子怎么也不会轮到我去坐,但我的身体还是本能地往那里倾斜了。空位子前站着一位通勤时间里少见的70来岁的花发妇人,蓝色外衣的领口露出蓝白花的衬衫,顺着她直挺的颈项散发出令人感到非同一般的白领的气息,俨然她也是上班族中的一员。她旁边是一位50多岁的中年男人,男人示意请老妇人坐下,她微笑地摇摇头,男人又客气地让她,这次她示意请男人坐下。今天的情形谁看也该是老妇人坐下,可她坚决地挺在那里,最后男人挺不过她,只好坐下了。此时我那欲坐的屁股缩紧了,倾斜的腰身也挺直了。

敬老と言うのは他人に対する場合である、自分に対し、先ず精神的に自分の老いに席を譲ってはならない。年を取れば、しきりにため息をつき、世話を焼き、何でもがつがつ飲み食いし、年寄り風を吹かせてもよいと誰が言ったのであろうか。これは実際には自分を「おろそか」、「するがまま」、「放任」、「成り行き任せ」にさせることなのである。同年代の中年の人を相手に、自分の背中や腰が曲がり始めていないか、緩み始めていないかを見比べてほしい。若者と比べればあなたはさらに一朝一夕を争う必要があり、年長者と比べれば上体をぴんと伸ばさない理由などまったくないのである。方法としては、立つことができる者は座らず、座ることができる者は横にならないということである。
敬老是对他人而言,自己首先在精神上不能给自己的老让位。谁说岁数大了就可长吁短叹, 就可家长里短,就可胡吃海塞,就可倚老卖老?其实这就是对自己的放松,放纵,放任, 放流。进入中年的同龄人,请看看自己是否已开始佝背驼腰,松松垮垮?与年轻人比你更需要只争朝夕,与年长者比你根本就没有理由不挺起腰板。活着就要有个样子,能站着就不坐下,能坐着就不躺下。

2005年のゴールデンウィークに私は息子と名古屋の万国博覧会に行ってきた。車を降りるとまず目に入ったのが駐車場で秩序を保つためにいる日焼けして黒くなったボランティアのお年寄りであったのである。おじいちゃん、おばあちゃんとして家で面倒をみてもらうはずの人たちが、ここではみんなのために奔走しており、実に感服させられてしまうのである。会場においては至るところでさらに彼らの活躍する姿を見ることができる。銀髪により引き立っている黒く赤い顔を見れば、自分は人生の余熱で生きているのではなく、万国博覧会のスポットライトを浴びているのだと表していることを感じ取れることであろう。
 みなさんが同じように感じるかどうかはわからないが、中年以降の同年代の人は生活様式や精神状態により、次第に年齢の差が開いてくるように見える。70歳から80歳の人を見た時、みんなが同じというようにはなかなかいかず、「ぴんとした伸び」を維持し続けているかどうかが大きな違いとなるのである。信じられなければ、今すぐぴんと上体を伸ばして数歩歩いてみてほしい。少し若くなった気がしないだろうか?
2005年的黄金周我与孩子去名古屋参观世博会,一下车第一个映入我眼帘的就是那些在停车场维持秩序的晒得黑黑的老年义务工作者,本该是在家被供起来作老爷子•老奶奶的人,却在这里为大家跑前跑后,实令人钦佩。在会场里你更到处可见他们的活跃身影,那银发衬托着的黑红脸膛使你感到的已不是人生的余热,而是世博会的亮点。
不知各位是否有同感,中年以后的同龄人由于生活方式,精神状态的不同,看起来会渐渐拉开年龄上的差距,到了70~80岁就难以同喻,很大的程度上就在于是否要坚持这个「挺」。不信,您现在就挺直腰板走几步,是否觉得有些「年纪轻轻」?!

