在日中国人女性の随筆  
tubomim.exblog.jp

日本語・中国語併記ブログ
記事ランキング
お気に入りブログ
タグ
以前の記事
2017年 01月
2016年 09月
2016年 03月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 05月
2004年 06月
2003年 08月
2003年 07月
2002年 10月
2002年 05月
2002年 04月
2001年 12月
2001年 11月
2001年 10月
2001年 08月
カテゴリ
その他のジャンル
Skypeボタン
ブログジャンル
画像一覧
カテゴリ:2002年( 8 )
遅延(误点)
ある日、新宿で中国代表団を出迎え、霞ヶ関にある政府部門にお連れする予定があった。いつものように30~40分余裕を持って出かけた。ところが、私の乗った急行電車は、もうすぐ新宿駅に到着するというところで急にスピードが落ち、「牛歩」が始まり、なかなか進まなくなった。そこでドアを開けて下りることもできず、時間はどんどん過ぎて、私の用意した余裕時間も少しずつ消耗され、無くなろうとしている。もうこれ以上、無言で待ち続けるわけにはいかない。一刻も早く彼らに電話して約束の場所を離れないように伝えなくては!しかし、私にはどうしてもこの静かな沈黙と忍耐の空気が流れている車両の中で、携帯を取り出し、電話をする勇気は出なかった。どうして?!通勤通学ラッシュのこの時間、みんなも相当あせっているはずなのに、携帯なんてとっくに普及している今、みんながそれを持っているはずなのに、どうして今この大切な時に使わないの?私が握り締めた携帯は、もう汗でぐっしょり濡れていた。
一天约好先去新宿接中国代表团,之后去霞关的政府部门拜访。我还是按老习惯打出30~40分钟的富余时间,提前出发了。可眼看急行电车快要到新宿站时,它却踱开了牛步迟迟不肯进站,又不能中途开门下来。时间在分分秒秒地过去,打出的富余时间眼看就要被耗尽。我不能再这样无言地等待,必须打个电话告诉他们千万别动一定在原地等着我。可我试了几试,实在是没有勇气拿出手机打破这车厢里静静的沉默与忍耐。我真奇怪,正是上班上学的时间,大家一定都很着急,在手机早已普及的今天,上班和上学的人哪有几个没有手机呢? 可关键时刻怎么不用呢? 我手里的手机早已被我捏得大汗淋漓。

やっと電車が駅のホームに移って入り、ドアを下りた瞬間、私も周りの人もみんな携帯をパカッと開いて、耳に当てながら改札口へと急いだ。そこでは駅員がお辞儀をして謝りながら、みんなにせっせと小さな紙を渡していた。私もついにそれを受け取って見てみた。上のほうには日付が1日~15日、下のほうには16日~31日と書いてあり、左側には遅れた時間が5分刻みで5分~30分、右側には35分~60分、真ん中には「遅延証明書 本日あなたがご乗車の電車ははさみをいれたとおり遅延したことを証明いたし、深くお詫び申し上げます。署名:某駅駅長」と書かれている。もう一度よく見てみると、確かに16日のところと30分のところに二つの穴が開いている。
电车终于挪进了站,踏出车门的瞬间,周围的人们和我一样“叭”地都打开了手机,边讲边向检票口跑去。那里工作人员一边点头道歉,一边迅速地向大家手里发着一张小纸。我也顺便领了一张,打开一看。上边是日期1~15日,下边是16~31日。左边是误点时间5分钟一格,5分~30分,右边是35分~60分,中间写着电车误点证明。本日您乘坐的电车如缺口所示误点,特此证明,并深表歉意。署名 某某电车公司某站站长。再仔细一看,果真在16日和30分两处剪了两个缺口
f0056261_2138666.jpg

この時、みんなはすでに携帯をしまい、この小さい証明書を握ってそれぞれの勤務先へ急いで、向かっていった。私はなぜか急に「もし、今日と同じことが中国で起こったらどうなるだろう?」と考えた。今回の静かな遅延事件の中で、少し何かを悟ったような気がする。そして、中国でもいつか使えるかもしれないと思い、その小さい証明書を大事にしまう私であった。
这时大家早已收起了手机,攥着这张小纸急冲冲地奔向各自的工作岗位。我不知为什么突然想,如果今天这事发生在国内将会怎样?我似乎在这静静的误点中,略有点悟。把这张小条收好,也许哪天会在国内排上用场。



