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カテゴリ:2000年( 16 )
僕の夢は(我的梦)
運動は苦手ですけど、夢は野球選手、今でも。。。
虽然不太会运动,但当棒球选手却是我的梦,现在也。。。
雖然不太會運動,但當棒球選手卻是我的夢,現在也。。。

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キャッチ!
来~吧!
來~吧!
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準備できたかい。
准备好了吗?
准備好了嗎?
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いくぞ!
接球!
接球!
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ビュ~
嗖~
嗖~
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いかが。
怎么样?
怎麼樣?
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たのしかった!
真好玩!
真好玩!

小象6岁
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by tubomim | 2006-11-01 20:32 | 2000年 | Comments(28)
子どもを留学させること2(送子留学2)
 「今日はいくつ赤い花をもらった」とか、「奨励券を何枚もらった」とか、「新しい友達が何人できた」とか、「国歌を初めから終わりまで歌えるようになった」とか、「朝の6時半には必ず目が覚める」とか、「学校の便所に跨ることができるようになった」とか。。。息子は毎日電話で私にいろいろと報告してくれて、息子のそういった一つ一つの小さな進歩が私にとって非常に大きな慰めになっているのである。数日前、息子が中国語で私にこう言った。「ぼくの頭や手がますます使いやすく、いや、賢く、器用になったんだよ。今日の宿題は簡単に終わったよ。その後、ぼくたちはマクドナルドに行って気持ちよく楽しんだよ!」と話し、息子の中国語自体も格好よく話せるようになった。
  孩子每天电话里都会向我汇报今天得了几个红花,挣了几张奖票,认识了哪位新朋友,国歌能从头唱到尾了,早上一到6:30包准就醒了,学校的蹲坑终于会上了……儿子的每一点进步对我都是莫大的安慰。前几天他用中国话告诉我:“我的脑子和手越来越灵了!不对!是灵巧啦!今天的作业轻轻松松地就完成了,之后我们就去麦当劳潇洒了一把!”连儿子的中文都潇洒起来了。

 反対に格好良くないのは私の方である。私が中国から日本に戻って来る時に、家の誰かが息子に「お母さんが行ったら寂しくないか?」と聞くと、息子は「お父さんはずっとお母さんの料理を食べていなっかたので、お父さんもお母さんに会いたがっているでしょう。」と言ったのである。このような息子に会いたくないと思うようにどうやってさせようというのであろうか?あの子が一人いなくなっただけなのに、部屋の中はがらんとして、心の中はさらに空虚に感じるのである。中秋の夜、私と夫が高台に座り、ぼんやりと月を眺めていた。私が何気なく「あの子は私たちと同じ月を見ているのかしら?」と聞くと、夫が「今年の中秋の名月はどうして明るくないんだ」とぶつぶつ言った。
  潇洒不起来的倒是我。我要从中国返回日本时,家里人问他:“妈妈走了,你想不想妈妈?”儿子说:“爸爸都好久没吃妈妈的料理了,爸爸也想妈妈了呀!”这儿子如何叫我不想他?只少了他一个,就觉得屋里空荡荡的,心里更是空荡荡的。中秋晚上我和老公坐在高台上呆呆地望着月亮。我傻傻地问:“儿子和咱们看的是一个月亮吗?”老公愤愤地说:“今年中秋的月亮怎么不亮呢?!”
 
 朝起きて時計を見ると、息子はすでに教室で後ろ手を組んでいる時間だ。太陽が山に隠れようという時にまた時計を見ると、息子はまだ同じ教室で後ろ手を組んでいるはず。ようやく授業を乗り切って、帰宅する時刻、日本時間の5時50分になると、ずっと我慢してきた私は矢も盾もたまらず電話を手にする。この数週間はずっとこのような感じであり、国際電話が安くなる時間帯の7時以降になるまで待ちきれない。カードにある番号を順々に押していく事さえも我慢することができない。短縮にしたい、直通にしたい、すぐに息子の声が聞きたい、いや、すぐに息子の傍に飛んで行きたい、なぜならあの子は私の身体、命の一部であり、別々にできない、手放せないというふうになるのである。
 これを見て、これから子供を帰国させて学校に行かせようとしているお父さん、お母さんは参考にしていただきたい。
  早晨起来一看表,儿子已在教室背上手了。太阳快要落山了再看表,儿子还在那里背着手呢!好不容易熬到他下课回家的钟点,日本时间5:50,我迫不及待地抓起了电话。这几个星期都是这样,我可等不到7:00以后的国际电话便宜时间带。我再也捺不住性子去挨个按卡上的那一串串号码。我要缩短,我要直通,我要马上听到儿子的声音。不!我要立刻飞到儿子的身边,因为他是我身体、生命的一部分,分不开、放不下。
  以上,谨供欲送孩子回国上学的爸爸、妈妈参考。

2000年10月6日
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by tubomim | 2006-10-06 19:18 | 2000年 | Comments(35)
子どもを留学させること1(送子留学1)
 すみません、ちょうど6年前に書いたものです。
 
 夏休みに家族で帰国するための航空チケットはすでに買っており、出発の時を待つだけのある日の朝,私は突然、満6歳になったばかりの息子をなぜ来年4月の小学校入学の前に中国の小学校に通わせないのかということに思い至ったのである。
 帰国後、我々は息子を連れてあちこちの小学校を探したのだが、私の母の家から最も近い海淀区の重点小学校は条件が高く感じて、しつけが厳しいのではないかと心配したのである。それからも次々に3、4か所の小学校を見つけたが、比較して決めかねている時、周囲の人が言った.
他の人はそれなりの費用を負担して外から内に向かって集まってくるというのに、あなたたちのようによい学校が近くにあるにもかかわらずどうにかして外の方に潜り込もうとする人は見たことがないということである。
  暑期一家人回国的机票都已买好。在等待出发的一天早晨,我突然想到为什么不让刚满6岁的儿子在等待明年4月上小学之前,先在中国上一段小学呢?
  于是,回去后我们就领上儿子到处找学校。离我妈妈家最近的是一所海淀区重点小学,觉得要价太高,担心管得太严。陆续又找了3~4所小学,正在左右权衡,举棋不定之时,周围人说话了,别人花多少钱都要从外面往里挤,没见过象你们这样守着好学校却想着办法要往外钻的!