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by tubomim | 2007-04-17 07:18 | 2005年 | Comments(28)
「信」の柱(信之柱)
20年前、留学のために日本へ来たばかりのころ、友人が中国語を教えるアルバイトを紹介してくれた。生徒は日本で生まれた韓国人だった。毎回、私たち二人はまず池袋の東武百貨店前のあの大きな柱のところで待ち合わせ、それから近くの喫茶店のどれかにもぐり込んで発音の基礎(bo、po、mo、fo)を練習した。
20年前刚来日本留学的时候,朋友给我介绍了一份教中文的工作,学生是一位在日出生的韩国人。我俩每次都是先在池袋东武百货店前的那棵大柱子集合,然后再钻到附近的哪个咖啡厅去玻破摸佛。

ある日曜日の午前中、よく私を美術館や博物館に連れて行ってくれた日本人の大先輩がまた私を連れ出した。結局、その時は成田空港近くの佐倉市にある国立歴史民俗博物館まで連れて行かれた。ここは遠いばかりではなく、殊のほか大きかった。日本で唯一の国立歴史博物館であり、占有面積は13万㎡、建築面積だけでも3万5千㎡もある。展示内容は、原始時代や古代から、近代にまで及んでいる。遠い場所、巨大な展示ホール、豊富な内容は、みな私の「想定外」であった。私は見ているうちにそわそわし始めた。午後、私は池袋で中国語を教える約束をしていたからだ!歴史の殿堂の中ではみなが事細かに内容を味わっていた。なかでも、その大先輩は外国からの留学生である私に特に辛抱強く解説をしていたが、実のところ、私はとっくにうわの空だったのだ。
一个星期天上午,有位常带我去看美术馆、博物馆的日本老先生又带我去了。结果这一下就被带到了位于成田机场附近佐仓市的国立历史民俗博物馆。这里不仅远还特别的大,它是日本惟一的一所国立历史博物馆,占地面积13万平方米,建筑面积就有3万5千平方米。内容从原始、古代到近代。遥远的路程、巨大的展厅、丰富的内容,都是我“想定外”的。我看着看着开始沉不气了,因为下午我约好了要在池袋教中文呢!历史的殿堂里大家细细地吟味着,老先生更是耐心地向我这个外国留学生讲解着,其实我早已心不在焉了。

ついに見終わるまで辛抱して外に出た。私はもはや失礼を顧みず、その大先輩に急いで授業をしに行かなければならないのだと告げた。残念なことに、そのころはまだすぐに連絡がとれる携帯電話はなかった。大先輩はすぐにタクシーを呼び、私たちは佐倉駅に急いだ。尋ねると、佐倉から池袋まで行くのに電車ではいくら速くても1時間40分はかかるということだった。そのうえ待ち時間や乗換えもあるので、遅刻は間違いないし、行ったとしても待っているはずがない。しかし、私はやはり急いで行った。池袋駅に着いて時計を見ると、丸1時間の遅刻だった。私は本能的に毎回待ち合わせをしているあの大きな柱の元へ走って行った。遠くから彼の姿がかすかに見えた。本当に彼だ!「まさか私を待っていてくれたの」、「まさか来てくれるなんて」。それは疑いなく私たちお互いの間に信用と信頼があるからなのだ。
终于挨到看完出来了,我再也顾不得失礼,告诉老先生我必须赶去教课。可惜那时还没有手机可以及时联络。老先生马上叫了出租车,我们赶到佐仓电车站,一打听从佐仓到池袋坐电车,最快也要1小时40分钟,再加上等车倒车肯定是迟到了,去了也不会有人等了,但我还是赶去了。到池袋车站一看表,迟到了整整1小时!我本能地向每次见面的那棵大柱子跑去,我远远地隐约看到了他,真的是他!“你怎么还会等我?”“你怎么还会来?”这无疑是凭借着我们彼此之间的信用与信任。

その日の学習が終わってから、私たちは少し余計におしゃべりをした。その時、彼は私にあることを告げ、「他の人には言わないでよ」となにげなく言った。そこで、彼は私に話して聞かせた。しかし実際は、その時,聞いてもたいした話ではなかったし、今となっては余計にどうでもいい内容である。歳月が流れるうちに、彼自身このことをとっくに忘れてしまっているのかもしれないし、詳しい内容も日ごとにあいまいなものとなってしまったが、私はあの時自分が言った「はい」という約束の声をはっきりと覚えている。その後、私たちには多くの共通の友人ができた。その中には、私の今の夫や彼の今の妻も含まれている。しかし、私はいまだにこのことを誰にも話したことがない。
那天学习完我们又多聊了一会。其中他告诉我一件事,顺口一句“你可不要告诉别人。”于是他就讲给我听了。其实当时听起来也没什么大不了的,现在就更不是个事了。随着岁月的流失,这件事他可能早已忘记,详细内容也日渐模糊了,但我清晰地记得当时自己一声「哈依」的承诺。此后我们有了很多共同的朋友,包括我现在的老公及他现在的夫人。但我未曾对谁再提起过此事。