2002年5月4日
[PR]
by tubomim | 2007-07-07 20:40 | 2002年
小さな権力(小小的权力)
 日本で息子が小学校に上がる前に、まず中国に送り返し一年繰り上げて小学校に通わせた。ほどなく息子は中国の小学校が日本と違うのに気がついた。日本ではみなが順番でクラス委員長を務めるが、中国では先生が指名する。息子はうらやましそうに私たちに言った。「クラス委員長はいいなあ。授業中、ぼくたちはみな手を後ろに組んで座っていなくちゃならないし、やたらと動いたり、話したりしてもいけないんだ。でも、クラス委員長は座席を離れて他の子をチェックしたり、叱ったりすることができる。体操の時は、クラス委員長は毎日上で声をかけているけれど、他の子は毎日下で体操をするしかないんだ。クラスでクラス委員長だけが先生の事務室にいけるし…」等々。
  儿子在日本上小学之前,先送回国内提前上了一年小学。不久他就发现中国的小学和日本的不一样,日本是大家轮流当班长,而中国是老师指定作班长。他羡慕地告诉我们:“这个班长可好了!上课时,我们都得背手坐着,不能乱动,不能说话。但他可以下位子来检查别人,说别人。上操时,他每天都在上面喊,其他人就只能每天在下面做。全班只有他可以去老师的办公室”还有……等等。

 何日もたたないうちに、息子から電話がかかってきた。彼も委員になったのだ。英語委員だ。授業の後、クラスメートの宿題帳を集めて、英語の先生の事務室に届けることができるようになった。さらに数日たつと、息子はまた昇格した。今度は紀律委員になったのだ。話によれば、息子が胸につけているバッチは実に役に立つそうだ。以前は、放課後、みなが積み重なって遊ぶとき、息子は体が大きいので、いつも下で支える役をさせられた。しかし、今は息子がそのバッチをつけて歩いて行くと、皆は大急ぎで遊びをやめ、そのうえ息子に道を譲らなくてはならない。もし、誰かがいたずらをして紀律を破り、3回警告しても改めない場合、息子には先生に言いつける権限がある。息子は「いつもきちんとしていることができなくて、ぼくに絶対に先生に言わないでくれって頼む子だって本当にいるんだ」と言った。「その子はあんたをアメで買収しなかった?」と私は冗談を言った。
  没几天,儿子来电话了,他也当官了,是个英语小组长。课后收完同学的作业本,可以送到英语老师的办公室去了。再过几天儿子又升官了,这次当了纪律小组长。据说他胸前挂的那个小牌儿可管用呢!以前下课大家摞一起玩儿,因为他个子大总是让他垫底,现在他挂着那个小牌儿一走过去,大家就赶紧停下来,还得给他让道。要是谁淘气违反了纪律,警告3次还改不了,儿子就有权向老师反映。儿子说:“还真有小朋友老管不住自己,然后又求我千万别去告老师。”我开玩笑地说:“他没给你块糖,行行贿呀?”

 その後、息子はさらに何かの委員になり、まもなく副から正に昇格した……小さな権力が小さな欲望にともなって絶えず膨張していった。ある日、なんと彼は何かの小さい幹部についた。「毎日、教室の扇風機を、いつ付けて、いつ止めるか、ぼくだけが決められるし、ぼくだけが動かせるって先生が言ったよ。」私は尋ねた。「幹部って何をするの?」息子は考えもせずに答えた。「みんなを管理するに決まってるじゃないか。」
  之后儿子又当了个什么长,不久副的又变成正的……小小的权力伴随着小小的欲望在不断地膨胀。居然有一天他当了个什么小官,“老师说了,每天教室里的电扇什么时候开,什么时候关,只有我能决定,只有我才能动。”我问:“小干部是干什么的呀?”他不加思索地回答:“管人的呗!”