 それには訳があるのである。学校が始まる数日前に我々はやっと入学手続きを終えることができた。その学校は案の定人気絶頂であり、一年生のクラスが11組、1クラス50人近くの生徒がいたのである。保護者会で聞いてその理由がわかったのだが、一年生で習うのは2200の漢字、100以内の足し算と引き算、比較、統計等の実用数学などで、火曜日を除いて毎日6こま、国語が2こま、数学が2こま、英語が1こま、その他は補助授業で、授業が終わった後は毎日、書く宿題の他に古体詩を一つ暗記する必要があったのである。
  就这样,在开学的前两天,我们终于办好了入学手续。该校果真人气绝顶,仅一年级就11个班,每班近50人。家长会上说得明白,一年要学习2200个汉字,学会100以内的加减法,比较、统计等实用数学。除周二以外每天6节课,二节语文,一节数学,一节英语,其他是副课。每日放学后,除要写的作业外还要背会一首古诗。

 授業で行う内容について基本的には息子は理解することができたのだが、息子は書くことができない。息子は漢字を書いたことがなく、一日目の宿題は十字リーダー罫入りのノートに自分の名前を1ページ分書くことであった。息子はやたらに塗ったり書いたりするし、そこをあやしたり叱ったりして続けさせながら、名前をつける時にどうして今日のような日があることに思い至らなかったのかと一家そろって後悔しつつ、2時間かけてやっと最初の宿題を完成させたのである。私が日本に戻った後は、夕食前に私の母が息子に付き添い教科書の本文を写し、新出の漢字を書き、その後は私の父が交代して息子の計算の手伝いをし、母はその間に夕食を作るのである。夕食後は、電話コードを抜いて、テレビを消してから老夫婦につき従い一緒に古体詩を暗記する。家にいるみんなの苦労は口に出すまでもないであろう。数日前、母は息子を迎えに行った時に勇気を奮い起こし先生に「この子はついていけますか?」と聞いたのである。先生は「この子は本当に頑張っているのよ。」と言い、その一言で母は泣きながら校門まで行ったのである。
  课堂的内容儿子基本都能弄明白,就是不会写。从未写过汉字的他,第一天的作业就是在田格本上写一页自己的名字。涂涂写写,连哄带骂,全家都后悔当初取名时怎么就没想到会有今天!终于2小时后,完成了儿子的第一篇作业。我回日本后,晚饭前是我妈妈陪儿子抄课文、写生字,之后倒班由我爸爸帮他做计算,我妈妈利用这段时间去做晚饭。晚饭后拔下电话,关掉电视,老两口跟着一起背古诗。其中一家老少的艰辛自不必谈,前两天接孩子时,我妈妈终于壮起胆子问了老师一声:“这孩子能跟上吗?”“这可是个好孩子。”老师一句话竟把我妈妈的泪水撒到了校门前。

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by tubomim | 2006-10-05 21:02 | 2000年 | Comments(33)
根性2(根性2)
 実は、そのバラは庭の入口のタブロイド新聞のページ片面よりも小さな池の土の中に生えていて、周囲を硬い塀と道に囲まれていた。私はまず小さなシャベルで土をすくい取った。力をいれて抜こうとしたが、ゆすることができるだけで、動かすことはできない。今度は、鉄製の熊手を探してきたが、結局バラの根のおかげで熊手の柄が抜けてしまった。次に私はクワを振るった。クワを振り下ろすたびに強靭さと残酷さを体で感じた。不屈の根のせいで私は二回ほど手を止めてもとあった場所へ土を戻し、手の下しようのない枝のせいで私はまた掘りはじめることになった。息も絶え絶えなバラのおかげで、私は抜きたくても抜くことができず、やめようとしてもやめられなくなってしまった。私は心の中でバラと相談した。死んだにしろ、生きているにしろ、いずれにせよ、私は掘り出した後、あなたを庭の塀の周囲に供養するから、ただ場所だけは譲ってもらえないかと。そこで次に私は大型のシャベルを運んできて、まず周囲の細くて小さな根を断ち切ってから、片足でふんばって残らず取り除こうとした。しかし、二本の小指ほどの太さの根がどうしても寸歩も譲らないのだ。どちらが強情か見てごらん。バリバリと音を立てて折れたのはなんと鉄製のシャベルの取手のほうだった。
  其实,她就生长在院门口一块比小报单开版面还小的池子的土里,周围是坚硬的墙和路。我先用小铲铲去土,用力拔可只摇不动。我又找来铁耙子,结果根部竟让铁耙子脱了柄。我又挥舞锄头,每一锄都体味着坚韧与残忍。不屈的根使我两次住手并往回培土,无奈的枝又两次让我刨开。半死不活的她,让我欲拔不能,欲罢又不甘心。我心里和她商量,不管是死是活刨出来后我都会把她供养在院墙周围,只是请她挪个地方。于是我又搬来铁锨先铲断周围细小的根,然后踏上一只脚准备连窝端,可下面那两根小手指粗细的根就是寸步不让。看谁倔得过谁!嘎叭,断了的竟是铁锨把。

 私はゆっくりとしゃがみこみ、その根のことをじっくりと考えて、思わず感心してため息をついた。「なかなか根性があるね!」
  我慢慢蹲下细细琢磨这个根,不由地用日文感叹道:“なかなか根性があるね!(还真有根性呀!)”

