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帰省1(回家1)
帰省1(回家1)_f0056261_20555279.jpg
 
我が家が何代も住んできた四合院
我家几代人住过的四合院 
 
 私の家は北京の西城にある。それは、市内ではあまり見られない有名な斜めに伸びている通りである。向かいの霊境胡同(横丁)を通り抜けると、中南海の西門に出る。四合院は、東西の2つの中庭とまわりの8つの横庭から構成される。以前は、中庭には花の香りや鳥のさえずりが満ち、数戸の世帯が、仲睦まじく、なごやかに暮らしていた。後に、20数戸の世帯で、百人を越える寄り合い住宅に発展しても、引っ越して来るものばかりで出て行くものはいなかった。みながそこに愛着を感じるようになったのだ。私の家族も何世代にもわたってその胡同の四合院で成長した。往年、私はほかでもなく四合院から日本に飛び込んだので、その四合院だけが私の家であると思い定めていた。当然、帰省とは、あの大小さまざまな胡同を通り抜け、四合院に足を踏み入れ、石段をのぼり、そっと部屋の戸を開けて、誰かを呼んで、応えてくれた時、はじめて帰省したと言えるのだ。
  我的家在北京西城,那是一条京城为数不多的著名斜街,穿过对面的灵境胡同,就到了中南海的西门。四合院由东、西两院和八个跨院构成。以前院内花香鸟鸣,几户人家,和和睦睦,乐乐融融。就是后来演变成了二十几户人家,一百多口人的大杂院,也只见搬进不见迁出,人们都在那里住出了感情。我家几代人都是在那个胡同的四合院里长大。当年我就是从四合院出来闯东瀛的,故也就认定了,只有那里才是我的家。回家当然也就只有穿过那大大小小的胡同,跨进四合院,蹿上台阶,轻轻推开屋门,叫了有人应,那才叫回到了家。
  我的家在北京西城,那是一條京城為數不多的著名斜街,穿過對面的靈境胡同,就到了中南海的西門。四合院由東、西兩院和八個跨院構成。以前院內花香鳥鳴,幾戶人家,和和睦睦,樂樂融融。就是後來演變成了二十幾戶人家,一百多口人的大雜院,也只見搬進不見遷出,人們都在那裏住出了感情。我家幾代人都是在那個胡同的四合院裏長大。當年我就是從四合院出來闖東瀛的,故也就認定了,只有那裏才是我的家。回家當然也就只有穿過那大大小小的胡同,跨進四合院,躥上臺階,輕輕推開屋門,叫了有人應,那才叫回到了家。

 一昨年の冬、わが家の戸籍簿の最終ページに記載された私の母方の祖母が人生の大半を過ごした四合院で93歳の高齢で亡くなったので、私は喪に駆けつけた。通りぬけた胡同の塀のいたるところに丸で囲んだ大きな「取り壊し」の文字が付けられ、一面にもの寂しさが満ちていた。正面の入口で出会った年を老いた隣人たちは大げさに言った。「あのご老人は幸せものだよ!壊される前に、ひっそりと逝ってしまって。それにひきかえ私たちは死ぬ前になっても先祖の代から住み慣れたところからまた引っ越ししなけりゃならない。」
  前年冬天,我家户口本上的最后一页我姥姥以93岁的高龄离开了她住了大半辈子的四合院仙去,我赶回去赴丧。穿过的胡同墙上都圈着大大的拆字,好一片凄凉。大门口遇到的老街坊们都夸:“看老人家多有福气!赶在他们拆之前,人家静静地走了,不像咱们临死还非得挪个窝。”
  前年冬天,我家戶口本上的最後一頁我姥姥以93歲的高齡離開了她住了大半輩子的四合院仙去,我趕回去赴喪。穿過的胡同牆上都圈著大大的拆字,好一片淒涼。大門口遇到的老街坊們都誇:“看老人家多有福氣!趕在他們拆之前,人家靜靜地走了,不像咱們臨死還非得挪個窩。”
帰省1(回家1)_f0056261_20585121.jpg
 