今日、私はたまたま池袋の東武百貨店前のあの大きな柱の元を通りかかり、不意にこのことを思い出した。あの時彼が何を話したかについては、私はもちろんここでは話さない。その約束を守ることは、信用と信頼を守ることだから。私と彼との間の連絡はずっと前に途絶えてしまったが、お互いの間の信用と信頼はこの大きな柱のようにしっかりと心の中に根付いている。
今天我偶然路过池袋东武百货店前的那棵大柱子,不由得想起了此事。至于当时他讲了什么,我当然也不会告诉您的,因为守住它就是守住信用与信任。虽然我与他早就失去了联系,但彼此的信用与信任就如同这棵大柱子牢牢地立在心里了。

2005年9月19日
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by tubomim | 2007-02-12 14:46 | 2005年 | Comments(43)
水郷の旅――朱家角(2)
対不起!這篇只有日本語。
朱家角というのは「江南の名鎮」といわれている。「小橋、流水に人家、正真正銘の明清時代の町」と形容されているそうだ。

朱家角は古い町。記録によると1700年前に既に村落が立っていて、明時代の万歴年間には正式に鎮として成立していた町である。今になっても5000年前の人類の生活遺跡や器などがときどき発見されている。

朱家角はに賑やかな町。昔から布やお米によって繁栄してきたが、今でも大清郵便局(写真6参照)、銀行、お米の店、喫茶店(写真7参照)などが当時のまま、綺麗に残っている。
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写真6(1903年の大清郵便局)

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写真7(町のもっとも古い憩いの場――婆ちゃん喫茶店)

朱家角は水上の町。九つの長い街が河沿いに伸びて、千棟以上の明と清時代の建築が水路沿いに建てられ、いかにも古めかしい橋が36個もある。(写真8参照)
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写真8(小橋、流水に人家)

小橋:道路の延長、古い橋は歴史を載せている。長さ70.8m、幅5.8m、高さ7.4mの五つのアーチの放生橋は1571年に造られた上海地域で一番の石橋である(写真9参照)。風格が異なる廊橋は鎮の唯一の木造橋である。(写真10参照)
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写真9(上海一の石造りの五孔橋――放生橋)

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写真10(町に唯一な木造橋――廊橋)

流水:古い町の生活の動脈・命脈である。水路は延々と続き、少女の長い髪みたいに滑らかである。船に乗ったら町の奥へ行き、あなたを乗せて少年時代へ、おばあちゃんの家へ漕いでいく、なかなかの風情がある。

人家:白粉壁に眉墨屋根。深い路地に静かな街。表の敷居が低く屋根も低い。一歩中に入ると広々とした部屋に高い天井、彫刻の窓に敷石の小道、庭の中にまた庭がある。いずれも静かで、目立たない古い町の住人の趣向が感じられる。

朱家角の小さい旅が終わり、16:00のラッシュ時間の前に同じく30分間隔に来るバスに乗って(帰り:始発09:10 最終16:00 約30分間隔)、上海市内に戻ってきた。その時にバスの前に映っていた上海の休日の夕日はとても美しかった! (写真11参照)。
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写真11(上海休日の夕日)

上海旅游集散中心ホームページ
「旅游線路」をクリックすると朱家角以外の観光コースが数多く紹介されている。
「上海旅游集散中心」は上海体育館以外にほか4ヵ所がある。
朱家角ホームページ
2005年6月13日
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by tubomim | 2007-01-23 22:36 | 2005年 | Comments(46)
水郷の旅――朱家角(1)
対不起!這篇只有日本語。