  ……ああそうだったのか。「根性」という言葉はここから生まれたのか。日本語の「根性」というのは「くせ、性質」以外にもっと「気骨、ファイト、気力」を強調している。バラがもう無用だなんて誰が言ったのだろう。バラは、最後の生命力を使って私に「根性」とは何かを教えてくれたのだ。「根性」によってバラはついに2000年に足を踏み出した。「根性」によってバラは今でも入口のところに微動もせずしっかりと立っている。それだけでなく、「根性」によってバラは起死回生を成し遂げるかもしれない。なぜなら、今日私は雪解けの水の中につかっている枯れた根の上に赤紫色の粟粒ほどのつぼみか芽が突き出ているのを見つけたからだ。それは疑いなく生命であり、希望である。
  ……原来如此,“根性”两字由此而来!日文中“根性”一词中,除了“脾气、秉性”外还更强调了“骨气、斗志、毅力”。谁说她已无用?她用最后的生命教给了我什么叫“根性”!“根性”使她终于进入了二○○○年,“根性”使她至今在门口岿然不动,“根性”还可能使她起死回生。因为今天我发现浸泡在雪水里的枯根上拱出了一个紫红色的小米大小的苞还是芽?无疑是生命!是希望!
2000年1月12日

これは今年の「根性」です。花は大きくありませんが、でも毎年ちゃんと咲いてくれます。
这是今年的“根性”,花不大,但每年都开。
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by tubomim | 2006-09-24 20:36 | 2000年 | Comments(29)
根性1(根性1)
 前回の「グルグル写真」が成功してから教えて下さったenen-fu先生のところへお礼のコメントを入れました。ついでに「これから何か面白いものがあれば、ぜひ教えてね。」と書いたら、ブログの背景音楽のことを教えていただきました。前回の経験もあるので、今回は恐怖心が好奇心に変わり、あの「わけの分からないもの」までは一気にできました。しかしこれを自分のブログに着床させるまでは大変でした。昨日の産声が聞こえるまでの三日間、裏の「メモ帳」にもぐってどれほどの時間を費やして、四苦八苦したのか、昨日のあの産声が初めて聞こえたときに本当に目元が熱くなりました。この子はまだ完全に私の話を素直に聞いてもらえませんが、難産中に2000年に自分が書いた下記の文章が何度か頭に浮かんできました。  上次那个魔方照片成功之后,我就去教会我的enen-fu老师那里留言致谢。顺便写上“以后有什么有意思的玩意,可一定要教给我呀。”结果她马上就教给了我博客的背景音乐。由于有了上次的经验,这次恐惧心理已经变为好奇心,那堆「莫名其妙」的东西一下就咕捣好了。可是为了让它在我的博客着床,可是费了好大力气。到昨天为止的三天里,我钻到背后的「记事本」那里不知费了多少时间,可谓千辛万苦。当昨天初次听到它产后第一声时,我真的有点热泪盈眶了。目前这孩子还不能完全按我说的去作,但在难产过程中,我的脑海里多次浮现出2000年自己写的下面这篇文章。
根性

 子どもを身ごもっていたその年、気分が特別によかったので、四季咲きバラを何本か買って、庭の塀の周りに植えた。バラは色とりどりに、競い合って咲いた。特に、入口に植えたバラは、枝も葉もよく茂り、花もとりわけよく咲いて、とても美しく外観を飾った。去年の春は、一息に40~50輪もの花をつけ、塀の外まで溢れるように咲いた。溢れ出した春景色が道を行く人をうっとりとさせた。
 怀孩子那年心情特别好,买了几棵四季玫瑰栽培在院墙周围,五颜六色,争相开放。特别是门口那棵枝繁叶茂花更美,很是壮了门面。去年春天她一气绽开40~50朵,涌出墙外,关不住的春色陶醉了多少过路行人。

 しかし、その後、すっかり生命力を失ったかのように、だんだんと枝は枯れ、葉は落ちて、花も咲かなくなった。そこで、私は剪定を施し、水や肥料を与えた。晩秋になると、枝はすでに根に近いところまで切りつめ、葉もとっくにこれ以上切れないほど切ってしまっていた。年末に庭を整理していて、入口まで片付けた時、そのバラがもはや外観を飾ることができないばかりか、外観を損なっていると思えてきた。けっこう時間をかけてきたが、見たところ起死回生はむずかしいようだし、これまでの苦労や功績があるとはいえ、もう役に立たないならば、場所を譲ってもらうしかないと私は思った。そこで、残念に思いながらバラを抜く一方で、新年には庭の木のどれを選抜して、この重要なポジションに昇進させようか、それとも花屋の別の木にきてもらって、我が家の外観を飾ろうかと思案していた。
  但那之后似乎大伤了元气,渐渐枝枯叶落花也不再开。我于是修枝剪叶,浇水施肥,到了秋末,枝已修得快到了根部,叶已早就无可再剪。年底收拾院子,收拾到门口,觉得她不仅壮不了门面,还有碍观瞻。我想这么久了看来是难以起死回生。虽说她劳苦功高,可不再发挥作用也就只有让位了。于是一边怀着惋惜的心情往外拔她,一边寻思着新年提拔院内哪一棵到这个重要岗位或到花店另去招贤(仙)来装点我的门面。
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by tubomim | 2006-09-23 09:36 | 2000年 | Comments(20)
朝の鍛錬2(晨练2)
 しかし、彼らの朝の日課は、夏に帰省した私たち家族のせいで乱されてしまった。彼らは公園へ行くことができなくなり、朝から晩まで子どもと孫のことでかかりきりになってしまった。ある早朝、「速く一緒にベランダに来て下を見てごらん」という母の声で目が覚めた。「あんたは目が良いから、下の橋の上にいるのがおとうさんかどうか見ておくれ。」高層住宅から母が指差す方向を見ると、父がまさに第3環状道路の立体交差橋前を横切る歩道橋の上に直立し、ぐんぐんと押し寄せてくる車の流れに向かい、感情を高ぶらせて指揮をしているのを見つけた。そのようすは「黄河行進曲」を指揮しているように堂々として壮観であった。
  然而,他们的晨规被暑期回去的我们一家子打乱了。他们再也去不了公园,而是从早到晚围着儿孙转。一天清晨,老妈叫醒我快跟她到凉台往下看。“你眼睛好,看看下面桥上那个是不是你爸?”顺着妈妈的手指从塔楼望去,我发现老爸挺立在横跨于三环立交桥前的过街桥上,面对着立交桥上涌来的滚滚车流正激昂地指挥着,那气势如同指挥着“黄河进行曲”般磅礴、壮观。
  然而,他們的晨規被暑期回去的我們一家子打亂了。他們再也去不了公園,而是從早到晚圍著兒孫轉。一天清晨,老媽叫醒我快跟她到涼臺往下看。“你眼睛好,看看下面橋上那個是不是你爸?”順著媽媽的手指從塔樓望去,我發現老爸挺立在橫跨於三環立交橋前的過街橋上,面對著立交橋上湧來的滾滾車流正激昂地指揮著,那氣勢如同指揮著“黃河進行曲”般磅礴、壯觀。