胡同の塀に書いてある「取り壊し」
胡同墙上的「拆」
 
 昨年の秋たけなわの頃、私はまた北京に帰った。四合院にもう私の家はないということはわかっていたが、私はやはりそこへ駆けつけた。ばらばらに取り壊された胡同を抜けると、廃墟の中に私たちのあの寄り合い住宅が残っているのが遠くから見えた。しかし、私はもはや足を踏み入れることができなかった。私の心がどんなに沈んでいるかを足は物語っていた。私は正面の入口のところで、長いこと黙って立っていた。別れに際して、カメラを持ち上げて、「私の家」の最後の記念撮影をしようとしたその瞬間、「それは……」という声が聞こえた。東の建物に住む鐘ばあさんが遠くで私の幼い頃の呼び名を呼んでいたのだ。私は急いで走って行った。おばあさんはわなわなと震える手で私をつかんだ。周囲の取り壊された塀や壁を見渡すおばあさんの顔は途方にくれ、やりきれなさに満ちていた。口に出せない、語り尽くせぬ思いがそのうごめく口の中にあるようだった。最後におばあさんは言った。「年が明けたら、私たちもみんな出て行かなければならないんだよ。あの古い木は残って、ここでの出来事を話してくれるよ。」彼女は西の中庭に生えている、私たちが幼い頃にはもう2-3人の小さな子どもでは抱えることができないほど太かったあの高くそびえる大木を眺めていた。その眼差しには、この首都に住む庶民が胡同や四合院に対して抱く尽きせぬ思いが満ちていた。
  去年深秋,我再回北京,虽知四合院里已没有了我的家,可我还是奔那里去了。穿过了拆得零零散散的胡同,老远就看到了废墟中残留着的我们那一片大院。可我再也跨不进去,脚代表我的心有多么沉重。我在大门口默默了许久,临别举起相机,要为“我的家”作最后留影的那一霎那,只听 “那不是……”原来是东屋的钟奶奶老远地呼着我的小名,我忙跑上去。她用颤巍巍的手抓住我,望着周围的残墙断壁,一脸的茫然与无奈,蠕动的嘴里仿佛有着说不出又说不尽的话,最后她说:“过了年我们都得走,那老树留下,她会讲这里的故事!”她望着西院那棵我小时候2~3个小孩都抱不过来的参天大树,目光里充满了京城百姓对胡同、四合院的不了情。
  去年深秋,我再回北京,雖知四合院裏已沒有了我的家,可我還是奔那裏去了。穿過了拆得零零散散的胡同,老遠就看到了廢墟中殘留著的我們那一片大院。可我再也跨不進去,腳代表我的心有多麼沉重。我在大門口默默了許久,臨別舉起相機,要為“我的家”作最後留影的那一霎那,只聽 “那不是……”原來是東屋的鍾奶奶老遠地呼著我的小名,我忙跑上去。她用顫巍巍的手抓住我,望著周圍的殘牆斷壁,一臉的茫然與無奈,蠕動的嘴裏仿佛有著說不出又說不盡的話,最後她說:“過了年我們都得走,那老樹留下,她會講這裏的故事!”她望著西院那棵我小時候2~3個小孩都抱不過來的參天大樹,目光裏充滿了京城百姓對胡同、四合院的不了情。

下記の3枚の写真はヤフーのしろらいほう様がこの記事を読んだ後にわざわざ描いて下さった「我が家」です。記念として一緒にここに載せさせていただきます。
下面的3张照片是雅虎的白雷锋先生看完这篇文章后为我画的「我的家」,贴在这里一起留念。
帰省1(回家1)_f0056261_23542287.jpg

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by tubomim | 2006-07-03 20:35 | 2000年 | Comments(45)
Commented by chococo at 2006-07-03 20:57 x
うちも北京でしたが、胡同ではありませんでした…つぼみさんが羨ましいです。胡同がなければ北京じゃないですね。たくさん取り壊されてしまいましたが、胡同や四合院に対する尽きせぬ思いが北京庶民の心にあり続ける限り、きっといつまでも人々を魅了し続けることでしょう。