 なんと恐ろしい。急いで連れ戻して、役人風をすっかり払い落としてやらなくては。現在、息子はこちらの小学校のクラスで、毎日ごみを捨てる係に志願した。息子はこれを神聖な職務とみなして、おもしろがって、精を出して取り組んでいる。
  多吓人! 赶紧接回来好好给他抖落抖落官气。现在他在这边的小学班里,报名负责每天扔垃圾。他把这事当成一件神圣的职责,干得津津有味,特别卖劲。
2002年5月2日


[PR]
by tubomim | 2006-10-08 23:17 | 2002年
小象2002年夏休み日記の抜粋3(小象2002年暑假日记摘抄3)
2002年7月29日(月曜日)
 お父さんはいつも火曜日に「そーなんだ」という本を買ってくれます。この本はいろいろな知識を教えてくれて、僕のかていきょうしみたいです。僕がならってまた他の人におしえることもあります。だから火曜日が大好き。
7月29日(星期一)
  爸爸每星期二都给我买《そーなんだ(原来如此)》。这本书教给我很多知识,就象一位家庭教师,我学完后有时还去教别人。所以我特别喜欢星期二!

f0056261_748897.jpg

f0056261_23235175.jpg

しろらいほう様がまた小象の宝物を描いてくださいました。ありがとうございました。

これは親子で長年にわたって「製本」した「そーなんだ」です。漫画でかわる不思議な科学。
这是我们父子一起装订了多年的《原来如此》。通过漫画了解不可思议的科学。

2002年8月11日(日曜日)
 はじめてかぞく三人で、東京ドームへ巨人対広島の1軍の試合を見に行きました。すごく込んでいて、自由席ですけど、僕が立ち見する場所がないほど自由ではありませんでした。そこで、お父さんが僕を肩車してくれました。僕は太くてとても重いです、でも、お父さんの子供思いはもっとすごい力なのだなと思いました。
8月11日(星期日)
  一家三个人第一次去看巨人队和广岛队的棒球比赛。人特别的多, 连我站着看的地方都没有,自由席(不指定位子)一点也不自由,。爸爸把我驮在脖子上看球,我很重,但爸爸爱我的心更重。


2002年8月18日(日曜日)
 今日はパパ、ママと三人そろって北海道にきました。まずフラワーランドhttp://www.flower-land.co.jp/というところに行きました。風がとてもつよく、ほそいコスモスが風の中で楽しそうにダンスをしてむかえてくれました。ここから出てからも、また目の前で、コスモスがおどっている感じがしていました。とてもつよい風の中で、きれいなダンスを見せてくれた北海道のコスモスは忘れることが出来ませんでした。

8月18日(星期日)
  今天爸爸,妈妈和我三个人一起来到北海道。先到了花的乐园http://www.flower-land.co.jp/,风很大,细细的秋樱(大波斯菊)在风中欢快地跳着舞欢迎我们。从那里出来后很久她们好像还在我眼前跳呢。忘不了你,大风中为我们表演美丽舞蹈的北海道的秋樱。

f0056261_22235166.jpg

写真を提供していただいた伊藤さん、ありがとうございました!
小象(8岁)
[PR]
by tubomim | 2006-07-31 07:39 | 2002年
小象2002年夏休み日記の抜粋2(小象2002年暑假日记摘抄2)
2002年7月26日(金曜日)
 歯医者に行くとちゅうにあるおばあちゃんが「駅へはどういけばいいでしょうか」と僕にききました。「同じ方向なので、一緒にいきましょう」と言いました。駅についたら「案内してくれてありがとう」とおばあちゃんに何回も言われてうれしくて、人の役にたててよかったと思いました。すこし大人の気分になりました。
7月26日(星期五)
  去牙科医院的路上,一位老奶奶问我去车站怎么走。我说:“我也去车站方向,一起走吧”把她送到车站后,老奶奶感谢我好几次。能够给别人帮上忙,我心里特别高兴,好像跟大人一样的感觉。