仕事の関係で、上海に行く機会が多くなってきたが、日数はいつも短い。たまに土日などフリーの時間がとれた場合に、やはり自分でどこかへ観光してみたい。そして市内より少し市外にも足を伸ばしてみたい。でもどこがいい、どのようにいく、どれぐらい時間、費用がかかるなどなど……のか などなど.上海駅前に来て、あの人の海を見るだけで、断念してしまって、結局南京路の「南ブラ」で済ませる場合が多かった。
1年前から友人の紹介で上海観光バスターミナルで(中国語:上海旅游集散中心)上海周辺の小さい旅(一日、二日、三日間コース)をみつけ、今まで、周荘、西塘、南北湖、つい最近は朱家角にも日帰りバスで行った。フリーな時間で、好きな所へ自由な旅行ができて、とても嬉しい。
ここで皆様のご参考のために、2005年水郷の旅――朱家角に行った時のことを紹介させていただきます。

休日の朝食を済ませ、今日はどこかへ行こうかなといつも利用している万人体育場のバスターミナルに向かった。地下鉄1号線の上海体育館駅1番出口から歩いて2~3分、バスターミナル(写真1参照)の看板が見えた。 (タクシーの場合:万人体育場上海旅游集散中心と頼んだら、市内なら20元以内で確実に着く)
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写真1(バスターミナル)

中に入って、真正面にインフォメーションデスク(中国語:咨詢台)(写真2参照)がある。06:30~07:30頃に発車する時間指定のガイド付きバスはすでに発車したので、 この日は30分間隔(行き:始発07:30 最終15:00 約30分間隔)で発車するフリーコース(中国語:自助游)を紹介された。いろいろパンフレットを見ながら、この中から現地駐在の日本人からも推薦されたことのある江南の名鎮――朱家角コースに決めた。
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写真2(インフォメーションデスク)

早速この後ろの切符売り場(中国語:售票処)(写真3参照)に移り、往復バス料金及び現地の城隍廟、大清郵便局など10ヵ所の入場料込みのセット料金80元を支払った。
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写真3(切符売り場)

クーポン券(中国語:套票)を手にして、行く先を確認し、左側のバス乗り場で並んでいた。(写真4参照)
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写真4(バス乗り場)

10時発車するバスに乗り、窓から小雨の上海郊外景色を楽しみながら、約1時間あまりで目的地の朱家角に到着した。

今回はガイド・団体が無しの「自助游」で、自立が要求される代わりに自由も確保された。バスを降りると白粉壁に眉墨屋根の建物の群はすぐ目に映されったが、しかし足は思わず鼻に入ってきた美味しい香りの料理店にまず入った。(写真5参照)安くて美味しかったので、満足した顔で、朱家角に入った。
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写真5(名物の豚のもも,約25元/個)

2005年6月13日
>630叔叔さん:ご訂正ありがとうございました!
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by tubomim | 2007-01-21 22:27 | 2005年 | Comments(26)
上海で頑張っている日本人2(闯荡上海滩的东瀛人2)
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中国語が流暢で、日本語学部日本文学科出身のB先生(小姐)に比べて、中途からこの道に入り、こちらに来てまだ2、3か月のA先生は苦労が多かったのである。彼はもともと日本のある有名会社の管理職であり、「団塊の世代」の一員でもある。定年退職の到来を待つというより……と思うと彼は早目にその大企業の仕事を辞め、日本語教師育成コースに通うことにした。450時間の学習カリキュラムを経て、日本語教師の資格を取得した。資格を入手すると、彼はインターネット上で求職活動を開始し、堅忍不抜な根性により、やっと旅行バッグを背負い、再び人生航路の帆を上げ、初めての中国への出航ができたのである。
比起中文流利,日语系日本文学专业出身的B小姐,半路出家刚来二~三个月的A先生就辛苦多了。他原本是日本某著名公司的一位管理人员,属于日本战后出生高峰的“团块世代”的一员。与其等待退休的来临,不如……于是他提前辞去了大公司的工作,走进了日语教学培训班。通过450个小时的课程学习,考取了日语教师资格。资格到手后他就开始了网上求职活动,坚忍与执著终于使他背起行囊,再次扬起了人生旅途的风帆――首次出航中国。