胡同の他に、日傘が全くいらないほど道の両側に茂った街路樹も北京の魅力ですよね。新しくできた道とかにはなくて寂しいですが……うちの親はこの夏に帰省するのに、私は仕事で帰れません。。。ガーン(泣)
Commented by why at 2006-07-03 22:27 x
胸が痛むお話ですね。私はともかく古いものが好きで、このように胡同が消え失せていくのがなんとも言えなく悲しいことです。先々月、北京の胡同を紹介する本を一冊手に入れましたが、それを読み終えた日に早速写真を撮ろうと北京に戻った夢を見ました。
我ながら結構単純な性格だなと苦笑しました。
Commented by twister203 at 2006-07-04 00:01
先週、うちの茶房のオーナー(北京人)とも胡同のことを話していたところです。胡同は素晴らしい歴史遺産、中国の雄大な歴史はお金では買えないもの。それなのに何故、目先の利益の為に壊してしまうのか・・・ 悲しいですね。 自国の素晴らしい文化を捨てた後に、やっとその価値に気付いた、 それが今の日本です。 
ご連絡ありがとうございました。楽しみにしています。 
Commented by tubomim at 2006-07-04 00:05
> chococo :小妹原来还是小老乡呢!你看到大门口外的树了吗?小时候,在上面拴着皮筋儿我还在那里跳呢,都长这么粗了。以前象蘑菇似的树枝是向下垂着的,什么时候冲天撅了?
Commented by xiahai at 2006-07-04 01:04 x
こんにちは。はじめまして。
いつもブログは拝見していたのですが、今日は思わず書き込みしてしまいました。私も北京の胡同好きの一人です。初めて北京で胡同を訪れた時にとても心惹かれたのです。「拆」のマーク、とても切ないですね。胡同は「壊してしまってもまた作れる」というものではないので、尚更心が痛みます。
Commented by tubomim at 2006-07-04 01:42
> twister203さん:寝たらなぜかまた起きました。「捨てた後に、やっとその価値に気付いた」とまったく同感です。いくら昔風に作っても歴史は戻ってきませんね。
Commented by tubomim at 2006-07-04 01:46
>xiahaiさん:始めまして!コメントを書いていただかないといつもご覧になっていることはわかりません。いつもありがとうございます。
壊してしまってもまた作れるというものではないので、尚更心が痛みます。
その通り!その後の2にこのようなことを書きますので、また遊びに来てくださいね。
Commented by takeichi-3 at 2006-07-04 01:46
このところの中国映画、胡同を舞台にしたものが目立っていますね。。。
"我们俩=わたしたち"、"向日葵=胡同のひまわり"、
"我们=日本未公開⇒金鶏賞の特別賞をとっている"
中国内でも、改変を惜しむ人が多いという現れなのでしょう・ネ・・・