2002年7月27日(土曜日)
 今日は今までに見たことのない急なさか道を登りました。汗をながしながら、登っていた僕あたまを上げてみると、上から降りてくる人はあたまをあげて、ぶらぶらしながら、とても楽そうに見えました。僕はきついですけど、上にむかっています。彼は楽ですけど、下にむかっています。どんなことでも同じですが、上に行くときこそ力がひつようだと僕は考えました。ちなみにこの坂道は聖マリアンナ病院のうらの方にあります。
7月27日(星期六)
  今天爬了一个从没见过的大斜坡。流着满头大汗的我,抬头一看,前面下坡的人扬着脸溜溜达达可真轻松。一边继续爬,我一边想,虽然我很累,可我是在向上的,他很轻松,可他是向下的。什么事情都是这样,向上时才需要努力。对了,这个大斜坡在圣マリアンナ病院(圣玛力安娜医院)的后面。


2002年7月28日(日曜日)
 夜ママと一緒にアルナ園のゆうすずみ会に行きました。僕はぼんおどりをずっとおどりました。自分だけが楽しむのではなくて、おじいちゃんやおばあちゃんもみんな拍手してくれました。僕はすでに3年れんぞくできています。
7月28日(星期日)
  晚上我和妈妈去了アルナ園(养老院)的纳凉大会。我一直在跳舞,不光自己高兴,老爷爷、老奶奶都高兴地为我们拍手。我已经连续参加3年了。

小象(8歳)
f0056261_15381451.jpg

アルナ園のゆうすずみ会に参加した5歳の小象
f0056261_22462012.jpg

白雷峰先生又为小象画像了,神态逼真!
[PR]
by tubomim | 2006-07-29 14:30 | 2002年
小象2002年夏休み日記の抜粋1(小象2002年暑假日记摘抄1)
 今週から小象がまた夏休みに入りました、4年前に小象が書いた夏休み日記の一部をここに載せさせていただきます。訳文の中国語は当時親子の共同作業です。       
  这周开始小象又放暑假了,把小象4年前写的一部分暑假日记摘抄在这里,中文译文是当时母子两人的共同合作。

2002年7月22日(月曜日)
 午後にドーナツのお店にいきました。今回僕はやっと10点のポイントをあつめて、よろこんで、カウンターまでいって、景品をもらいました。席にもどるとちゅうに、一人のお爺ちゃんがラッキーカードをくれようとしましたが、僕はことわりました。それは他の人のものをもらってはいけないし、自分の力でやらなければいけないと思ったからです。
 しかし、席に座った僕の気持ちはどうもおちつきません。先ほどのあのお爺ちゃんにさみしい気持ちをさせてしまったのではないかと思いました。いろいろかんがえて、悩んだ末に、僕は思い切って、相手の前にいって、「先ほどは、すみませんでした。ほかの人のものをもらってはいけないと思っていたからです。ご親切にありがとうございました。」とあやまりました。そのおかげで、心がすっきりしました。でも言い出すゆうきがわいてくるまで苦労しました。
7月22日(星期一)
  下午去吃了ドーナツ(唐钠滋), 这次我终于攒够幸运卡的10分了,就高高兴兴地去柜台领了奖品。回到坐位的途中,有位老爷爷要把他的幸运卡给我,可是我没要。因为我想不能要别人的东西,要靠自己的力量。
  可是,我坐下后,心里总是不痛快,因为我觉得刚才可能让那位老爷爷伤心了。想来想去最后我一下站起来,走到那位老爷爷前面,对他说:“刚才对不起!因为我觉得不应该拿别人的东西。但是我要谢谢您的好意”说出来后,心里真痛快!但好不容易才有了这个说出来的勇气。

7月22日(星期一)
  下午去吃了ドーナツ(唐鈉滋), 這次我終於攢夠幸運卡的10分了,就高高興興地去櫃檯領了獎品。回到坐位的途中,有位老爺爺要把他的幸運卡給我,可是我沒要。因為我想不能要別人的東西,要靠自己的力量。
  可是,我坐下後,心裏總是不痛快,因為我覺得剛才可能讓那位老爺爺傷心了。想來想去最後我一下站起來,走到那位老爺爺前面,對他說:“剛才對不起!因為我覺得不應該拿別人的東西。但是我要謝謝您的好意”說出來後,心裏真痛快!但好不容易才有了這個說出來的勇氣。