 しかし、私がまだ尽きせぬ感慨に浸っている時、「ピンーポンー」と志気を奮い立たせた父はもう熱々の揚げパンと豆乳を持って入ってきて、「朝飯にしよう」と皆に声をかけていた。朝の鍛錬に数日行かなかった母は、夕食後こらえきれずに太極剣、双扇、単圏を取り出して、子どもや孫の前で武術の動作を演じはじめた。その身振りの一つ一つが見事で、満面の笑顔にはかつてなかったきらめきが溢れていた。そばで見ている息子もついに道具をもって近づき、私は急いでカメラをとってきて、この世代を超えたものたちが共に舞う瞬間をレンズに納めた。
  然而,当我还沉浸在无限感慨之时,“乒—砰—”精神抖擞的老爸已端着热气腾腾的油饼、豆浆进来招呼大家吃早饭了。几天不去晨练的老妈,晚饭后忍不住拿出她的太极剑、双扇和单圈在儿孙前比试开了。那一招一式赏心悦目,那满脸的笑容露出了未曾有过的灿烂。看得小儿子也抄起家伙凑了上去,我赶紧抓来照相机留下这隔代人共舞的瞬间。
  然而,當我還沉浸在無限感慨之時,“乒—砰—”精神抖擻的老爸已端著熱氣騰騰的油餅、豆漿進來招呼大家吃早飯了。幾天不去晨練的老媽,晚飯後忍不住拿出她的太極劍、雙扇和單圈在兒孫前比試開了。那一招一式賞心悅目,那滿臉的笑容露出了未曾有過的燦爛。看得小兒子也抄起傢伙湊了上去,我趕緊抓來照相機留下這隔代人共舞的瞬間。

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2000年9月15日(敬老の日)
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by tubomim | 2006-07-08 23:33 | 2000年 | Comments(30)
朝の鍛錬1(晨练1)
 中国では多くの老人たちに朝公園に行って体を鍛錬する習慣がある。生涯大学で教鞭をとってきた私の父と母も今では老人の仲間入りをして、早朝から公園に向かう。両親は多分散歩に行くのだろう。そうでなくても太極拳くらいがせいぜいだと、私は思っていた。しかしよく聞いてみると、そうではなかった。
  国内有很多老人都有早晨到公园锻炼身体的习惯。我那在大学教了一辈子书的老爸、老妈如今也跨入了老年人的队伍,清晨走向了公园。我想他们大概是去散步,最多打打太极拳,细一问其实不然。
  國內有很多老人都有早晨到公園鍛煉身體的習慣。我那在大學教了一輩子書的老爸、老媽如今也跨入了老年人的隊伍,清晨走向了公園。我想他們大概是去散步,最多打打太極拳,細一問其實不然。