あ、6月に西成区の太極拳愛好者の皆さんと表演+宴会を一緒しました。
とても、楽しかったデス~ ^^v
Commented by wata1150 at 2006-07-04 02:14
tubomimさん 私は北京にそれ程行ったことは無く、北京で過ごした日数はせいぜい30日くらいの物でしたが、仕事場は現代的なビルに囲まれたところばかりでした。それで中国の臭いのする場所を休日に訪れるのが楽しみで、胡同には何度か行き、人力車に乗って、歩き回りました。ここ数年、ずっと御無沙汰でしたが、胡同が壊されつつあると言うことで、とても残念です。また、最も中国的なにおいのする場所が首都北京から無くなりつつあることも残念です。出来るだけ早く、再度北京を訪れ、見ておこうと思います。
Commented by cr80b1 at 2006-07-04 09:57 x
ふるさとの風景は、いつまでも心の奥に残るもの。遠く離れた地で暮らす方にとっては尚更のことと思います。国の発展に伴い、得られるものがあれば失うものもあるのは必然なのかもしれませんが、やはり歴史的な遺産が無くなってゆくのは悲しいことです。
 私の生まれ住む町は、昔の宿場町。車がすれ違うのにも苦労するような道を挟んで沢山の商店が軒を並べ、脇道には細~い路地が無数に延びています。しかし車社会となった近年は寂れる一方。今でも歩けば新しい発見があって楽しいのですが・・。新旧が共存するのはとても難しいことのようですね。
Commented by azu-sh at 2006-07-04 11:18
日本からツアーに参加して北京旅行に行ったことがあります。有名な観光地には全部行きましたが、一番思い出深かったのは「四合院」見学でした。海外旅行のツアーコースに入っているくらいですからきっと“モデルハウス”のごとくビジネスとして公開しているのでしょうが、実際に生活が営まれている四合院にお邪魔できたのは貴重な経験でした。ここ上海でも風情のある古い建物にことごとく「拆」の文字が書かれています。廃墟のようになった弄堂を目にするたび、無性に切なくなります。tubomimさん、四合院での思い出をこれからも語り伝えていってくださいね。
Commented by ol-lonlyplanet at 2006-07-04 11:23
日本もそうでしたが、発展していくこと=古いものを壊す。。全てを否定することはできないけれど、やはり文化的財産になるものは、特に四合院のような建物は、後世に残してゆくべきものだと思います。何代にも渡り住み続けてきた建物を、その町が造り上げた佇まいがなくなってしまうのは、とても悲しい。


Commented by 村長 at 2006-07-04 12:44 x
私も、久々に帰省したら、子供時代を過ごした
亡き祖母の家が今どきのプレハブ住宅にそっく
り建て替えられてしまっていてショックでした。
救いだったのは、郷里の風景が変わっていなか
ったこと。もし町自体がスクラップアンドビル
ドされていたら、どんなに悲しいことでしょう。
古い建物の修復には新しく建てる何倍ものお金
がかかると言いますが、胡同の町並みはそれを
払う価値があるはずなのに。本当に残念です。
Commented by 888takuya at 2006-07-04 13:56
初めまして!!ご紹介いただきありがとうございます。四合院の記事、拝見させてもらいました。とても切なくなりました。北京の街はどんどん変わってきています。東京と変わらない便利さが身近になり日本人の私にとって快適に暮らせる今の環境の反面、多くの代償も払われている。のんびりとした北京の風土(?)非常に人情味のある人々、外国人が虜になってしまう北京。上海にはない北京の昔ながらの中国の面影は全て無くなる事は無い筈なので残されたものを守り、尊いたいと一市民の私は思います。これからも拝見させていただきます、また遊びに来て下さいね。
Commented by tubomim at 2006-07-04 14:35
>takeichi-3さん:胡同自体にいろんな物語がありますね。残念ながら日本で中国の映画をあまりみたことがありません。ご紹介ありがとうございます。
白塔寺の歴代皇帝廟でしたね、私も去年行きました。時間があるときにブログで皆さんの紹介したいところです。中で皇帝さまの気分で太極拳をなさったのでは。。。
Commented by tubomim at 2006-07-04 14:55
>WATAさん:北京は上海とまた違って「中国の臭いのする場所」がまだ残っていますので、早いうちにいらっしゃってくださいね。私は市内の「北海公園」がすき、中にも「秘密基地」がありますよ。
昔の京城、お城、胡同、四合院、その向き、デザイン、さらにそのレンガ、レンガ模様などなどそれなりの文化があります。
Commented by tubomim at 2006-07-04 15:08
>cr80b1さん:「宿場町」という町?日本に結構ありますが、近くの小田原城の近くもありますよ。たぶん単語の「宿場町」でしょう。
建築関係のセミナーに出たときに聞いた話ですが、日本の「長屋」や中国の「窑洞」、「四合院」に住んでいる人たちは不便を感じています。しかし周りからみている人たちはこの「不便さ」を感じることなく「貴重さ」を強調してしています。という意見もあります。
Commented by tubomim at 2006-07-04 15:15
>azu-sh さん:さすがのAZUさん!「四合院」ツアーに参加されたのでしょうか、いろいろ経験されていますね。四合院での思い出がいっぱいありますよ、四合院だけのブログも書けるほど多い、でも現実の生活がありますから、時間があるときにすこしずつ紹介させていただきましょう。