f0056261_7441511.gif

2002年7月25日(木曜日)
 今日スイミングスクールが終わって、みんながエレベーターに乗り、下へおりました。何人かの大きな子がはしゃいだせいかエレベーターはゆれました。そこで僕は「静かにしてください!」と言いました。それで、「しーん」とみんなが静かになりました。しかし自分より大きな彼らをみて、僕の心はどうも「ドキドキ・ドキドキ」して静かにはなれませんでした。やっとついて降りたら、あるお母さんが僕のあたまをなでて、「僕は何年生ですか」と聞きました。「2年生です」と答えたら「りっぱですね!」とほめてくれました。僕はほんとうにりっぱなのかと思いながら、リュックをもってサッサとうちへ走ってかえっていきました。
7月25日(星期四)
  今天游泳班下课后,大家坐电梯下楼,有几个大孩子在里面打闹,闹得电梯都摇晃了,我就大声说:“请安静点儿!” 结果一下全安静了。可是望着比我高大的他们几个,我心里“咚咚、咚咚”地安静不下来了。终于到了,下了电梯有位妈妈摸着我的头问我:“几年级的”,我说:“二年级的”她说:“你真棒!”我是真棒吗?背着包赶紧往家跑。。

7月25日(星期四)
  今天游泳班下課後,大家坐電梯下樓,有幾個大孩子在裏面打鬧,鬧得電梯都搖晃了,我就大聲說:“請安靜點兒!” 結果一下全安靜了。可是望著比我高大的他們幾個,我心裏“咚咚、咚咚”地安靜不下來了。終於到了,下了電梯有位媽媽摸著我的頭問我:“幾年級的”,我說:“二年級的”她說:“你真棒!”我是真棒嗎?背著包趕緊往家跑。

小象(8歳)
[PR]
by tubomim | 2006-07-27 07:25 | 2002年
秋をみつけた2  (发现秋天2)
f0056261_024435.jpg

4.見つけた日:2002年10月17日(水曜日)
  見つけたところ:学校の池
  見つけたもの:コスモス
  学校の池のちかくに、最近コスモスというきれいな花が咲いていました。僕はここで秋をみつけました。なぜなら、コスモスが秋のさくらともよばれているのを知っているからです。
4. 发现的日期∶10月17日(星期三)
   发现的地点∶小学的小池旁
   发现的东西∶コスモス(大波斯菊)
   小学的小池旁最近开了很多漂亮的“コスモス”,我在这里发现了秋天。因为我知道“コスモス”的汉字写“秋樱”。



5.見つけた日:2002年10月18日(木曜日)
  見つけたところ:玄関
  見つけたもの:ママの洋服
 けさ、ママが仕事ででかけたときに、僕はまだ起きていませんでした。夕方ママが帰ってきたときに、僕がドアをあけたら、もみじいろのセーターに茶色のスカートのママをみて、秋がかえってきたような感じがしました。
5. 发现的日期∶10月18日(星期四)
   发现的地点∶门口
发现的东西∶妈妈的衣服
早上妈妈去上班时,我还没起床。晚上妈妈下班时,我快跑去开门。打开门一看,妈妈穿着红叶色的毛衣和咖啡色的裙子。我觉得好像是秋天回来了。



6.見つけた日:2002年10月19日(金曜日)
  見つけたところ:うち
  見つけたもの:パパの手
 パパの仕事は水仕事です、最近パパの手が少しざらざらになってきました。僕はパパの手で秋のきびしさを感じました。パパはこのきびしさの中で、この大きな手で僕を暖かく育ててくれました。
6. 发现的日期∶10月19日(星期五)
   发现的地点∶我家
   发现的东西∶爸爸的手
  爸爸的工作是沾水的工作,爸爸的手最近有点粗粗糙糙,我在爸爸的手上感到了秋天的艰苦。爸爸就是在这样的艰苦中努力,用这双温暖的大手把我养大。