 なんと父は十数年前からわが家の裏の紫竹院という名の公園にデビューした。しかし、父は皆の仲間には入らず、一人で鍛錬していた。毎朝、自転車を公園の入口で鎖で結びつけると、月ぎめの入場券を見せて公園に入る。イヤホーンを耳に押し込むと、さながら無人の別天地に足を踏み入れたかのようだ。ふと見ると、軽やかにウォークマンから流れるリズムに合わせてステップを踏み、湖のほとりの柳の木陰の間に消えていく。湖のほとりを一回りして戻って来ると、長い間父専用となっているあの青いベンチ石の上に腰を下ろす。一時休むと、湖の中心に向かって両眼を閉じ、こころゆくまで、ウォークマンの音楽に合わせて指揮をする。「モスクワ郊外の夜」、「サンタルチア」、「エーデルワイス」、「舟歌」など父のお気に入りの古い歌が父の指先から朝の中に広がっていく。指揮を終えた父は、朝の洗面を終えた後のようにすがすがしく、元気に見える。
  原来老爸十几年前就在我家后面的紫竹院公园登场了,但他没入伙是在单练。每早将自行车往公园门口一锁,展示月票进园,耳机一塞就如进入了无人仙境一般。只见轻快的舞步踩着“随身听”的步点,消失在湖边的柳荫行间。湖边一周转回来,坐落在那块他常年专属的青石板上。稍息片刻,便对着湖心闭上双眼,尽情地为他的“随身听”指挥。“莫斯科郊外的夜晚”、“桑塔露琪亚”、“雪绒花”、“星星索”……这些他心爱的老歌都随着他的指端挥撒到晨间。指挥完毕再看老爸,就如同早晨盥漱后那么清爽,那么精神。
  原來老爸十幾年前就在我家後面的紫竹院http://www.51766.com/img/zzygy/公園登場了,但他沒入夥是在單練。每早將自行車往公園門口一鎖,展示月票進園,耳機一塞就如進入了無人仙境一般。只見輕快的舞步踩著“隨身聽”的步點,消失在湖邊的柳蔭行間。湖邊一周轉回來,坐落在那塊他常年專屬的青石板上。稍息片刻,便對著湖心閉上雙眼,盡情地為他的“隨身聽”指揮。“莫斯科郊外的夜晚”、“桑塔露琪亞”、“雪絨花”、“星星索”……這些他心愛的老歌都隨著他的指端揮撒到晨間。指揮完畢再看老爸,就如同早晨盥漱後那麼清爽,那麼精神。
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 毎日毎日、そして毎年毎年、十数年の時間をかけて、父は自分と青いベンチ石をあの湖のほとりの風景にまで築き上げたのだ。私は父に尋ねた。「誰か見ている人はいるの?」、「私はいっさいほかの人を見ない。」と父は答えた。私は母に尋ねた。「どうして一緒に行かないの?」「だって恥ずかしいもの。」と母は答えた。
  据说日复一日,年复一年十几年来老爸已把他和青石板修炼得成了那湖边的一道风景。我问他:“有人看您吗?”他答:“我从来不看人。”我问妈:“您为什么不一起去呢?”妈说:“不好意思。”
  據說日復一日,年復一年十幾年來老爸已把他和青石板修煉得成了那湖邊的一道風景。我問他:“有人看您嗎?”他答:“我從來不看人。”我問媽:“您為什麼不一起去呢?”媽說:“不好意思。”
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 その「恥ずかしい」と言っていた母も、最近は、もう家でただ待っているのはやめて、公園に行くようになった。母が行くのはわが家の前の玉淵潭公園であるhttp://www.51766.com/img/yyt/。母は行くだけでなく、みんなの仲間に入ってグループで鍛錬を始めた。そればかりか、母は父よりも精彩を放っていた。「窓を開けて月を眺める」、「皇太子が思いを述べる」、「はにかむつぼみ」、「水に顔を映す鷺」など、曲名を聞くだけでうっとりとして、私にはあれこれの思いが浮かんでくる。ああ、母はあの美しくて感動的な「木蘭拳」に夢中になってしまったのだ。
  就是这个“不好意思”的老妈,最近也不再在家干等老爸,她也上公园去登场了。她去的是我家前面的玉渊潭公园http://www.51766.com/img/yyt/。她不光登场还参加了群练,而且比老爸练得更精彩。“推窗望月”、“太子抒怀”、“含苞羞蕾”、“鹭鸶探水”……光听这些名字就让我心旷神怡,浮想联翩。啊!老妈迷上了多么优美、动人的“木兰拳”!
  就是这个“不好意思”的老妈,最近也不再在家干等老爸,她也上公园去登场了。她去的是我家前面的玉渊潭公园http://www.51766.com/img/yyt/。她不光登场还参加了群练,而且比老爸练得更精彩。“推窗望月”、“太子抒怀”、“含苞羞蕾”、“鹭鸶探水”……光听这些名字就让我心旷神怡,浮想联翩。啊!老妈迷上了多么优美、动人的“木兰拳”!

 こうして、毎日早朝、一人はウォークマンを、一人は太極剣を手に下げて、一人は芸術のために、一人は武芸のために、それぞれの舞台へと駈け参じていく。教壇を去った足がなんと湖畔で舞い、教鞭を放した手が名刀を握ろうとは、私にはどうにも予想できなかったことだ。その昔、私が中国を後にした時、両親は50歳前後で、一日中忙しく、今のような余裕など今まで見たことがなかった。今や、還暦も過ぎてスタート地点に戻り、だんだんと若返ったとでもいうのだろうか。子供である私のところに巡ってきたこの幸せは何時ごろに修行した果報であろう。
  就这样,每日清晨,一个挎上“随身听”,一个提上太极剑,一文一武就奔各自的舞台去了。我怎么也没想到离开了讲台的脚竟飞舞在湖畔,放下了教鞭的手会提起了宝剑!当年我出国时他们50岁前后,终日忙忙碌碌,从未见过象现在这么潇洒。而今难道真是年过花甲,周而复始,越活越年轻了?这是作晚辈的我何时修来的福分?
  就這樣,每日清晨,一個挎上“隨身聽”,一個提上太極劍,一文一武就奔各自的舞臺去了。我怎麼也沒想到離開了講臺的腳竟飛舞在湖畔,放下了教鞭的手會提起了寶劍!當年我出國時他們50歲前後,終日忙忙碌碌,從未見過象現在這麼瀟灑。而今難道真是年過花甲,周而復始,越活越年輕了?這是作晚輩的我何時修來的福分?
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by tubomim | 2006-07-06 23:10 | 2000年 | Comments(39)
帰省2(回家2)
 そのときの帰省のおり、叔母からの特別な贈り物として、観光バスに乗って北京の町並みを見物させてもらった。「生粋の北京っ子」である私は外国人たちと一緒に新しい北京を見た。長安街の両側に新しく建設された広場やビルは本当に目を見張るばかりに立派だ。しかし、たとえそれを何回となく見て、感心したとしても、やはり懐かしさを打ち消すことはできなかった。新しく建設された平安大道では、昔ながらの青いレンガ、灰色の瓦、赤い門の町並みが再現されていた。しかし、どうしてもそれらには歴史の塵埃や文化の内包が欠けているように感じられた。あ~……それらを再現できないのが残念。
  那次回去,小姨特意送我一件礼物,就是乘车游览北京市容。让我这个“老北京”和老外们一起看看新北京。长安街两侧新建的广场、大厦,令人刮目相看,可纵然看它千百遍,赞叹也敌不过眷恋。新开辟的平安大道,虽也修复成青砖灰瓦红宅门,但总觉得它缺少历史的灰尘、文化的内涵……无法修复的遗憾。
  那次回去,小姨特意送我一件禮物,就是乘車遊覽北京市容。讓我這個“老北京”和老外們一起看看新北京。長安街兩側新建的廣場、大廈,令人刮目相看,可縱然看它千百遍,讚歎也敵不過眷戀。新開闢的平安大道,雖也修復成青磚灰瓦紅宅門,但總覺得它缺少歷史的灰塵、文化的內涵……無法修復的遺憾。