Commented by tubomim at 2006-07-04 15:56
>onlyplanetさん:比べてみると日本の「文化的財産」の保護がよく保存されているほうだといつも感心していますよ。
今新築・修復の四合院もありますが、重み、厚みが感じられません。
Commented by tubomim at 2006-07-04 16:09
>888takuyaさん:北京にいらっしゃるのですね、私が住んでいたこの四合院は今の北京の繁華街である西単の「辟才胡同」に入って徒歩1~2分すぐ右手にあります。機会があればぜひ現地でご覧になってください。いまあそこに取り壊された後に立てられたビルと上の写真の四合院どっちが価値があるのか。胡同やその文化などを別にして、建物自体だけで「一目瞭然」だと思います。
Commented by tubomim at 2006-07-04 16:33
>村長さん:故郷がいつも昔のまま思い出に残りますね。これが壊されるとだれでもショックが大きい。
北京の四合院はそれなりの文化があります。例えば祖父から聞いた話ですが
昔四合院から排出された「糞尿」の相場も場所によって違います。西城より東城の方が少したかいだそうです。(当時水洗トイレがなく、近郊の人が肥料として買いにきます)
なぜかご存知でしょうか。
Commented by はちみつ at 2006-07-04 17:30 x
一番上の写真、風情がありますね。この建物は長い年月の間に何人もの人生を見てきたのでしょう。
私の生まれ育った家も取り壊されたと聞いています。実家から近いのですが確認する勇気がありません。その家は3世代、40年弱の人生をみてきました。
Commented at 2006-07-04 18:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cheerup55 at 2006-07-04 19:31
为了发展,把每个人的安乐窝折掉,,,真难过。
能不能「新旧の共存」???
是不是要开始新世代,要毁坏旧世代吗?
Commented by tianshu at 2006-07-04 19:38
cheerup55您好!
  您也不必难过。中国的土地都姓“共”,老百姓没有办法呀。再说,人口增长太快,平房已经挤不下了。但是呢,再过几十年,可能有很多空房子没有人住了。因为独生子女政策,还因为有很多现代人不想要孩子。
  唉,说起自己的国家,真是一言难尽。
Commented by tianshu at 2006-07-04 19:43
tubomim您好!
  您也不必太难过,都过去几年了。
  我的老家呢,听说要建设新农村,还要把老百姓的房子一律拆毁,按照统一标准造完全一样的住宅。
  我想:共产党干脆把老百姓家的锅碗瓢盆的形状颜色都规定好罢了!
  以前有过一句话叫“跑步进入共产主义”,现在大概要老百姓脚踩飞轮呢。
  但是,基础不牢靠,飞轮满天飞,总有一天要出大事。
  我在家一说这些话,我的母亲就骂我:你怎么跟你的老子一个样?!
  嘿嘿。
Commented by tianshu at 2006-07-04 20:11
tubomim您好!
我看出问题来了--
您看我归省,心里痒痒的,也来“归省”一下?
Commented by 小雨 at 2006-07-04 20:58 x
つぼみさん您别着急,可能是因为搜狐最近老升级系统的关系吧,过几天可能就好了。搜狐博客挺新的,我刚开始写的时候比这个更着急的毛病都多着呢。哈哈。而且最近根本没怎么更新......