 僕はまだつづけて秋を見つけています。
  我还在不断地寻找和发现……
2002年10月20日
小象(8歳)
f0056261_10244068.gif

[PR]
by tubomim | 2002-10-22 00:09 | 2002年
一人の落ちこぼれも出してはならない(一个不能少)
 10月9日体育の日、健康、運動についての文章を少しUPさせていただきます。
  10月9日是日本的国民公休日「体育节」,在这里贴几篇关于健康、运动的文章。
 息子は頭が良く、勉強はよくできるが、体は鈍く、運動は特に苦手だ。小さい頃から、ブランコ、鉄棒、自転車、なわとびなど何一つできなかった。去年、自転車に乗る練習をしていて、4針縫うけがもしたが、結局乗れるようにはならなかった。
  儿子的脑子灵,学习好,可身体笨,运动特别不好。从小打秋千、上单杠、骑车、跳绳样样都学不会。去年为练骑车还去医院缝了4针,结果还是没学会。
f0056261_23565734.jpg

ハンドルを握るとこの緊張した顔になる、補助輪がついているのよ。
一捏手把就变成这幅紧张的小脸,其实自行车两边都带着扶助轮呢。

 今年はさらに煩わしい出来事があった。全校でクラスごとのなわとび大会が開催されたからだ。息子は一人でクラス全体の足を引っ張った。個人跳びは、前回しも後ろ回しもできない。集団跳びは、息子に順番が回ってくるたびにつかえてしまう。皆の意見で息子は縄を回す役になったが、残念なことに、息子は足が不器用なだけでなく、手も不器用だ。それから、息子はもっぱら声援を送る役をさせられることになった。これは息子が得意とするところだったが、先生は言った。「一人の落ちこぼれも出してはならない。」
  今年遇到了更大的麻烦,因为全校举行班级的跳绳比赛大会。他一个人拖了全班的后腿,单跳正反一个都过不去,集体跳只要轮到他就数不下去。大家出主意让他负责抡绳,可惜儿子不光脚笨,手也笨。又让他专管助威呐喊,这可是儿子的强项,但老师说:“一个也不能少”。

 そこで、学校では先生が息子の練習を指導し、放課後は友達と一緒に公園で練習した。私までが、とっくに固まってしまっている全身の筋骨を奮い起こして、息子と一緒に庭で練習した。なわとびの縄だけでも3本が練習によって切れたが、息子はやはり跳べるようにはならなかった。私はしかたなく「先生、どうしてもだめだったら、当日は風邪を引かせましょうか。」と連絡帳に書いた。しかし、息子は特に悲観せず、日記にこう書いた。「僕はまだ跳べないけれど、みんなが『小象君、跳んで!』と言うのを聞くと、体中に力が湧いて来る。いつかはわからないけれど、きっとみんなと一緒に跳べるようになる。」
  于是,在学校老师指导他练,下学后和小朋友们一起到公园去练,连我也抖落起一身早已僵硬的筋骨陪着儿子在院子里练,光跳绳就练断了3根,可儿子还是一个过不去。我无奈地在联系本上写道:“老师,实在不行,那天就让他感冒吧”。然而,儿子并不悲观,他在日记里是这样写的:“虽然我还不会跳,但我一听到大家喊:小象君,跳! 我就浑身来劲儿,哪一天我还不知道,但我一定会和大家一起跳。”