 今、胡同は大通りに変わり、四合院は取り壊されようとしている。もうあの部屋の扉をたたいても、応える人はいなくなったのだ。私は本当に家に帰った気分を感じることができない。「旧正月の夕べ」で歌われる「たびたび家に帰ってみよう」という歌は、家があっても帰れないものにとってはやりきれないものだ。しかし、帰る家のないものにはもっとやりきれないのだ。
  如今,胡同变大街了,四合院要拆了,再敲那屋门也不会有人应了。我真的找不到回家的感觉。春节晚会上一曲《常回家看看》,唱得有家回不去的人心里不是滋味,但没有家可回的人就更不是个滋味。
  如今,胡同變大街了,四合院要拆了,再敲那屋門也不會有人應了。我真的找不到回家的感覺。春節晚會上一曲《常回家看看》,唱得有家回不去的人心裏不是滋味,但沒有家可回的人就更不是個滋味。
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2000年12月28日帰省した時、ちょうど我が家は取り壊されている最中でした。
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2000年12月28日回家时,正赶上我家被「拆」。
2000年3月2日
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by tubomim | 2006-07-05 21:49 | 2000年 | Comments(28)
帰省1(回家1)
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我が家が何代も住んできた四合院
我家几代人住过的四合院 
 
 私の家は北京の西城にある。それは、市内ではあまり見られない有名な斜めに伸びている通りである。向かいの霊境胡同(横丁)を通り抜けると、中南海の西門に出る。四合院は、東西の2つの中庭とまわりの8つの横庭から構成される。以前は、中庭には花の香りや鳥のさえずりが満ち、数戸の世帯が、仲睦まじく、なごやかに暮らしていた。後に、20数戸の世帯で、百人を越える寄り合い住宅に発展しても、引っ越して来るものばかりで出て行くものはいなかった。みながそこに愛着を感じるようになったのだ。私の家族も何世代にもわたってその胡同の四合院で成長した。往年、私はほかでもなく四合院から日本に飛び込んだので、その四合院だけが私の家であると思い定めていた。当然、帰省とは、あの大小さまざまな胡同を通り抜け、四合院に足を踏み入れ、石段をのぼり、そっと部屋の戸を開けて、誰かを呼んで、応えてくれた時、はじめて帰省したと言えるのだ。
  我的家在北京西城,那是一条京城为数不多的著名斜街,穿过对面的灵境胡同,就到了中南海的西门。四合院由东、西两院和八个跨院构成。以前院内花香鸟鸣,几户人家,和和睦睦,乐乐融融。就是后来演变成了二十几户人家,一百多口人的大杂院,也只见搬进不见迁出,人们都在那里住出了感情。我家几代人都是在那个胡同的四合院里长大。当年我就是从四合院出来闯东瀛的,故也就认定了,只有那里才是我的家。回家当然也就只有穿过那大大小小的胡同,跨进四合院,蹿上台阶,轻轻推开屋门,叫了有人应,那才叫回到了家。
  我的家在北京西城,那是一條京城為數不多的著名斜街,穿過對面的靈境胡同,就到了中南海的西門。四合院由東、西兩院和八個跨院構成。以前院內花香鳥鳴,幾戶人家,和和睦睦,樂樂融融。就是後來演變成了二十幾戶人家,一百多口人的大雜院,也只見搬進不見遷出,人們都在那裏住出了感情。我家幾代人都是在那個胡同的四合院裏長大。當年我就是從四合院出來闖東瀛的,故也就認定了,只有那裏才是我的家。回家當然也就只有穿過那大大小小的胡同,跨進四合院,躥上臺階,輕輕推開屋門,叫了有人應,那才叫回到了家。

 一昨年の冬、わが家の戸籍簿の最終ページに記載された私の母方の祖母が人生の大半を過ごした四合院で93歳の高齢で亡くなったので、私は喪に駆けつけた。通りぬけた胡同の塀のいたるところに丸で囲んだ大きな「取り壊し」の文字が付けられ、一面にもの寂しさが満ちていた。正面の入口で出会った年を老いた隣人たちは大げさに言った。「あのご老人は幸せものだよ!壊される前に、ひっそりと逝ってしまって。それにひきかえ私たちは死ぬ前になっても先祖の代から住み慣れたところからまた引っ越ししなけりゃならない。」
  前年冬天,我家户口本上的最后一页我姥姥以93岁的高龄离开了她住了大半辈子的四合院仙去,我赶回去赴丧。穿过的胡同墙上都圈着大大的拆字,好一片凄凉。大门口遇到的老街坊们都夸:“看老人家多有福气!赶在他们拆之前,人家静静地走了,不像咱们临死还非得挪个窝。”
  前年冬天,我家戶口本上的最後一頁我姥姥以93歲的高齡離開了她住了大半輩子的四合院仙去,我趕回去赴喪。穿過的胡同牆上都圈著大大的拆字,好一片淒涼。大門口遇到的老街坊們都誇:“看老人家多有福氣!趕在他們拆之前,人家靜靜地走了,不像咱們臨死還非得挪個窩。”
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胡同の塀に書いてある「取り壊し」
胡同墙上的「拆」
 