しかし、現実の厳しさは彼の想像を遥かに超えていたのである。教育の経験不足ということで、赴任してからわずか2週間で 中国の学生に首にされてしまったのである。この時、この日本男児が考えたのは出発前にみんなから励まされた「がんばって」、自分の「プライド」、「不ざま」、「恥」であった。彼は「意地」を頼りにして、見知らぬ国での模索が始まった。そして、彼は何度も挫折を経験し、最後にはこの文化ビジネス研修センターの門をなんとか叩いて開いてもらったのである。私が初めてこの先生に会った時、彼は授業の準備のため夜3時間しか寝ていなかったと言った。2回目に会った時、この先生が講義のため持っているのはカバンではなく、小さなスーツケースであった。その中にはテープ、辞典、道具、メモ......思いついた全ての「備えあれば憂いなし」であった。
可是严峻的现实远远超出了他的想像,由于教学经验不足,刚赴任2周就被中国的学生炒了鱿鱼。此时这个日本男人想到的是出发前大家鼓励的那句“好好干!”,自己的“自尊”,决不容许这样“没模样”地回去,应该知道什么叫“耻”。凭着“倔强”他开始了在一个陌生国度里的摸索。又经过了多少次的挫折,他终于敲开了这个文化商务培训中心的大门。我第一次见到他时,听说为了备好课,他每天晚上只睡3个小时。第二次见他时,这位老师不是提着包,而是拉着一个小箱子来上课的。里面磁带、字典、道具、笔记••••••装着他能想到的一切有备无患。

「中国語ができれば学生との距離が縮まるので、現在、時間のある時はNHKについて(の放送)で中国語を勉強しています。まだうまく話せないので、とりあえず愛嬌でがんばっています。あとは、中国の歴史を勉強したい、外に出かけて美しい景色を見たい。そう『男料理』もマスターしなければならないね」。そして、さらに嬉しそうに今は電話して中国語でタクシーを呼ぶこともできるようになったし、風邪をひいたら薬屋で薬を買うこともできたことを教えてくれた。
他讲:“现在有时间我就跟着NHK学习中文,因为中文可以拉近我与学生的距离。现在还讲不好,我就用‘可爱的表情’来‘套近乎’。我还要学习中国历史,还想出去看看美好的风光,还必须学会作‘男人料理’。”他高兴地告诉我,现在已经会用中文打电话叫出租车了,感冒也能去药店买药了。

後日、A先生から一通のメールが届いた。「後1~2年で定年退職する団塊の世代の同僚たちも、定年後の生活をどうしたらよいのか現在模索しているところです。私が一足先に退社し、今までとは全く関係ない世界で一から新たな自分の旅を始めたことに同僚たちは好奇の目で見ています。従って、彼らに対しても自分がある意味での先駆けモデルにならなければという使命も感じながら、いい意味で自分にプレッシャーをかけながら日々を送っています。また、同僚が書いてくれた激励の色紙を機会あるごとに眺め、この言葉が自分の背中を押してくれているような気がします。収入面では、現地の生活がなんとかできる程度で、上海にある日系企業の駐在員の生活と比較すると雲泥の差がありますが、今の仕事にはお金では図れないやりがいや将来の夢を感じています。このような気持ちを大切にして最終的には日本語教育を介して日本の理解促進のために力を尽くしたいと思っています。」A先生はここで続けて2年間頑張って、少しずつ経験を積んだ後、スペイン語を話す南アメリカの国に行ってしばらく仕事をするつもりだと言っている。
后来A老师来过一封信。他写道:“再过1~2年就要退休的‘团块世代’的同事们都在考虑退休后的生活。他们好奇地注视着我提前退休踏进一个完全陌生的世界,从头开始自己新的旅程。从某种意义上来讲,对他们我有一种先行示范作用的使命感,它每天都鞭策着自己。同事们写满激励话语的册页,我有机会就拿出来看看,总觉得这些话在背后推动着自己。收入方面目前勉强维持在当地的生活,与在上海的日本公司的常驻人员相比那真是天壤之别。但我从现在的工作中可以获得金钱所不能换取的对未来的梦想。我要把这个梦想好好揣在心里,最终我想通过日语教学为促进大家对日本的理解而尽一份力量。”A老师准备在这里再努力工作2年,积攒下经验后,还要到讲西班牙语的南美洲去工作一段时间。