 大会の日がやって来た。息子はやはり跳べるようになっていなかったが、上機嫌で身支度をすると出かけて行った。さらに、出かける前に、必ず見に来るようにと私に言った。私は息子を慰めるつもりで出かけて行き、遠い場所に隠れて見ていた。息子のクラスの集団跳びの順番がやって来た。息子の前後に並んでいる友達は、息子と肩をたたき合ったり、握手をしたりしていた。息子に順番が回って来た。ふと見ると、後ろの友達がそっと彼を押し、みなが「小象、行って!」と叫んでいた。私は本能的に目をつぶった。絶対にその後に悲惨な場面がやって来るとわかっていたからだ。野球でホームランが出た時のような歓声がどっと沸き起こるのが聞こえた。まさか奇跡が起ったのだろうか。そんなはずはない。昨夜だって跳べなかったのに。ふと見ると、息子はすでに列に戻り、友達の後ろに並んで、興奮した様子で手を挙げ、私にOKのサインを送ってよこした。今度は、私は目を見開いて、じっと見た。そしてはっきりと見たのだ。息子は大胆に突き進んで行き、縄を跳ばずにうまく走り抜けて来た。同時に、私は隣のクラスの車椅子に乗った手足のなえた女の子が皆と一緒に列に並び、先生に車椅子を押されて突き進んで行くのを見た。校庭の内外、いたるところで拍手が起きた。これが「一人の落ちこぼれも出してはならない」ということなのだ。
  比赛的日子到了,儿子还是一个不会跳。但他兴高采烈地打扮好出发了,出门前还嘱咐我一定要去看。我就抱着准备安慰儿子的心情去了,躲在远远地看。轮到他们班的集体跳了,排在儿子前后的小朋友跟他又拍肩又握手,轮到儿子跳了,只见后面的小朋友轻轻地推了他一把,就听大家喊:“小象,上!”。我本能地闭上了眼,因为我知道那后面一定是惨不忍睹。我就听到象棒球打出了本垒打似的,爆发出了一片欢呼声。难道奇迹发生了?不可能,昨晚他还不会跳。只见儿子已经回到队里排在小朋友的后面,兴奋地向我举手示意OK。这次我瞪大了眼睛定睛看,看清楚了,儿子大胆地冲上去,并没跳,又顺利地冲出来了。同时我还看到隔壁那个班,有位坐在轮椅上手脚耷拉的小女孩和大家一起排队,由老师推着冲了过去,全场内外掌声四起。这就叫“一个不能少”。

 大会の後も、息子はみなと毎日なわとびの練習を続けた。ついにある日、息子は学校から帰ると、興奮した様子で連絡帳を取り出して私に見せた。そこには、「小象君、おめでとう。とうとう跳べるようになったね。」という先生の言葉があった。その夜、私たちは息子を十分に祝ってやった。その後、連絡帳に絶えず新しい記録が書かれていった。「1回、2回、3回…。前回し37回、後回し3回。」期末の保護者会で、このことを話すと、なんと他の子の保護者も皆知っていて、このことを喜んでいた。なぜなら、子供たちは学校から帰ってから、どうしたら私の息子が皆と一緒に跳べるようになるかをしょっちゅう両親と相談していたからだ。私は息子のなわとびについては、とっくに匙を投げていたのに、息子はみなの力で跳べるようになったのだ。
  比赛大会后,儿子继续和大家每天练跳绳。终于有一天儿子下学进门就兴奋地掏出联系本给我看。老师写到:“祝贺你,小象君!终于跳起来了!”这天晚上我们好好给儿子庆祝了一番。之后联系本上的记录不断更新, “1个、2个、3个……正跳37个,反跳3个”。期末家长会上,说起这事,原来别的小朋友的家长也都知道,都在为此高兴呢,因为他们的孩子回家后经常和家长商量,怎样才能让我儿子和大家一起跳。对跳绳我早已不抱希望的儿子是大家的力量让他跳起来了。

 日本人は団体活動を得意とし、集団精神を重んずると言われる。息子が通っていた日本の保育園や小学校の運動会には個人競技の種目が全くなく、集団競技の種目しかなかったことを思い出した。
  都说日本人擅长集体活动,讲究团队精神。我想起了儿子参加的日本保育园、小学的运动会就根本没有过个人比赛项目,只有集体项目。
2002年5月4日

[PR]
by tubomim | 2002-05-04 22:44 | 2002年
興部町の牛飼い1(兴部町的养牛人1)
 2002年に書いた北海道で仕事する時の記事をUPさせていただきます。
  贴一篇2002年到北海道工作时的文章。
f0056261_2351599.jpg
  
 今回の私の仕事は、中国国内のある乳業グループの管理職に随行して原料乳の品質管理の研修のために北海道の「興部町」に行くことだった。「興部町」という町名は、漢字に精通した中国人にとっては、決して分かりにくいものではないようである。きっと部落が栄えるという意味なのだろう。しかし、日本では、その意味だけでなく、その存在ですらほとんど知られていない。インターネットでさんざん検索して、ついに北海道東北部のオホーツク海に面した海岸にアイヌによって「興部町」と呼ばれたこの小さな町を見つけた。「河川がここで合流して茫々たる大海原に注ぎ込む」という意味である。
  这次我的工作是陪同国内某乳业集团的一位管理干部去北海道的“兴部町”研修原料乳的质量管理。“兴部町”对于精通汉字的中国人来讲,似乎并不费解,那一定是部落兴旺的意思吧。然而在日本,不仅是它的意思,就连它的存在也鲜为人知。网上检索了半天,终于在北海道的东北部鄂霍滋克海岸发现了这个被阿伊努人称之为“兴部町”日语读作:“おこっぺ”的小镇。意为河流在这里汇合注入了茫茫大海。