 昨年の秋たけなわの頃、私はまた北京に帰った。四合院にもう私の家はないということはわかっていたが、私はやはりそこへ駆けつけた。ばらばらに取り壊された胡同を抜けると、廃墟の中に私たちのあの寄り合い住宅が残っているのが遠くから見えた。しかし、私はもはや足を踏み入れることができなかった。私の心がどんなに沈んでいるかを足は物語っていた。私は正面の入口のところで、長いこと黙って立っていた。別れに際して、カメラを持ち上げて、「私の家」の最後の記念撮影をしようとしたその瞬間、「それは……」という声が聞こえた。東の建物に住む鐘ばあさんが遠くで私の幼い頃の呼び名を呼んでいたのだ。私は急いで走って行った。おばあさんはわなわなと震える手で私をつかんだ。周囲の取り壊された塀や壁を見渡すおばあさんの顔は途方にくれ、やりきれなさに満ちていた。口に出せない、語り尽くせぬ思いがそのうごめく口の中にあるようだった。最後におばあさんは言った。「年が明けたら、私たちもみんな出て行かなければならないんだよ。あの古い木は残って、ここでの出来事を話してくれるよ。」彼女は西の中庭に生えている、私たちが幼い頃にはもう2-3人の小さな子どもでは抱えることができないほど太かったあの高くそびえる大木を眺めていた。その眼差しには、この首都に住む庶民が胡同や四合院に対して抱く尽きせぬ思いが満ちていた。
  去年深秋,我再回北京,虽知四合院里已没有了我的家,可我还是奔那里去了。穿过了拆得零零散散的胡同,老远就看到了废墟中残留着的我们那一片大院。可我再也跨不进去,脚代表我的心有多么沉重。我在大门口默默了许久,临别举起相机,要为“我的家”作最后留影的那一霎那,只听 “那不是……”原来是东屋的钟奶奶老远地呼着我的小名,我忙跑上去。她用颤巍巍的手抓住我,望着周围的残墙断壁,一脸的茫然与无奈,蠕动的嘴里仿佛有着说不出又说不尽的话,最后她说:“过了年我们都得走,那老树留下,她会讲这里的故事!”她望着西院那棵我小时候2~3个小孩都抱不过来的参天大树,目光里充满了京城百姓对胡同、四合院的不了情。
  去年深秋,我再回北京,雖知四合院裏已沒有了我的家,可我還是奔那裏去了。穿過了拆得零零散散的胡同,老遠就看到了廢墟中殘留著的我們那一片大院。可我再也跨不進去,腳代表我的心有多麼沉重。我在大門口默默了許久,臨別舉起相機,要為“我的家”作最後留影的那一霎那,只聽 “那不是……”原來是東屋的鍾奶奶老遠地呼著我的小名,我忙跑上去。她用顫巍巍的手抓住我,望著周圍的殘牆斷壁,一臉的茫然與無奈,蠕動的嘴裏仿佛有著說不出又說不盡的話,最後她說:“過了年我們都得走,那老樹留下,她會講這裏的故事!”她望著西院那棵我小時候2~3個小孩都抱不過來的參天大樹,目光裏充滿了京城百姓對胡同、四合院的不了情。