ロビーの向こう側で日本企業の会社員であるCさんとBさんは週末を利用してここで先生に中国語を教わっている。隣の教室で二胡を学んでいる日本人女子は「李E子と申しまして、中国人の妻です」と教えてくれた。
時代は変化し、社会も発展した。我々が日本で頑張っていると 同時に日本の人々も我々の大陸へ発展を求めて行き始めたのである。彼らを通じて我々が日本に来たばかりの時の元気と勇気が見えた。躊躇不進の私は「前しか見えない。後ろを振り返っている時間がない」という言葉に起こされ、その時に自分の背中も何かの力に押されているような気がした。
大厅那边,日本公司职员C与D正在利用周末来这里跟着老师学习中文。隔壁教室里正在学拉二胡的这个日本女子告诉我她叫“李E子,是中国人的妻子”。
时代变化了,社会发展了,在我们闯荡东瀛的同时,东瀛的人们也开始去闯荡我们大陆了。在他们的身上我看到了当年我们刚来日本时的朝气与勇气, “只能瞻前,不容顾后”唤醒了踌躇不前的我,此时似乎也感到有股力量在背后推动着自己。

2005年12月18日

>630叔叔:谢谢您百忙之中帮我修改。
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by tubomim | 2007-01-18 17:37 | 2005年 | Comments(40)
上海で頑張っている日本人1(闯荡上海滩的东瀛人1)
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2005年の夏、私は日本留学の先輩が上海で創設した文化ビジネス研修センターを取材に行った。それは、とても活気があるということを聞いていたからである。ここで日本語教師をしている日本人のA先生とB先生(小姐)にロビーで出会った。そして、少し話を交わした。そのことから上海で関心の持てる人ができた。そして、再び上海を訪れる機会があった時、今度私は彼らを取材するためにまた研修センターを訪れた。
2005年的夏天,我本来是去采访留日前辈在上海创办的文化商务培训中心的,因为听说那里办得有声有色。在大厅遇到了来这里教授日语课的日本人老师――A先生与B小姐,与他俩聊了几句就让我在上海有了牵挂,于是有机会再去上海时我又专程到培训中心去采访了他们。

B先生(小姐)は日本のある大学の日本語学部日本文学科を卒業し、大学在籍中の一年間、復旦大学に留学していた。その時に彼女の中国語の先生の紹介で、彼女はアルバイトとしてこの研修センターで日本語を教えることになった。その経験が元になり、大学卒業後彼女は再び海を越えてここへ就職にやって来た。
B小姐毕业于日本某大学日语系日本文学专业,还是在校生的时候就曾到复旦大学留学一年,那时经她的中文老师介绍,她到这个培训中心来打工教授过日语。这段经历使她毕业后又越洋飞回到这里来工作了。

彼女は月曜日から金曜日までは郊外の分校で学生たちと一緒に封鎖されている状況で授業を行っている。土曜日と日曜日は上海に再び戻り、本校で講義を行っている。それを聞いて私は思わず自分が日本に来たばかりの時に東奔西走、寸刻も無駄せずに回っていた頃の様子を思い出した。「現地の給与で自分の生活は維持できますか」と聞くと、この子は興奮した様子で「意外なことに、一年間で日本円に換算すると30~40万円が貯まっていました」と言った。そして、この夏休みは両親を招待してアモイへ旅行に行くそうである。これは日本では大学を卒業して一年目の大学生が例えその気があっても力が及ばないような「親孝行」であろう。
星期一~星期五她与学生们一起在郊区的分校里进行封闭式教学。星期六、星期日她再赶回上海的本校教课。听到这里我不由得想起自己刚来日本时东奔西跑、马不停蹄的情形。挣当地的工资能维持自己的生活吗?这个小姑娘兴奋地告诉我,一年下来居然还有了相当于30~40万日圆的积蓄!这个暑假就要招待自己的父母去中国厦门旅游了。这在日本可是一个刚毕业一年的大学生即使有心也无力的“孝敬父母”的实际行动呀。

中国での感想を聞くと、彼女は「例えば、若者の提案も受け入れてもらえるので、これでなお更やる気がでてきます。これは日本では難しいでしょう」と答えた。しかし、彼女は中国のやり方に慣れてしまい、帰国後、日本の決まりに適応できないのではないかと非常に心配しているのである。
当问到在中国的感触时, “在这里年轻人的建议也会被采纳,激发你有更大的干劲。这在日本是不可能的。”所以习惯了中国做法的她非常担心将来回国后可能会不适应日本的规矩呢。