 私たち2人は北海道の札幌から2時間余り特急列車に乗り、さらにバスに乗り換えて2時間近くたってから、ようやく「興部町」に到着した。道中、ほとんど人を見かけなかった。ペンションに入り、荷物を下ろすと、自転車に乗ってまず海辺に行った。その後、町に行って一回りしても、人の姿を見かけなかった。人は皆どこへ行ってしまったのだろうか。
  我们2人从北海道的札幌坐了2个多小时的特快列车,又换乘了将近2个小时的汽车,终于到达了“兴部町”。一路上没看到几个人,住进小店,放下行囊,骑车先到海边,又到镇上转了一圈也没看见人影。人都到哪里去了呢?

  翌日、農協で、この周囲36,241ヘクタールの土地に居住する世帯はわずか2000戸にも満たず、人口も合計4000人前後にすぎないのだということを知った。前の年寄り世代は年老いて家におり、後の若い世代は農業をやめて、都会に行ってしまうので、「興部町」は見たところ「人手不足」のようだ。しかし、決して農家に後継人がいないわけではない。ここには、人の数よりずっと多い、総数12,400頭余りの牛が飼われており、牛を飼うためには、結局やはり牛飼いに頼らなければならないのだということを知っておくべきだ。
  第二天,在农协我们了解到,在这方圆36,241公顷的土地上,只住着不到2000户人家,总共4000来口人。上辈的年迈在家,下辈的弃农进城,所以,“兴部町”看起来似乎“丁不兴”,但农家也决非后继无人。要知道,这里的牛可远比人多,共有12,400多头,毕竟养牛还得靠养牛人。

 私たちが研修をした最初の農家であるF.W家には、子牛のようにがっしりとした体格の太った少年がいた。家族の中でたった一人の男の子で、名前をO.Kといい、今年わずか13歳だ。毎日夕方になると、歌いながら働き、時折指パッチを鳴らしながら、お尻を2、3回振る活発でかわいい彼の姿が牛舎で見られる。彼は牛に比べればはるかに小さいが、大きな牛でも従順になるほど上手に世話をすることができる。彼は明らかにもう一人前の養牛の達人になっていた。休息をとるとき、彼は親切にも真っ赤なイチゴを持ってきて、お客にご馳走してくれたり、彼の黒光りする小猫を抱えてきて、私たちに披露してくれたりした。彼はうつむいてお気に入りの小猫をなでていたかと思うと、頭を挙げて養牛のコツを伝授してくれた。将来、彼に家業を継がせるつもりなのかという問いに、「小さい頃からここで手伝いをさせてきたが、大きくなったらここにいたがるかどうかわからない」と彼の父親は答えた。夕日が木枠の窓から牛舎に射しこみ、その一抹の光の中で、O.Kはちょうど牛と仲睦まじく遊んでいる。
  我们研修的第一家农户F.W家就有个壮如牛犊的胖小子,家里的老小,唯一的男孩,名叫O.K,今年只有13岁。每天傍晚都会在牛舍看到他边唱边干,时不时打几个榧子,扭两下屁股的活泼可爱的身影。别看他长得远没有牛高,却能把个大老牛伺候得服服贴贴,显然已是一位养牛高手。休息时,他热情地递上鲜红的草莓请客人品尝,又抱来他那只黑亮的小猫让我们欣赏。他一会儿低下头抚摸那心爱的小猫,一会儿仰起脸传授他养牛的诀窍。问他父亲以后是否打算让他继承家业,爸爸说从小就让他在这里帮忙,但不知他长大是否会喜欢这里。夕阳透过木窗照进牛舍,那一抹光线里O.K正在和老牛亲昵。
f0056261_23434062.gif

[PR]
by tubomim | 2002-04-26 20:23 | 2002年