下記の3枚の写真はヤフーのしろらいほう様がこの記事を読んだ後にわざわざ描いて下さった「我が家」です。記念として一緒にここに載せさせていただきます。
下面的3张照片是雅虎的白雷锋先生看完这篇文章后为我画的「我的家」,贴在这里一起留念。
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by tubomim | 2006-07-03 20:35 | 2000年 | Comments(45)
お父さん酔っ払う(爸爸醉酒)
 私の息子の小象とその友人の小龍は、大の仲良しだ。年の違いは2ヶ月少しで、双方の家は徒歩20分もかからないところにある。一日中一緒に遊び、二人のひとりっこは本物の兄弟よりも仲良しだ。あまりにも二人が仲良しだったので、親たちもすっかり親しくなった。子どもたちが二つの家庭を結びつけたのだ。
  这小哥俩一个是我儿子小象,一个是他的好友小龙。年龄相差两个多月,两家走来相距不到二十分钟。一天到晚粘在一起,两个独生子好得胜似亲弟兄。孩子的亲密无间导致了大人的息息相通,一对小兄弟牵着两家心。
  這小哥倆一個是我兒子小象,一個是他的好友小龍。年齡相差兩個多月,兩家走來相距不到二十分鐘。一天到晚粘在一起,兩個獨生子好得勝似親弟兄。孩子的親密無間導致了大人的息息相通,一對小兄弟牽著兩家心。
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 夜、小龍のおかあさんがぷりぷり怒って電話をかけて来て、小龍のおとうさんについての不満を訴えた。あのおとうさんに何の不満があるのだろうか?無口で、ペコペコすることしかできず、お酒もたばこも嗜まない、性格の穏やかな、まじめに仕事に励み、堅実に生活をおくる真人間なのに。実は、昨晩、小龍のおとうさんの会社で集まりがあり、カラオケにでかけたのだった。小龍のおとうさんはわざわざ小龍のおかあさんと小龍を迎えに戻って来た。費用は会社が半分出すことになっていたが、それでも小龍のおかあさんはそんな騒ぎには付き合いたくないと思っていた。しかし結局、思いがけないことに社長自らが車を運転して誘いに来たので、体裁を気にして、小龍を連れて出かけて行った。あろうことか、お酒を飲んだことのない小龍のおとうさんは2杯も飲まないうちにすっかり人が変わってしまった。喋ったり歌ったりするだけでは気が済まず、おかあさんと子どもを無理やり引っ張ってステージに上り醜態をさらしただけでなく、言うことを聞かない子どもを怒鳴りつけた。怒ったおかあさんは、口実を設けて、驚いている子どもを連れて早々と帰ってしまった。一方、おとうさんは明け方になってようやくタクシーで帰って来ると、どさっと畳の上に倒れこみ、おかあさんが夕方仕事から帰って来ても、まだそこでいびきをかいていた。おかあさんが慌てて会社に電話で問い合わせると、案の定一日中出勤していなかったことがわかった。しかも、会社の携帯電話も酔った勢いでなくしてしまい、目を覚ましてから問い詰めても、全くどうしたのかわからない。ひっそりとした部屋の中で、反省している父と、腹を立てている母を、小龍はじっと眺めていた。
  晚上小龙的妈妈气呼呼地打来电话告了小龙爸爸一状。有什么状可告呢?一个难得开口,只会鞠躬,不抽,不喝,不急,不恼,认认真真干活儿,踏踏实实过日子的老实人。原来小龙爸爸所在的公司昨晚聚会去唱卡拉OK,小龙爸爸特意回来接小龙妈妈和小龙一起去,费用由公司出一半,即使这样小龙妈妈也不愿意去凑这个热闹。结果没想到社长亲自开车来请,碍着面子就带着小龙去了,可谁知从不沾酒的小龙爸爸喝了没两杯就整个变了一个人。又说又唱还不尽兴,硬拽着老婆孩子一起登台现丑,孩子不从,他还又骂又吼。气得老婆带着受惊的孩子借故早早退场,而他清晨才乘着出租车回来,一头栽倒在榻榻米上,直到小龙妈妈傍晚下班回来还在那里打鼾。小龙妈妈急忙打电话去公司询问,果真一天没去上班,还把公司的手提电话喝得无影无踪。醒后质问全然不知。静静的屋里,小龙两眼巴巴望着父母,一个在悔,一个在恨。
  晚上小龍的媽媽氣呼呼地打來電話告了小龍爸爸一狀。有什麼狀可告呢?一個難得開口,只會鞠躬,不抽,不喝,不急,不惱,認認真真幹活兒,踏踏實實過日子的老實人。原來小龍爸爸所在的公司昨晚聚會去唱卡拉OK,小龍爸爸特意回來接小龍媽媽和小龍一起去,費用由公司出一半,即使這樣小龍媽媽也不願意去湊這個熱鬧。結果沒想到社長親自開車來請,礙著面子就帶著小龍去了,可誰知從不沾酒的小龍爸爸喝了沒兩杯就整個變了一個人。又說又唱還不盡興,硬拽著老婆孩子一起登臺現醜,孩子不從,他還又罵又吼。氣得老婆帶著受驚的孩子藉故早早退場,而他清晨才乘著計程車回來,一頭栽倒在榻榻米上,直到小龍媽媽傍晚下班回來還在那裏打鼾。小龍媽媽急忙打電話去公司詢問,果真一天沒去上班,還把公司的手提電話喝得無影無蹤。醒後質問全然不知。靜靜的屋裏,小龍兩眼巴巴望著父母,一個在悔,一個在恨。

 夕食のとき、私は小龍の家の話をうちのテーブルに運び出した。翌日、夫が子どもを保育園に送って行ったとき、こう言って小龍を慰めた。「本当は、小象のおとうさんだってお酒を飲んで、よくわけのわからないことをするんだよ。」小象は夕方家に帰るとこんな話をした。小龍が保育園で小象を呼びつけて、この数日に彼の家で起こった出来事を話そうとしたので、小象は「言わないで。ぼくもう知ってるから。」と言ったのだそうだ。私は尋ねた。「それで?」「ぼくたち、今日指きりしたんだ。」「どうして?」「大きくなったらね、二人ともお酒は飲まないって。飲んだ人はお父さんになっちゃいけないって。」お酒を飲んで酔っ払うお父さんたちは、酔っていないときに、子どもたちのこの「桃園の誓い」がきこえるかしら。
  晚上我就把小龙家的故事搬上了我家的饭桌。第二天老公送孩子去保育园时就安慰小龙:“其实小象的爸爸喝了酒也常常做些莫明其妙的事情。”小象晚上回来就讲,小龙在保育园里把他叫到一边,要告诉小象他家这两天发生的事情,小象说:“你别说了,其实我都知道了。”我问:“后来呢?”“妈妈,我们俩今天拉钩了。”“为什么?”“长大后我俩谁也不喝酒,谁喝谁就别当爸爸!”醉酒的爸爸们清醒时可曾听到孩子们的这段「桃园结义」?
  晚上我就把小龍家的故事搬上了我家的飯桌。第二天老公送孩子去保育園時就安慰小龍:“其實小象的爸爸喝了酒也常常做些莫明其妙的事情。”小象晚上回來就講,小龍在保育園裏把他叫到一邊,要告訴小象他家這兩天發生的事情,小象說:“你別說了,其實我都知道了。”我問:“後來呢?”“媽媽,我們倆今天拉鉤了。”“為什麼?”“長大後我倆誰也不喝酒,誰喝誰就別當爸爸!”醉酒的爸爸們清醒時可曾聽到孩子們的這段「桃園結義」?

2000年5月15日
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by tubomim | 2006-06-17 00:23 | 2000年 | Comments(20)