彼女が中国に来たばかりの時、生活の中でやはりいろいろな「なぜ、なんで?」ということがあった。そこで「この国に来たら、この国の事を知り、理解しようという努力が必要である。違う文化や習慣に出会った時に、まず否定や拒絶をすることではなく、時間がたつことにより、お互いに理解しあうこともできるし、溶け込むこともできる。そして受け入れてもらえるのである」と彼女の感想を聞かせてくれた。その話を聞いていくうちに、目の前のこの娘はなぜか急に成長していたように見えた。
她谈到刚来中国的时候,生活中有时也会有各种“为什么?为什么?”,但她的体会是“既然来到这个国家就必须去努力了解与理解这个国家。在遇到不同的文化•习惯时,不要先否定或拒绝。时间长了彼此就会理解,就会溶入,就会被接纳。”听着听着,眼前的小姑娘怎么一下长大了。

そして、彼女は「上海は活力が溢れる町であり、ここに来たら迷ったり悩んだりする余裕がない。どんどん変化していく流れについて行くだけで 前しか見えない。後ろを振り返っている時間がない」と言った。ここであとどのくらいやるつもりなのかを聞いてみると、彼女は満面笑みを浮かべ「少なくとも2010年わが上海万博の開催までがんばっていくつもりです」と、その口調はまるですでに上海人になっているようであった。
她告诉我“上海是一座充满活力的城市,到了这里就容不得你踌躇与烦恼,跟着飞速变化的潮流,你只能瞻前,不容顾后。”问她准备在这里再干多久,她满脸喜悦地告诉我“至少要干到2010年我们上海世博会的召开。”听口气她已经俨然是个上海人似的。

2005年12月18日
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by tubomim | 2007-01-16 09:45 | 2005年 | Comments(43)
息子が私に漢字を指導する(儿子辅导我学习汉字)
 漢字学習に関連した2005年5月の原稿をUPさせていただきます。
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 2003年10月に息子は初めて日本の「漢字検定」試験を受け、今年の6月10歳の彼はこの2級(高校三年生がチャレンジするレベル)をチャレンジすることになる。漢字ということなので周りの人は自然にこの成績を漢字の国からきたママである私の功にまとめるが、これはまさに功労がないのに禄を受けることである。
 ここ2~3日私は仕事が無かったので、息子の提案ので、今日初めて彼と一緒に漢字問題集の練習を始めた。20数年間も日本語を勉強してきて、日本語専攻出身に加えプロの通訳と称する私の正答率はなんと1/3にもならなかった!
  2003年10月儿子第一次参加了日本的“汉字检定”考试,今年6月10岁的他就要挑战2级了(属于日本高中三年级学生挑战的水准)。因为是汉字,周围的人就自然而然地把成绩归功于我这个来自汉字国家的妈妈,殊不知我真是无功受禄。  最近几天没有工作,在儿子的提议下,今天第一次与他一起练习习题,我这个号称学习了20多年日语的本科生外加专业翻译正确答案竟然还不到1/3 !

 「まずここから始めましょう。」と息子は「漢字検定」2級問題集の「読み」(漢字⇒ひらがな)部分を開いた。十に九は十中八九自信がなく、三に一はエラーが発生。時には問題を提出する人が設けた落とし穴に落ち込む。
 「漢字だったらママはきっと得意でしょう!」と息子は賢く「書き取り」(ひらがな⇒漢字)部分にジャンプしてきた。字を書こうとすると字を忘れ、書いたとしても手足が不ぞろいになる。思わず電脳(パソコン)が私の人脳の機能を奪ったことに愚痴をこぼし始めた。ああ、自分がどれほど悲しいものになったのかやっと気がついた。
 「ママはたぶん忘れちゃったのでしょう。私たちで一緒に拾っていきましょう、一個を拾えば、一個になるから、主に自信を拾うこと。」
  “咱们先从这里开始吧。”儿子打开了“汉字检定”2级复习书的读音部分(汉字⇒假名)。十拿九不稳,三句一卡壳,时不时我就掉到出题人设的陷井里。
  “汉字妈妈一定擅长!”儿子聪明地跳到了写字部分(假名⇒汉字)。提笔忘字,缺胳膊少腿,不由得开始埋怨都是电脑夺走了我人脑的功能。哎~我才发现自己多么的悲哀。
   “妈妈,你可能是忘了,咱们一起拣,拣回一个算一个,主要是拣回自信。”