跳皮筋,真让人怀念......您看过《一个陌生女人的来信》吗?那个电影的舞台是冬天会有骆驼进城的老北京......我小时候就见过马车和驴车(>_<)
Commented by tubomim at 2006-07-04 21:05
>はちみつさん:最近お忙しいようですね、中国の田舎の子どもたちが学校にいけるためにいろいろ本当におつかれさまでした!
おしゃった通り勇気が必要ですね。その後私が北京に帰ったときにまたここに行きましたがちょうど取り壊された場面に直面してしまいました。
Commented by tubomim at 2006-07-04 21:18
>ichicoさん:お待たせいたしました、約束を守ったでしょう。まさかichicoさんも白塔寺附近的胡同で生活されたのですか。私はあの近くの「人民医院」(旧館)で生まれたのですよ。
想起来那附近的宫门口(名字对吗?)里有个上鞋的,小时候常跟我姥姥去,因为她是小脚,买不到鞋,必须去那里定做。记得白塔寺的小吃很好吃,现在每次回北京还一定去老铺白塔寺药店买点家里的常用药呢。

Commented by tubomim at 2006-07-04 21:23
>cheerup55 :是必然的,但日本的京都就保存得很好,我很愿意在那里的街上走走。

Commented by tubomim at 2006-07-04 23:15
>tianshuさん:中国語のコメントを笑いながら読ませていただきました。会ったこともないのに、表情まで見えた感じでした。
咋在这儿唠上嗑了?一不小心还把楼上的 cheerup55也扯进来了,看这是咋整的。
Commented by tubomim at 2006-07-04 23:31
>小雨:我是想过去看看你的父亲节要过多久。那咱们就还是老地方「红楼梦」里见吧。
你也会跳皮筋吧?以前我给小象也缝了几个包儿教他在家里「跳房子」「夹包儿」,玩的可带劲儿了。
Commented at 2006-07-05 00:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2006-07-05 00:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kristinep at 2006-07-05 07:28
はじめまして。 私には仲の良い中国人の友人がいて、それがきっかけで 来年から娘と同時に北京語を習う予定で居ります。素敵な写真と中国語のブログ、とても素敵ですね。 これからちょくちょく寄らせていただきます。 そしてリンク頂いて帰ります。
Commented by jiaojiao at 2006-07-05 13:00
今我が家の裏に有った花市場が取り壊されています。すさまじい勢いで取り壊し、なんともいえない気分で毎日眺めています。町の中が近代的になり便利になって行く反面、悲しい思いをする人が同じだけ居るんでしょうね。
Commented at 2006-07-05 16:32
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by wuzhiq888 at 2006-07-05 22:40 x
这里太熟习了,好像一切如旧.
Commented by tubomim at 2006-07-05 22:48
>wuzhiq888:房子拆了,记忆永远搬不走。
Commented by tubomim at 2006-07-05 22:51
>jiaojiaoさん:裏に有った花市場が取り壊されていたのですか。jiaojiaoさんのところは大丈夫?自分の家なら見ても見られませんねさびしくて悲しいから。
Commented by tubomim at 2006-07-05 23:02
>kristinepさん:はじめまして。 ここに中国語を勉強されている日本の方が多いので、これからもぜひ遊びに来てくださいね。 そしてリンクして頂いてありがとうございます。
Commented by nihao_keikoo at 2006-07-08 23:41
tubomimさん
去年8月に北京に行ったときに胡同は随分歩きました。
棗の大きな木のある四合院を見せていただいたりしました。木陰になっている中庭がとても快適なお家でした。
以前、四合院に住みたくて本気で買おうと思い、いくらするのか値段を聞きました。大きさは忘れましたが、3~4年前は50万元ぐらいだったのが去年は150万元になってしまっていました。政府は四合院を残そうとしていたはずですが、どうなってしまったのでしょう。私の好きな歴史を感じさせる北京がだんだん変わってしまう。
Commented by Bちゃん at 2010-05-03 18:09 x
もう65年以上前、私は霊境胡同に住んでいました。とっくの昔にスクラップ&ビルドで消え失せてしまったと思っていましたが、最近Google Earth で見るとその一帯がまだ残っているようなのです。近く北京を訪れるので、確かめに行ってみるつもりです。
Commented by tubomim at 2010-05-03 18:27
>Bちゃん :嬉しい!霊境胡同はまだ残っています、北京で最も広い胡同ですよ。反対側の劈柴胡同、丰盛胡同もあります。北京は大分かわりました、北京に帰る度にあのあたりにいきます。懐かしい思い出がいっぱいの町。