 「まあ、明らかにわが中国の【虎头蛇尾】が日本にきたらどうして【竜頭蛇尾】になったの?【金科玉律】⇒【金科玉条】、【只言片语】⇒【片言隻語】、【长生不老】⇒【不老長寿】、これはわざと私という中国人を落とし穴に飛び込ませるのではないか。」と私は文句を言い始めた。
 「ママ、もっと大きな落とし穴があるよ。【天衣無縫】って何を形容するもの?」「とても完璧でしょう。」「しかし日本の場合には【天真爛漫】を形容してもいいの!」「なに?【天衣无缝的孩子?】ってわが中国人は見たことがないわ。」
 「ママ、日本の【換骨奪胎】は中国の【脱胎换骨】みたいに完全に別人にかわるのではなく、ただ格好だけかわってもう一回出てくるのよ。」「え?」
 「ママ、あなたが書いたこの【插】は中国の【插】です。日本の【挿】はてっぺんを通すほど挿すの、しかし中国の【插】は真ん中の横棒が切れるほど刺す。」「すみません!ママは挿し方がわからなくて、めちゃくちゃに挿しちゃった。」
   “哎~明明我们中国的“虎头蛇尾”到了日本怎么就叫“竜頭蛇尾”了? “金科玉律”⇒ “金科玉条”、 “只言片语”⇒ “片言隻語”、 “长生不老”⇒ “不老長寿”,这不是成心让我这个中国人跳陷井吗?!”我开始抱怨。
  “妈妈,还有更大的陷井呢! “天衣无缝”形容的什么?”“特别完美呗。”“可是在日本还可以形容人的“天真浪漫”呢。”“什么? “天衣无缝的孩子”?我们中国人可没见过。”
  “妈妈,日本的“換骨奪胎”可不象中国的“脱胎换骨”那样彻底变成另外一个人,只是换个面孔又出来了。”“啊?”
  “妈妈,你写的这个“插”字是中国的“插”。日本的“挿”是要把底下插透,而中国的“插”是要把中间插断。”“对不起!你妈妈插不好乱插。”


 「ママ、台所にあるあなたの砂糖や塩それにコーヒーのカンを長い間使わないと硬くなるでしょう。しかし揺らしたり、たたいたりするとまた使えるものになるでしょう。ママの頭も同じことで、すこし動かせばよくなるのよ、がっかりしないで。」
「君、どうしてこんなに親切なの?ママはいつも君に怒ったりして、すみませんね。」
「大丈夫、これはあなたが大人、ぼくが子供だから。」
「君に謝らなくちゃ。」
「これはぼくの目的じゃないよ。」
  “妈妈,厨房里你的糖罐、盐罐、咖啡罐时间长了不用就会硬在一起,可是摇晃摇晃,敲打敲打不就可以用了吗?你的脑子里也是一样的,活动活动就好了,别泄气。”
“儿子,你怎么这么有耐心 ? 妈妈平时老吼你,真不对。”
“没关系,你是大人我是孩子呗。”
“我应该向你道歉。”
“我可不是这个目的呦。”


 漢字の練習は終わって、夕飯の支度のために一緒にスーパーへ買い物に出かけた。息子は自分の小遣いで私に漢字練習ノートを2冊買ってくれた。「立派な成績は平日の地味の努力から。」と教えてくれた。
 いい息子、ありがとう!ママの練習は始まったばかりなので、まだ自信は拾っていないが、童心は確かに拾ったわ。毎晩夕飯後にいつも漢字練習ノートに向かって、しばらく努力するママの姿が君は見えないか。入学したばかりの小学校一年生みたいに一筆一筆に「天衣無縫」をしている。
 辅导课上完,我们一起去超市买菜准备做晚饭。儿子用零花钱为我挑选了2个田字格练字本,他说“显眼的成绩来自平时不显眼的努力。”
  好儿子,谢谢你! 妈妈刚刚开始练习,还没拣回自信,可是捡到了童真童趣。你不见妈妈每天吃完晚饭都会趴在田字格上“不显眼”地努力一会儿吗?就象刚入学的一年级小学生那样一笔一划“天衣无缝”。

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2005年5月15日
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by tubomim | 2006-12-22 20:09 | 2005年 | Comments(51)